2013年1月3日木曜日

年末年始スペシャル「万葉集:新春の和歌(3)」

あっという間に正月3が日も過ぎようとしています。それでは,さっそく万葉集新春の和歌の3回目に入ります。
今回は,天平16(744)年の1月5日と11日に詠まれた短歌を紹介しましょう。どれも元旦から少し過ぎていますが,新年の祝いの歌です。

我がやどの君松の木に降る雪の行きには行かじ待にし待たむ(6-1041)
わがやどの きみまつのきにふるゆきの ゆきにはゆかじまちにしまたむ
<<私の家の貴殿を待つ松の木に降る雪ですが,私は雪のように行くのではなく,松の木ように貴殿をずっとお待ちしましょう>>

この短歌は,久邇(くに)京恭仁京とも書く)にある安倍虫麻呂(あべのむしまろ)邸で開かれた宴席の出席者のひとりが詠んだとあります。
は古来長寿を象徴する木として尊ばれていたようで,新年の縁起の良い木として和歌でもよく詠まれるようです。今回はこの宴にお招きを受けたので,次はぜひ自分の家に来てくださることをお待ちしていますといった背景で詠まれた短歌でしょうか。
久邇京は新しく作られた都ですから,きっと住んでいる人の家や庭はみな新しく,きれいだったと私は想像します。自分の家や庭を見せたかったのかもしれませんね。
次の2首は1月11日に詠まれたとされているやはり松を詠んだ短歌です。

一つ松幾代か経ぬる吹く風の音の清きは年深みかも(6-1042)
ひとつまついくよかへぬる ふくかぜのおとのきよきは としふかみかも
<<一本松よ,何世代を経たのか。吹く風の音が清らかなのは齢を重ねて来たからなのだろう>>

この短歌は市原王(いちはらのおほきみ)が久邇京の活道(いくぢ)の岡に登って一株の松の下(もと)に集い,宴を開いたときに詠んだとされています。季節はまだ寒い時期ですからさすがに野外で宴をしたとは考えにくいので,一本松が見える近くの館で行ったのでしょう。
松の老木を題材にしていますが,出席者の中には年配の主賓がいて,その人を意識して詠んだのかもしれません。なお,一説には安積親王(当時:16歳)の長寿を願ってという説もあるようですが,この宴と安積親王無関係だろうと私は考えています。風の音が清いという喩えで,年を重ねるごとに尊敬の念が高くなるお人柄になっていかれると持ち上げているように私には感じ取れます。
次に同じ宴席にいた大伴家持(当時:26歳)が続けます。

たまきはる命は知らず松が枝を結ぶ心は長くとぞ思ふ(6-1043)
たまきはるいのちはしらず まつがえをむすぶこころは ながくとぞおもふ
<<この一本松の命の長さは不明ですが,松の枝を結ぶ心は長く続いて欲しいと思います>>

当時,松の枝を結ぶまじないは,(命,恋人の関係,幸せなどが)長い間続くことを願う場合にしたようです。
ただ,万葉人は命も,幸せなことも,ときめく恋もいつまでも続かないことを知っていたと私は思います。だからこそ,万葉人は祈るのです。願うのです。
<祈るとは>
人がどうにもならないことを知ったとき,祈ることが必要だと私は思います。祈ることができない人は,うまくいかないことを他人のせいにしたり,自分のせいにしたりして,自分も含めた人間嫌いになる方向に向ってしまう気がします。
他人のせいでも,自分のせいでもないことが世の中にはある。それを「運」と呼ぶことにすると,「運」は確率的な事象といえます。良い運がより多くなるように,そして悪い運がよく少なくなるよう努力する。それでも悪い運が発生する確率をゼロにすることはできないのです。逆に,運悪く悪い出来事が続いても,次も悪い事象が来る確率は1(必ず悪い事象が発生する)ではないのです。
祈るとは,良い運がより多くなるよう努力し,その結果がその通りなってほしい(そうならない可能性がゼロではないから)と願うことだと私は思います。祈っても叶うとは限らないから祈らないのではなく,叶わないことがあるからこそ自分のもつ潜在的パワーの可能性を信じて祈るのです。すべてのことが完全に予測できる(運という言葉が死語になる)まで祈りは必要だと私は考えます。
さて,天の川君がこのブログで予測不可能な変な割り込みを入れないことを祈りますか。
年末年始スペシャル「万葉集:新春の和歌(4)」に続く。

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