2012年8月26日日曜日

夏休みスペシャル「富士山八合目までハイキング


<富士山の途中まで>
本日,天の川君と一緒に富士山の八合目までハイキングに行ってきました。
富士山へハイキング? 登山じゃないの? と思われる方もいらっしゃるかと思いますが,頂上まで行かないつもりだったのでハイキングとしました。
天の川君は途中「歩くのしんどいわ」「靴の中に小石が入って痛おてたまらんわ」「腹減った」「のどが渇いた」「酒が飲みたい」などうるさいことばかり言ってましたが,何とか帰りの電車に乗れ,ほっとしたところです。
今,新しいパソコンを使い,帰りの電車の中からブログアップしています(写真は後日追加)。
<工程>
今日は,朝早く家を出て,湘南新宿ラインで国府津まで行き,御殿場線で御殿場万葉集によく出てくる足柄の次の駅),御殿場から富士登山バスに乗り,須走口に10時前につきました。
その日の御殿場駅は自衛隊の演習を見に行く人でごった返していました。危うく自衛隊の訓練施設行のバスに乗ってしまうところでした。
バスは渋滞で到着が遅れ,出発時間が20分遅れました。さらに出発後も渋滞にはまり,予定より40分ほど遅い午前11時少し前に須走口五合目につくことになってしまいました。
写真は須走口五合目の案内板です。この地図の本八合目(標高約3,400m)を目指しました。


ここからは,もちろん徒歩です。
最初は勾配が結構きついものの次の写真のような樹林の中を歩く快適なハイキングです。


当日は猛烈な台風15号が沖縄地方に近づいていて,富士山の天気や風を少し心配しました。2,500~3,000mあたりに雲が少したなびいていましたが,それより上も下も快晴でした。
次の写真は,樹林地帯を抜け,雲がたなびいているあたりの高さから見た山中湖です。


万葉集にも次のような短歌がありますが,まさにそんな感じでしたね。

富士の嶺を高み畏み天雲もい行きはばかりたなびくものを(3-321)
ふじのねをたかみかしこみ あまくももいゆきはばかり たなびくものを
<< 富士山は高く恐れ多いので雲も行く手をはばまれてたなびいている>>

風は微風程度で,急勾配を登って火照った体をちょうど良い具合に冷やしてくれました。
「六合目」には順調に到着,しかし,ようやく着いた次の休憩場所が「本六合目」,その後は標高が3,000mを超えて空気が薄くなり息も絶え絶え。
次の写真はやっと着いた七合目の山小屋「太陽館」(標高3,090m)です。最近出張で新横浜プリンスホテル(シングル)のスペシャルプラン素泊まり6,300円で宿泊したのですが,ここも同じ値段ですね。競争が無いのでこの値段でも泊まる人がいるということでしょうか。


天の川君の歩行速度の遅れもあり日帰りの設定で本八合目まで行けるか少し心配になってきました。けれど,「本七合目」から「八合目」までは,それほど距離はなく,何とか遅れを取り戻し,予定の時間通りさらに上の「本八合目」に到着しました。ここが,次の写真のように吉田口登山道と合流する場所です。標高は約3,400mで頂上まで後1時間半くらいで行ける場所です。


ここの山小屋前で少し休憩し,予定通りそれ以上上には行かず下山道を下ることにしました。
今回楽しみにしていたのは,本八合目からの下山道(登りとは別のコース)でのいわゆる砂走りです。駆け足くらいのスピードで砂地の下り道を降りていくのですが,体重を後ろに倒し,足で砂を押す感じでスピードを上げます。足への負担が思ったほどなく,快適に下って行けます。
ただ,最初は調子が良かったのですが,途中から砂の層が薄くなっている下り坂があり,砂が固い石の上を潤滑油のようにすべり,何度もしりもちをつきそうになりました。
さらに,トレッキングシューズに付けていたスパッツのコムが切れ,小石がトレッキングシューズに入りこみ,何度も靴を脱いで砂を出す羽目に。その間,私より年上と思われる女性が「気をつけてね」といって,砂を巻き上げ追い抜いていきます。
富士山の下り道の怖さを少し味わいました。今度は,もっと装備を工夫してみたいと思いました。
天の川君は今回の富士ハイキングをやってみてどんな感想を持っているのかな?

天の川 「次はたびとはん一人だけで行ってんか。ワイはもうコリゴリやわ」

天の川君の今年の夏休みも思い出深いものになったようですね。さて,次回から新たなシリーズを始めます。
万葉集に出てくるモノ,風習などで現在でも形は変わっていても,その源流が引き続き残っている言葉を取り上げていきます。
新シリーズ(今もあるシリーズ「網(あみ)」)に続く。

2012年8月19日日曜日

夏休みスペシャル「最近のできごと」思い切って買いました


<パソコンを買い替え>
いよいよ,私の9日間の夏休みも今日で終わり,明日からは仕事です。
さて,今回の夏休みで私がこのブログを書くのに愛用しているパソコン(Dynabook:6年前購入)に加え,この夏休みに同じくDynabookのウルトラブックという最新型ノートパソコンを思い切って購入しました。
写真の奥が従来のノートパソコンで手前がウルトラブックパソコンです。薄さが違いを分かって頂けますでしょうか?

従来のパソコンも持ち運びできるパソコンでしたが,結構重く,電源無しで使える時間も1時間余りで持ち運んでの利用は限られていました。それでも,昨年の台湾旅行では,重いのを我慢して持っていき,台北のホテルから投稿しました。
今回購入したウルトラブックパソコンは,時間電源無しでも長く使え,スピードも速く,重さも1kg余りで持ち運びが楽で,出先でも時間があればブログのなどの原稿作成もしやすくなりました。これから,出先からや新幹線などの移動中からの投稿がもっと増えるかもしれません。
<万葉集でも新しいものが欲しい作者も>
次の万葉集の短歌のように,いくら年代を重ねても道具を新しい物に取り替えることを継続していくことも新しい経験を積むという意味で,有意義かもしれません。

物皆は新たしきよしただしくも人は古りにしよろしかるべし(10-1885)
ものみなはあらたしきよし ただしくもひとはふりにし よろしかるべし
<<物はみな新しいものがよいが,ただ人は年をとっている方がいろいろ経験していて良いのでしょう>>

<奥鬼怒温泉郷へ>
それから,私はこの休み中に奥鬼怒温泉郷にハイキングと日帰り温泉浴に行ってきました。自動車で女夫淵温泉まで行き,駐車場に車を停め,そこから奥鬼怒温泉郷までハイキングをして,温泉に入る計画です。
ただ,女夫淵温泉から奥鬼怒温泉郷までのハイキング道は傾斜が急なところもあり,激しい雨が降ると川のようになる部分があるとのことで,この夏思い切って買ったトレッキングシューズに履き替え,凍った水のペットボトルとゼリー菓子を保冷袋に入れて,リュックに仕舞い,準備は万端でスタートしました。
最初は急な昇り階段を上っていくことになり,こんな厳しい道かが最後まで続くのかと思いました。そしたら,向こうからサンダル履き中年夫婦がかなり辛そうに降りてきました。いくら車で気軽に来れる軽いハイキングコースと言えども,サンダル履きキツイと同情しながら「気を着けて降りてください」と声を掛けるのが精いっぱいでした。
途中からは,鬼怒川沿いのゆるやかな上り坂に変わりましたが,少しぬかるんでいる場所があり,昨日降った雨の影響かと避けながら昇って行きました。1時間余りで八丁の湯に到着。お盆後でしたので,途中すれ違ったのは5人程度でした。
加仁湯のお風呂と帰り道
今回は,八丁の湯からすぐ上の加仁湯で温泉に入ることにしました。ロビーで500円を払い,日帰り温泉用の露天風呂に入りました。ロビーには帰りのバスを待つ泊まり客がいましたが,露天風呂は一人占め。種類の違う4種の温泉に交互に何回か浸かりました。




いや~,いい気分でした。ただ,湯の温度が結構高いので,ほどほどで終わらせ,ロビーに戻りました。そしたら,急に激しい雨が降ってきて,ロビーで釘づけになりましたが,早く外に出なくて良かったです。
1時間以上雨が完全に止むのを待ってから,水量の増した鬼怒川を見ながら女夫淵温泉まで戻ることにしました(もう少し廻りたかったのですが,また雷雨の可能性もあったため,あきらめました)。
昇って来た道は激しい雨のため水没しているところが多く,トレッキングシューズにして大正解でした。途中,大雨に遭ったハイカーに何人か会いましたが,可哀そうにみなさんずぶ濡れでした。

雨降ればたぎつ山川岩に触れ君が砕かむ心は持たじ(10-2308)
あめふればたぎつやまがは いはにふれきみがくだかむ こころはもたじ
<<雨が降れば激しく流れる山川が岩にあたって砕け散るように,君の心をそうならないように心しているからね>>

山を甘く見ない方が良いことを改めて知らされた,ハイキングでした。
夏休みスペシャル「富士山八合目までハイキング」に続く。

2012年8月16日木曜日

夏休みスペシャル「最近のできごと」オリンピック競技を見て

<ロンドン五輪や過去の五輪の感想>
17日間にわたるロンドンオリンピックも終り,睡眠時間が不規則で昼間体調管理に苦労していたのが,やっと以前の状態に戻りつつあります。
日本が過去のオリンピックで一番多くのメダルを獲得したことはまずは喜びたいですね。
私が最初にオリンピックのニュースを聞いたのはローマオリンピック(1960年)です。マラソンでエチオピアのアベベ選手が裸足で走り,ぶっちぎりで優勝したというニュースです。
そして,その4年後の東京オリンピックでは,国道を走る聖火ランナーを見に小学校から先生の引率で出かけたことを覚えています。
東京オリンピックでは「より速く,より高く,より遠く」ということをオリンピックのキャッチフレーズにしていた記憶がありますが,以前このブログでシリーズ化してアップしました「動きの詞シリーズ」のように動詞にあてはめると,いろいろな動きが各種競技で現れます。

走る(陸上トラック,マラソン,トライアスロン,球技),歩く(競歩),跳ぶ(陸上フィールド競技,トランポリン,体操,飛び込み,球技),投げる(陸上フィールド競技,球技,新体操,レスリング,柔道等),蹴る(サッカー,テコンドー),引く(アーチェリー),漕ぐ(ボート,カヌー),扱ぐ(自転車,トライアスロン),泳ぐ(水泳,水球,トライアスロン),突く(フェンシング),打つ(ボクシング,ホッケー,テニス,卓球,パレーボール,バドミントン),拾う(球技),捻る(体操,水泳飛び込み,トランポリン,新体操,シンクロナイズドスイミング),潜る(競泳,シンクロナイズドスイミング),切る(卓球,セーリング),かわす(格闘技,球技),持ち上げる(ウェイトリフティング,新体操団体,シンクロナイズドスイミング),押さえる(柔道,レスリング),渡す(陸上リレー,新体操団体),刺す(フェンシング,棒高跳び),越える(陸上障害,体操),着く(体操,トランポリン),回る(体操,トランポリン,シンクロナイズドスイミング,新体操),周る(陸上トラック,競輪,マラソン,競歩,トライアスロン),乗る(馬術,ボート,カヌー,セーリング,自転車),撃つ(射撃),守る(球技),攻める(球技)

さて,この中で当ブログの「動きの詞シリーズ」に出てこなかった動詞が詠み込まれていて,面白そうな万葉集の和歌をいくつか取りあげます。
最初は,「押す」からです。

あしひきの名負ふ山菅押し伏せて君し結ばば逢はずあらめやも(11-2477)
あしひきの なおふやますげおしふせて きみしむすばばあはずあらめやも
<<あしひきのという枕詞がつく山菅を押し伏せても君と結ばれれば,逢うことも可能でしょうか>>

「山菅を押し伏す」とは「大変な苦労をして」という意味だと私は考えます。女性からこんな歌を返されるとは,当時の妻問い(婚活)も大変だったようですね。
次は「打つ」です。

いにしへに梁打つ人のなかりせばここにもあらまし柘の枝はも(3-387)
いにしへにやなうつひとの なかりせばここにもあらまし つみのえだはも
<<昔、梁を打ちかける味稲という人がいなかったら、今もここに居るかもしれない柘の枝の仙女は>>

この短歌は「仙女枝歌(やまびめつみのうた)三首」(5-385~387)の最後の歌で,若宮年魚麻呂(わかみやのあゆまろ)が詠んだとされるものです。
この三首はある伝説を題材に詠まれたと題詞,左注に記されています。
その伝説とは,吉野の人である味稲(うましね)が(野生の桑の一種らしい)の枝を川魚を捕る梁(川底に枝を打ちつけ魚が引っ掛かるようにした罠)を打ち掛けたところ,その枝が仙女(やまびめ)になり,味稲と結ばれたという話です。
仙女は大変魅力的だったようで,若宮年魚麻呂は「味稲が余計なことをしなかったら今ここで仙女に会えたかもしれないのによ~」と物語の落ちを詠っているようです。
若宮年魚麻呂は,伝説をモチーフに漫談調の歌を歌い庶民を楽しませていたプロ歌手だったのかも知れません。
最後は「潜る」です。

海人娘子潜き採るといふ忘れ貝世にも忘れじ妹が姿(12-3084)
あまをとめかづきとるといふ わすれがひよにもわすれじ いもがすがたは
<<海人娘子潜って採るという忘れ貝だけど,それを得てもあの娘のことをずっと忘れ続けることはできない>>

万葉時代も海人娘子は美しい人魚をイメージし,珍しい魚介類や真珠を採ってくれる魅力的な存在だったのでしょう。
シンクロナイズドスイミング(アーティスティックスイミング)の選手ような海人娘子だったのも知れませんね。
オリンピックは様々なスポーツの(より美しくも含めた)魅力を改めて感じさせてくれました。
夏休みスペシャル「最近のできごと」思い切って買いました に続く。

2012年8月14日火曜日

夏休みスペシャル「最近のできごと」飲んで歌ってまた飲んで


<飲み会連チャン>
7月から8月の前半,私はいろいろな人と飲んだり,カラオケで歌ったりする機会がいつもより多くありました。
今一緒に仕事をしている仲間(といっても私より15~30歳位若い人達),以前仕事で一緒に苦労した別部門の人,お客様や取引先の社員,定年退職した以前の上司,15年ほど前にインド・シンガポール・韓国を訪問する視察団で一緒だった人,大学時代のクラブ顧問の先生,同期生,後輩など,ほぼそれぞれ別の日に飲んだのですから,回数が多いのは想像に難くないでしょう。
そういった親しい仲間,知人と飲むのは私にとって本当に楽しいことなのです。
今一緒にやっていることに対する気持ちの共有,過去の思い出を語たり合って懐かしむ,これからの予定や生き方を示し合って連携を模索,知らないことを教え合うなど,これら飲み会で私が今後も生きていくことへのモチベーションを高めてくれる情報がいっぱい入ってきました。
「そういったことはシラフでもできるはずだ!」いう人もいるかもしれません。でも私はそうは思いません。
万葉時代から,さまざまな人との宴(うたげ)で,人々が打ち解け合うことの大切さを知っていました。それが,万葉集に出てくる次の短歌で分かりそうです。

夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣るにあにしかめやも(3-346)
よるひかるたまといふとも さけのみてこころをやるに あにしかめやも
<<たとえ夜でも光るという高価な玉よりも酒を飲んで心をリラックスさせる価値の方が高い>>

これは大伴旅人が詠んだ讃酒歌の1首です。
さて,ウチアゲの転ということが広辞苑などに載っていますが,ウタイアゲ(詠い上げ)の転というのはどうでしょうか。
万葉時代では宴の席で和歌を詠うのが定番だったように私は想像します。庶民の豊作祈願や収穫を祝う宴でも和歌の前進の歌謡を詠って場を盛り上げていたのでしょう。
万葉集にも和歌ではなく,次のような詠み人知らずの民謡や歌謡に近い歌が出てきます。

はしたての熊来のやらに 新羅斧落し入れ わし かけてかけてな泣かしそね 浮き出づるやと見む わし(16-3878)
はしたてのくまきのやらに しらきをのおとしいれ わし かけてかけてななかしそね うきいづるやとみむ わし
<<熊来の海の底に新羅製の斧を落としてしまったのか~ ワッショイ。声を出し出しそんなに泣くなよな~ 浮いてくるかもしれん,見ててあげるからよ~ ワッショイ>>

諸説が考えられますが,ひと儲けしようと新羅から高級品のを輸入しようとしたが,熊来という場所(能登の国)の近くで難破して海の底に落としてしまった商人を揶揄して詠ったのだろうと思います。
<現代のウタイアゲはカラオケボックス>
今の世の中でも,会社で出世できない連中が集まり,自分達より先に出世した社員の失敗を変え歌まじりに唄うことがあるのではないでしょうか。ワッショイ。
ところで,今回の飲み会の中でも,歌の好きな連中(私もその一人)が多いと二次会はカラオケボックスへ行くことになります(居酒屋で唄うと他のお客さんの迷惑になりますからね)。カラオケボックスでは,どんなに大きな声を出してもOKで,思い切り唄えます。
私は新しい歌は分かりませんから,往年のフォークソングを中心に唄うしかありません。それもメジャーでない曲が多く,若い人達からは「知らない曲ばかり」と言われます。もちろん,私はお構いなしで唄っています。
ただ,一緒に聞いている人がいる以上,昔の曲であっても今の若い人にも通じるメッセージ性の高いものを選んで唄っているのは事実です。
それとは別に,大きな声で唄うことはストレス発散には良いことだというのは間違いないでしょう。
夏休みスペシャル「最近のできごと」オリンピック競技を見て に続く。

2012年8月12日日曜日

夏休みスペシャル「最近のできごと」宇治⇒明日香:藤原宮跡に寄る


<睡魔との闘い>
日曜日の朝,JR宇治駅から奈良行き始発電車に乗った私は,当然のごとく夜を徹して大津から宇治まで歩いた睡魔に襲われ,あっという間に奈良駅到着。
奈良駅で桜井線(万葉まほろば線)の次の電車まで10分余りしかなかったため,今まで何度も泊まっているスパーホテルLOHAS奈良駅前の1Fコンビニでパンと野菜ジュースを購入。出発までの電車の中で朝食を済ませました。
桜井線でも睡魔に襲われ,すぐに畝傍駅に到着。畝傍駅(写真)は昨年降りた香久山駅より少し大きい駅です。

そこから南の飛鳥方面に行く道は昔からの街道(写真)らしく,雰囲気が伝わってきます。


畝傍駅から南東方向に1㎞程のところに藤原宮跡(写真)の遺跡があります。


南西に畝傍山,北に耳成山,南東に香久山に囲まれた藤原宮跡で,次の万葉集の長歌(詠み人知らず)から万葉人と同じ景色を見ていることを知ることができる歓びを感じます。

やすみしし我ご大君 高照らす日の皇子 荒栲の藤井が原に 大御門始めたまひて 埴安の堤の上に あり立たし見したまへば 大和の青香具山は 日の経の大御門に 春山と茂みさび立てり 畝傍のこの瑞山は 日の緯の大御門に 瑞山と山さびいます 耳成の青菅山は 背面の大御門に よろしなへ神さび立てり 名ぐはし吉野の山は かげともの大御門ゆ 雲居にぞ遠くありける 高知るや天の御蔭 天知るや日の御蔭の 水こそばとこしへにあらめ 御井のま清水(1-52)

長くなるので現代語訳は載せませんが,藤原宮を賛美するこの長歌では三山がちゃんと詠み込まれています。また,この長歌から藤原宮は水が湧き出る池があり,水路が張り巡らされていたのかもしれないと想像します。
私は藤原宮跡を後にして,甘樫の丘の東側に沿ってさらに南下して,明日香小学校の近くの蓮池(写真)の蓮の花が見ごろで綺麗でした。


それからさらに南下し,私がミカンの木のオーナーになっている農園に到着。そこで,摘果作業を行いました。生育が悪かったり,形の悪い実を取るのが摘果作業です。摘果した実は自宅に持って帰り,焼酎を炭酸で割るときに絞って入れます。レモンやスダチよりも柔らかい酸っぱさで,まずまずの味です。
さて,摘果作業が終わった後は近鉄橿原神宮前駅までの数㎞を再びひたすら歩きました。そこからは,(青春18きっぷは使えませんが)近鉄の急行電車で京都まで行き,京都からはJRの新快速,普通を乗りついで東京まで行き,自宅に付いたのは午後11時頃でした。
みなさんは「何でこんなしんどい旅をするのか?」と思われるかも知れませんが,次の中臣宅守の歌のように万葉時代の旅は簡単ではなかったことをほんの少し追体験したいという気持ちだけでしょうか。

旅と言へば言にぞやすきすべもなく苦しき旅も言にまさめやも(15-3763)
たびといへばことにぞやすき すべもなくくるしきたびも ことにまさめやも
<<旅と言うだけだったら本当に簡単だが,どうしょうもなく苦しいこの旅だと言うのは誇張ではないよ>>

夏休みスペシャル「最近のできごと」飲んで歌ってまた飲んで に続く。

2012年8月11日土曜日

夏休みスペシャル「最近のできごと」大津⇒宇治:奈良街道を歩く


みなさん。立秋が過ぎましたが,今年の残暑は衰えを知りません。
私は今日から9日間夏休みです。
今年の前半は会社での業務(ソフトウェアの保守開発)がキツく,また様々な友人と関係するイベントの幹事や実行委員が重なり,忙しい状況が続いていました。しかし,7月に入って,イベントも一通り終わり,今月からは会社での立場が変わることもあり,気分的にもこれまでにないゆったりとした夏休みを過ごせそうです。
<東京から大津まで>
今回は,そんな7月下旬の土日に滋賀県のJR大津駅から京都府のJR宇治駅まで奈良街道を歩きましたので,その報告をします。
土曜日の午後2時32分東京駅発の快速アクティーに乗り,一路熱海まで行きます。きっぷは「青春18きっぷ」。駅でSuicaにグリーンチャージ(750円)をしてグリーン車に乗りました。熱海からは,JR東海の普通電車を乗り継ぎ,夕方浜松駅を出て夕食を食べました(残念ながら鰻ではなく,カレーでした)。
浜松からは大垣行きの新快速に乗り,大垣から米原,米原から大津まで普通列車を乗り継ぎ,23:20に大津駅に到着しました。
大津駅南口改札を出たところで,自宅から持ってきたワッフルや凍ったペットボトルと一緒に保冷袋に入れて持ってきた冷たい枝豆を食べ,空腹を満たし,いよいよ宇治までの歩行開始です。
<深夜奈良街道を目指す>
大津駅南口から坂や階段を上がったところを国道1号線が通っています。国道1号線を一路京都に向かって歩きます。最初に目指すのは,京阪電鉄京津線大谷駅近くの逢坂の関跡とされる場所です。
写真は逢坂の関跡を示す石碑と説明書きの看板です。


逢坂の関ができたのは万葉時代より後と書かれいますが,このブログの「歌枕シリーズ」でも紹介しましたが,この場所付近を多くの万葉人が通ったこと確かです。


写真のように大谷駅(無人駅)はまだ最終電車前のためか,照明がされていました。
そこから,再び国道1号線を京都方面に下り,次の追分駅を過ぎると京都市山科区に入ります。
名神高速道路京都東IC手前から国道1号線を離れ,同IC下を抜けて,いよいよ奈良街道に入ります。
ほどなく,2番目の目的地がやってきました。同街道から横に少し入ったところに音羽珍事町なる町名があります。以前,このブログで山科に御陵血洗町があること紹介しましたが,こちらも珍しい町名としては負けていません。この住所が書かれているものを探そうというのが2番目の目的です。
ところが,電柱にも,通りの角の壁にも,民家の表札にも住所を書いたものが見つかりません。
ようやく見つけたのが,写真の京都市の広報板の下に書かれた住所です。


何か音羽珍事町に住んでいることを隠しているようにも見えたのですが,本当の理由は分かりません。
さて,写真を撮ったので,後はひたすら奈良街道を宇治に向かって歩くだけです。
音羽の次は大塚,そして仁徳天皇の時代に建てられたと伝わる岩屋神社のある大宅(おおやけ),小野小町と関係があるとされる小野伏見区に入って豊臣秀吉が花見をした三宝院がある醍醐(だいご),次のように万葉集で詠われている「石田の杜(いわたのもり)」がある石田(いしだ)まできました。

山科の石田の杜に幣置かばけだし我妹に直に逢はむかも(9-1731)
やましなの いはたのもりにぬさおかば けだしわぎもにただにあはむかも
<<山科の石田の社に幣を捧げて祈ったらすぐ妻に逢えないだろうか>>

石田を過ぎると,JR奈良線と地下鉄東西線の乗り換えができる六地蔵駅前に到着。時間は午前3時を回っていました。地下鉄が結ばれたことで,私が山科に住んでいた頃来た六地蔵とはまったく異なる近代的な雰囲気になっています。
奈良街道は六地蔵で木幡池を避けるため左折します。昔は宇治川の氾濫を抑えるためか,このあたり周辺には無数の池があったようで,木幡池は現存する一つだそうです。
六地蔵で左折した奈良街道はすぐに万葉集の次の短歌に出てくる木幡に入ります。

山科の木幡の山を馬はあれど徒歩より我が来し汝を思ひかねて(11-2425)
やましなのこはたのやまを うまはあれどかちよりわがこし なをおもひかねて
<<山科の木幡の山を馬でも行けるけれど,僕は歩いて来たんだよ,お前を思いつつ>>

木幡からは,黄檗(おうばく),そして宇治川を越えて坂道を上ってJR宇治駅に到着したのが朝4時20分でした。宇治駅前のロータリーには人の姿はほとんどなく,100羽位のムクドリの集団が木にとまり,騒がしく鳴いていました。
夏真っ盛りですが,さすがに朝4時頃は涼しい風が吹き抜け,疲れた身体を癒してくれました。
宇治はお茶で有名ですので,駅前の郵便ポストもお茶壺のイメージです。


ちはや人宇治川波を清みかも旅行く人の立ちかてにする(7-1139)
ちはやひとうぢがはなみを きよみかもたびゆくひとの たちかてにする
<<宇治川の川波が綺麗なので旅行く人が次の目的地に向かうのをためらっている>>

私も同じ気持ちでしたが,次の予定があり,JR奈良線の始発列車を待って奈良,飛鳥方面に向かいました。その内容は次回にご紹介します。
夏休みスペシャル「最近のできごと」宇治⇒奈良⇒明日香をめぐる に続く。

2012年8月4日土曜日

対語シリーズ「笑むと泣く」‥対語シリーズを最終回


今朝未明,なでしこジャパンがロンドンオリンピック決勝トーナメントの準々決勝でブラジルに2対0で勝利し,日本選手や日本の応援団の笑顔が印象的でした。
万葉時代の「笑む」はまさに笑顔を作る「微笑む」に近い状況を指していたのかもしれません。
相手に対して好意を持っていることを示すもっとも簡単な方法が「微笑む」であることは今もあまり変わらないと私は思います。
ただ,どの程度好意を持っているかは微笑みかけられた側の受け止め方で大きく異なります。
微笑んだ側と微笑まれた側の好意に対する認識の差が大きいと両者のコミュニケーションがなかなかうまくいかないことが出てきます。
その例として次の詠み人知らず短歌が万葉集にあります。

道の辺の草深百合の花笑みに笑みしがからに妻と言ふべしや(7-1257)
みちのへのくさふかゆりの はなゑみにゑみしがからに つまといふべしや
<<道の傍の草の繁みに咲く百合の花が微笑んでいるようにちょっと微笑みかけただけでもう夫婦の関係とはいえないでしょう?>>

儀礼的に微笑んだのを相手がプロポーズの意志と勘違いするが実際にあったのかもしれませんね。
ただ,相手に好意は持っているのだけれど,本当は相手をじらすためにこんな短歌を詠んだとも考えられそうです。特にこの短歌の作者が女性だった場合です。
でも,やはり微笑みかけられることは嫌なことではありません。
次の東歌がそれを物語っています。

己が命をおほにな思ひそ庭に立ち笑ますがからに駒に逢ふものを(14-3535)
おのがををおほになおもひそ にはにたちゑますがからに こまにあふものを
<<自分の命をいい加減に思わないでください。あなたが私の家の庭に立って微笑むだけで私は駿馬に出会った気持ちになります>>

これから旅(徴兵?)に出る恋人に向けて詠んだものなのでしょうか。無事に帰って笑顔で微笑んでほしいという気持ちが込められているように私には強く感じられます。
この短歌に出会って,昔「かぐや姫」というフォークグループが歌っていた「あの人の手紙」の歌詞(結局恋人は戦死して帰ってこなかった)を思い出しました。
「笑む」が幸せを表す言葉とすれば,「泣く」はまさにその反対の言葉でしょうか。
万葉集は泣きたくなるような悲しい気持ちを詠んだ和歌も数多く出てきます。

照る月を闇に見なして泣く涙衣濡らしつ干す人なしに(4-690)
てるつきを やみにみなして なくなみだ ころもぬらしつ ほすひとなしに
<<照る月が闇夜に見えるほど泣いた涙で衣を濡らしてしまった。干してくれる人がいないのに>>

この短歌は大伴三依が詠んだとされる悲別の歌です。「干してくれる人」は笑顔で逢ってくれる恋人を指しているのでしょう。
次に万葉集においてお互い計63首もやり取りをした中臣宅守(なかとみのやかもり)と狭野茅上娘子(さののちがみのをとめ)の恋歌の中から,宅守の短歌1首を紹介します。
宅守は許されない娘子と結婚することで今の福井県に流罪となってしまいます。
離れ離れになってしまう二人にとって,涙も枯れ果てるような本当に切ない気持ちを和歌に託して詠んだ63首は,万葉集を代表する悲恋の歌群なのです。

我妹子に逢坂山を越えて来て泣きつつ居れど逢ふよしもなし(15-3762)
わぎもこにあふさかやまをこえてきて なきつつをれどあふよしもなし
<<最愛の人に逢えるという逢坂山を超えて,逢える術がなく私は泣いてばかりいる>>

さて,私はここ1週間いろんなできごとがありました。ブログですから本当はその都度書きたいのですが,今時間がまとまってとれず,この後の投稿で少しずつ書いていきたいと思います。
その出来事の中でも,職場の後輩から「天の川」プレミアムやCrossのボールペン・シャープペンシルなどをプレゼントしてくれたのはもっともうれしかったできごとのひとつです。
特に「天の川」プレミアムは,このブログで「美味しかった」と書いたのを見てくれて,プレゼントのひとつに選んでくれたのです。
プレゼントを受けたときの私の「笑顔」はきっと最高のものだったのでしょう。
長く続けてきました「対語シリーズ」は今回で一旦終了とします。次回からしばらく夏休みスペシャルを続け,その後新たなシリーズをお送りします。
夏休みスペシャル「最近のできごと」に続く。