2017年3月17日金曜日

序詞再発見シリーズ(10) ‥ 難波,浪速,浪花,浪華?

大阪といえば,ミナミの繁華街「難波(なんば)」が有名です。
ところが,万葉時代は難波は「なには」と発音していたようで,今も浪花節,浪花踊り,難波橋など「なにわ」の発音も残っています。
「なにわ」が「なんば」になったのは,「何(なに)」の音便である「何(なん)」が使われるようになったとの同様の音便変化かな?という気がします。
たとえば,「何(なに)かよく分からないけど」「何(なに)にしますか?」「何があったの?」「何(なに)をお探しですか?」「何(なに)ほどのことがあろうか」は,..

天の川 『「何(なん)して」「何(なん)にすんねん?」「何(なん)やってん?」「何(なん)探してはんねん?」「何(なん)ぼのもんやねん」という感じやな。』

天の川君,さすがだね,ありがと。さて,万葉集序詞で大阪の地名が出てくる巻12の短歌を見ていきましょう。

難波潟漕ぎ出る舟のはろはろに別れ来ぬれど忘れかねつも(12-3171)
なにはがたこぎづるふねのはろはろに わかれきぬれどわすれかねつも
<<難波潟を漕ぎ出した船がはるか遠くに去るように別れて遠くまで来たが妻のことは忘れなれない>>

当時,難波潟は大きな港があり,瀬戸内海航路で,九州,四国,中国地方などへ物資や人を運ぶ大きな船が出入りしていたことがこの序詞から伺えますね。
次は,仁徳天皇が掘ったとされる難波の堀江を序詞に入れた短歌です。

妹が目を見まく堀江のさざれ波しきて恋ひつつありと告げこそ(12-3024)
いもがめをみまくほりえのさざれなみ しきてこひつつありとつげこそ
<<妻の目を見たい(逢いたい),そう欲する堀江の細かい波が一面を覆い尽くすほどに恋焦がれていると,誰か告げてくれ>>

堀江は海水の満ち引きなどの影響を受け,堀の水の流れが速い時があったようです。万葉集の和歌にも何首かそのことが詠われています。
その流れが速い時は水面に小さな波が水面全体を覆うことがあり,そんな光景をこの短歌の作者は序詞に使ったのでしょう。
次は,同じく堀江の水流の早さを序詞に入れた短歌です。

松浦舟騒く堀江の水脈早み楫取る間なく思ほゆるかも(12-3173)
まつらぶね さわくほりえのみをはやみ かぢとるまなくおもほゆるかも>
<<松浦舟が激しい堀江の水流が速く,楫を取る間もないほどずっと家に残した妻を想うよ>>

堀江の水流が激しい時は,船のコントロールができず,流れに任せるしかない状態があることをみんな知っていたのかも知れません。そういった水量に急激な変化の影響を受けながら,プロの船頭たちはそれをうまく利用して,船を動かし堀江を活用していたと私は想像します。堀江を掘る目的は船着き場と倉庫の距離をできるだけ短くするために考え出されたと私は見ます。
船を止める場所として,我々が最初に考えてしまうのは桟橋や波止場の設置だと思います。しかし,それらは海に突き出ていますから,船から下した荷物や船に積む荷物を陸地にある倉庫との間で運ぶのは大変です。
その点,堀江なら,堀江の周りに倉庫を作り,倉庫の前で船を止めて,荷下ろし,積載をすれば,荷物の移動を含め短時間で済みます。
また,倉庫がたくさん立てられるように堀江を長く,何筋にも掘れば,何隻もの船の荷下ろし,積載を同時に行うこともできます。
荷下ろし専門の堀江,荷積載専門の堀江を隣同士に掘れば,九州地方から来た船の荷物を降ろして,向かい側に待機している例えば紀伊(熊野)方面の船に短時間で載せ替えすることが可能となります。,
万葉時代,大阪に大規模な堀江が作られたのは,それだけ物流が活発だった証拠だと私は考えます。大阪の堀江を仁徳天皇が掘るよう指示したかどうかは別にして,万葉時代には難波の堀江は船荷のターミナル基地として大変な賑わいを呈していたことが容易に想像できます。
ところで,万葉集を古代の人々の和歌を集めた文学作品と見る風潮が,万葉集に詳しい人たちの大勢かもしれません。
私は,万葉集の文学的要素やその後の和歌文学,日記文学,物語文学に与えた影響は非常に大きかったことは認めますが,万葉集の編者は別の意図をもっていたのではないかと考えています。
万葉集の編者は,万葉時代の社会,制度,風習,慣例,政治,農業,産業,商業,物流,思想などを和歌という表現形式の記録を通して,残そうとしたのかと。そして,序詞はその意図を満たすのに大変効果的な表現方法だと私は感じています。
(序詞再発見シリーズ(11)に続く)

2017年3月6日月曜日

序詞再発見シリーズ(9) ‥ 奈良のお隣にある大阪の地名が出てくる序詞

万葉集の巻11,巻12の序詞で地名がで来る短歌の紹介を続けます。
今度は現在の大阪府にある地名を序詞に入れて詠んだ短歌です。

茅渟の海の浜辺の小松根深めて我れ恋ひわたる人の子ゆゑに(11-2486)
ちぬのうみのはまへのこまつねふかめて あれこひわたるひとのこゆゑに
<<茅渟の海の浜辺に生えている小松の根が深く根を張っているように,私の恋は密かに深まるばかりだ。彼女はまだ幼いから>>

茅渟の海の浜辺は大阪市から堺市にかけての海岸と言われています。
ここには,防風または防砂を目的に松が植えられいたのでしょう。
松は,砂に根を張っただけでは倒れいしまうので,出ている部分はまだ小さくても,根は思いのほか深く張っていることを作者は知っていて,自分の気持ちを松にたとえと考えても良いでしょう。
また,松は待つにつながるため,作者は彼女の成長をひたすら待っている気持ちも感じ取れそうです。
次は,今の大阪市の南部にあった住吉(すみのえ)の地名を使った序詞の例です。

住吉の津守網引のうけの緒の浮かれか行かむ恋ひつつあらずは(11-2646)
すみのえのつもりあびきのうけのをの うかれかゆかむこひつつあらずは
<<住吉の港の管理者が網を引くときに使う浮きの紐が一緒に浮くように,ただ浮くままにしよう。これまでのひたすら恋しい気持ちを捨てて>>

住吉の港は万葉時代賑やかな定期船や漁船が停泊する港だったのでしょう。
ちゃんと港の管理人(津守)がいて,網を張っていたようです。
この網は,浮きを付けて網を海中に縦に張り,魚を捕獲する定置網か,津守の役目からは港内の場所を使用目的によって分けるために張られたのかも知れません。
浮きの材料は,軽い木,木の中をくり抜いて蓋をしたものなど,いろいろ考えられますが,どんな浮きだったのか興味が尽きません。
さて,次は大阪府の北側の地にあるといわれる山川を序詞に使った短歌です。

しなが鳥猪名山響に行く水の名のみ寄そりし隠り妻はも(11-2708)
しながどりゐなやまとよにゆくみづの なのみよそりしこもりづまはも
<<しなが鳥といえば猪名山だが,その山に響きわたる水のように超有名なのに姿を見せることがない>>

しなが鳥」は枕詞で現代訳として訳さない本もありますが,私は枕詞といえどもそこに書かれている以上,できるだけ訳に入れています。
「猪名」という地名は万葉時代にまったく名の知られていない場所ではなかったようです。
今も兵庫県・大阪府を流域にもつ「猪名川」沿いに開けた集落がたくさんあります。万葉時代から,農耕,炭焼き,猪(イノシシ)の狩猟などをして暮らしていた人々がたくさんいたと私は思います。
「猪名川」は非常に流れが速く,豪快だとのうわさも京(平城京)に来ていたが,奈良からは遠いので,なかなか京人は行けない場所にあるので有名だったと私は推測します。

天の川 「たびとはん。本当は,そんな噂の立つのは,どんだけ超かわいい娘が想像してんのとちゃうか?」

そっちのほうは地名と違って当時の女性と今の女性との比較がほとんどできないので,あきらめるしかないかな?
ところで,巻12にも大阪にある地名を序詞に入れて詠んだ短歌があるので,次回も「天の川君」のたぶん出身である大阪でいきますか。
(序詞再発見シリーズ(10)に続く)