2013年1月27日日曜日

今もあるシリーズ「駅(はゆま,うまや)」

<駅(はゆま)の生い立ち>
駅は元は驛と書きました。馬を飼う小屋(馬屋)という意味です。万葉時代,この馬は荷物を運ぶ馬です。馬は野生ではなく飼い主がいる馬です。馬の飼い主は,おとなしいけれど力持ちの馬を多く所有していると荷物の輸送代がたくさん入ってきます。
ただし,馬を長距離荷物を運ばせると,帰りにちょうど出発地に輸送する荷物がないこともある,馬の餌を大量に背負わせる必要がある,馬が疲労したときの代わりの馬を見つけられない,付き人が付いていく距離が長くなり,付き人の宿代が発生してコスト高になるなど,マイナス面が出てしまいます。
そこで,日帰りで往復できる位の距離ごとに,馬にエサを与えることができ,付き人が食事できる施設があり,馬や付き人はその施設と施設の間のみを輸送を担当するシステムが考案されたと考えます。
その施設には,いつも馬が待機し,前の施設からきた馬が到着したら,次の担当の馬に荷物を載せ替えて運びます。馬は逆方向の荷物を載せて元の施設に戻ります。
<速達便と普通便>
速達が必要な荷物は,それぞれの施設で早い馬を選んで次々と昼夜を分かたず荷物を載せ替えて運べば,早く届けることができます。逆に,ゆっくり届けてもよいものは,馬が空くまで施設で荷物を置いておきます。そんな馬待ちの荷物がいつもあれば,運ぶ荷物がなくて馬が仕事をしないで待機することが少なくなります。当然,速達便は輸送代が高く,到着が遅くてもよい荷物の輸送代(普通便代)は安く設定されていたでしょう。運よく馬が空いていれば,普通便代でも速達に近い日数で荷物を届けることができます。
このように馬を待機させる施設,付き人の宿泊施設や食事をする施設,馬待ちの荷物を一時的に保管する施設(倉庫)など持つものが「」なのです。
<飛脚便の登場>
しかし,日本では文字や中国の律令制度導入によって,運ぶものは荷物だけではなく,紙に書かれた書類(改定された律令,通達,通知,注文書,請求書,その他証文),手紙などが重要な輸送物になっていきます。そういったものは,荷物よりも小さな単位でタイムリーに運ぶ必要があり,まとまった荷物を運ぶ馬や船では非効率なケースがでます。そういうニーズから出現したものが,ヒトが書類や手紙のような小さくて軽い荷物を運ぶ飛脚制度です。
<駅伝>
飛脚も駅に待機していて,前の区間からくる荷物の到着を待ち,到着した荷物をすぐに受け取り,次の駅まで飛ぶように走って運びます。この受け渡しがそう駅伝と呼ばれる行為です。飛脚チームや飛脚を請け負う会社のような組織は,自分たちの飛脚が一番早いことをアピールするため速さを競争をしたと思います。それがスポーツとして駅伝競走(荷物の代わりに襷を受け渡す)として今も残っているのだと私は思います。
さて,万葉集では「はゆま」{うまや}に「駅」(旧字では「驛」)の漢字を当てています。
「はゆま」は「はやうま(早馬)」を略した発音だったようです。それだけ,駅には早い馬がいたのでしょうか。

鈴が音の駅駅の堤井の水を給へな妹が直手よ(14-3439)
すずがねのはゆまうまやの つつみゐのみづをたまへな いもがただてよ
<<鈴の音を響かせる早馬が駅に到着した。娘さんの手から直接堤井の水をいただきたいな>>

この詠み人知らずの東歌は,鈴を付けた馬(公務の知らせを送る速達専用の馬)が到着したので,大事な役目だから,馬や私に何をおいても介抱してほしい,そんな意味の短歌でしょうか。
この短歌から,当時の東国にも駅が整備されていたことが伺えますが,この短歌は夫が仕事を終え,家へ一目散で帰ってきたことを早馬と駅への到着に例にして,妻に労わってほしいというおねだりにの歌のような気がしますね。
さて,次は駅と駅の間を船で渡すことを望んだ詠み人知らずの短歌です。

駅路に引き舟渡し直乗りに妹は心に乗りにけるかも(11-2749)
はゆまぢにひきふねわたし ただのりにいもはこころに のりにけるかも
<<駅と駅と間を船でつなげばすぐに乗って行こう。そうしたら彼女の心も乗ってくるに違いない>>

当時,海路は今の旅客機のようにあこがれの乗り物だったのではないかと私は思います。陸路だと,山,峠,谷,川などの難所をいくつも越えなければならないけれど,船だったらあっという間に着いてしまうというイメージがあったのでしょうか。
最後に,大伴家持の部下尾張少咋(をはりのをくひ)が越中で遊女との浮気が過ぎ,それを聞きつけた奥さんが京から早馬に乗って駆け付けてくる様子を家持が少咋を諭すために詠んだとされる短歌です。

左夫流子が斎きし殿に鈴懸けぬ駅馬下れり里もとどろに(18-4110)
さぶるこがいつきしとのに すずかけぬはゆまくだれり さともとどろに
<<左夫流子という遊女を正妻のように住まわせている君の家に,鈴も付けずに駅を経由して奥さんを乗せた早馬がやってきたぞ。その蹄の音を轟かせてな>>

「斎きし」とは神棚を清掃したり,供え物をしたりする行為で正妻が行うとされていたようです。
そして,早馬は周りに注意を促すため,本投稿の最初の短歌でも出てきたように鈴を付けることになっていたようです。奥さんはこの事態は放置できないと,鈴を付ける時間も惜しかったのか,鈴なしで大急ぎで京から馬を走らせ,越中国府の里まで飛んできた様子が分かります。

天の川 「たびとはん。この短歌から自分のことをいろいろ思い出したんのとちゃうか?」

そうそう,振り返ると反省することがいっぱい~,違います!! 私にはそんな勇気と能力はありません。
今もあるシリーズ「宿(やど)」に続く。

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