2010年5月30日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…添ふ(1)

今回から「添ふ」について万葉集を見ていきます。
側近くに寄る,夫婦として共に暮らすという意味の「添ふ」は,万葉集ではかなり定型的な表現で使われているようです。
その表現とは「身に添ふ」,またはその修飾表現です(例:「身に取り添ふ」「身に佩(は)き添ふ」)。また,次の東歌のように「剣大刀」という枕詞が前に付く定型表現もいくつか使われています。

剣大刀身に添ふ妹を取り見がね音をぞ泣きつる手児にあらなくに(14-3485)
つるぎたち みにそふいもを とりみがね ねをぞなきつる てごにあらなくに
<<いつも一緒だったおめえを俺のものにできなくてよ~,俺は大声を出して泣いちまったぜ。小っちぇ~餓鬼っちょでもないのによ~>>

ちょっと雰囲気を出しすぎて標準的な訳でなくなったかも知れませんが,東歌ということでご容赦ください。

天の川 「たびとはん。この短歌を次の訳にしたらどうやろ?」
<<いつも一緒やったあんたをわてのものにでけへんかったさかい大声できつ~泣けよった。小っこい坊主ちゃうのになあ~>>

天の川君,悪いけどこれでは完全に(関東の)東歌の雰囲気は壊れてしまうね。変な突っ込みは無視して話を続けます。
剣や大刀の本体(刃の部分)は「鞘(さや)」や「柄(つか)」に対して「身」と呼ぶことから「剣太刀」は「身」などに掛かる枕詞と考えられているようです。
また,剣や大刀は腰に直接着ける(差す)ため,「剣大刀」の枕詞が付いた「身に添ふ」は本当に近くに寄添う状況をイメージしているのだと私は想像します。
この東歌は「身に添ふ妹」と夫婦になれなかった悔しさを見事に表現していると私は捉えています。
<私の中国出張の経験>
ところで,私は先週5日間ほど会社の出張で中国遼寧省へ行ってきました。
中国のパートナー会社と新規IT関連プロジェクトの打合せのためです。
今まで過去4回ほどそれぞれのプロジェクト連携で訪問しているのですが,今回4年ぶりの訪問で以前一緒にプロジェクトをやった技術者との久しぶりの再会を喜びあうことができました。
再会した人たちは,前回訪問時以降一往に昇進し,中には前回以降結婚し子供ができた人もいました。もちろん初めて連携プロジェクト参加する数多くの初対面の技術者とも仲良くなれたことも収穫の一つです。
訪問時の挨拶では,私はいつも「1千数百年以上前から私たち日本人は中国からものすごくたくさんのことを教えて頂いてきた。今回のプロジェクトは困難なプロジェクトだけれども,お互いの強みや特徴ある知恵を出し合って見事乗り切ろう」との内容を入れることにしています。
<お互い寄り添って考える>
プロジェクトの重要成功要因は,メンバーが如何に近い(添う)気持ちで何でも言える関係になれるかが一つのポイントだと私は考えています。今回の訪問ではパートナー企業の担当者から新たな連携内容について質問が大小100以上出ることを目標にして,何でもフランクに話しができ,ディスカッションできるよう,いわゆるファシリテーションにも力を入れました。
さらに,彼等自身の課題について一緒に解決策を導き出すことにしました(現場が長かったので同じような経験を多数していましたから)。「そんな問題は君たちが考える話だ!」というような突き放した言い方は一切せずにです。
「そんなことをすると相手企業を甘やかすことになる」と私のやり方に異議を唱える日本の技術者がいることも知っています。
<補完関係で品質確保>
ただ,今回もプロジェクト全体遂行の難しさを具体的に伝え「私たちも難しい問題をいっぱい抱えている。こちらの問題解決にも一緒に協力してほしい」と伝えました。
結果,相手担当者は簡単な一部のみの対応を期待されているのではないことを感じ,さまざまな課題の対応策を必死で考え出そうとしてくれるようになった手応えを得たのです。
特に「品質保証に対する強い意識。品質確保には十分なコミュニケーションが必要。一方通行では品質は確保できない」という思いを共有できたことは大きな収穫でした。
お互いが「剣大刀身に添う」ように近い関係のパートナーとして互恵関係を築くことこそがグローバルな連携の柱だと私は改めて感じることができたのです。
それと同時に,このような密接な国際連携ができる今日の日中友好関係を先陣を切って築かれた先達の英知と努力に心より尊敬と感謝の念も重ねて強く感じられた今回の出張でした。
「添ふ(2)」に続く。

2010年5月22日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…頼む(3:まとめ)

「頼む」相手は,まさに信頼できる「頼もしい」(頼むの形容詞形)相手,そして「頼れる」相手であることが前提となります。

大伴の名に負ふ靫帯びて万代に頼みし心いづくか寄せむ (3-480)
おほともの なにおふゆきおびて よろづよに たのみしこころ いづくかよせむ
<<大伴の名を伝える靫を着け、万代まであなたを頼りにしたかった私の心は、何を頼りにすればよいのでしょう>>

この短歌,万葉集題詞によると天平16年大伴家持が26歳のとき,17歳の安積皇子(あさかのみこ)が急死したことに対して詠んだ一連の挽歌の最後の一首です。
安積皇子は難波宮(なにはのみや)への行幸(みゆき)の途中脚気(かっけ)で危篤になり,恭仁京(くにのみやこ)に戻ってすぐに亡くなったようです。
この急死は,当時聖武天皇(しやむてんわう)の下で政権を掌握していた橘諸兄(たちぱなのもろえ)を引きずり降ろそうとしていた藤原仲麻呂(ふぢはらのなかまろ)による毒殺という説もあります。そのくらい,当時の権力争い(どの氏の血縁が天皇になるか)が本当に激しかったのだろうと私は想像しています。
当時,聖武天皇には歴史に名をとどめる夫人が2人いたようです。安積皇子はその夫人2人の内で,橘諸兄と縁の深い県犬養広刀自(あがたのいぬかひのひろとじ)という夫人の子でした。
もう1人の夫人は藤原仲麻呂の叔母にあたる光明皇后(くわうみやうくわうごう)です。
安積皇子は聖武天皇の第2皇子です。ただ,光明皇后が生んだ皇太子(第一皇子)はすでに亡くなっていたため,次の天皇へと期待が高まっていたのです。この急死は橘諸兄派にとって大きなショックだったのだろうと想像します。家持のこの短歌で安積皇子の将来に対する期待(頼りにしていたこと)が崩れた悲しみと不安を家持は表現していると感じます。
藤原仲麻呂は,この後聖武天皇がやむなく娘の孝謙天皇(かうけんてんわう)に譲位した後,政権を恣(ほしいまま)にしようとします。
<藤原仲麻呂の野望と家持の苦節>
橘諸兄側を頼りにしていたと考えられる大伴家のプリンス家持の不安は的中し,藤原仲麻呂台頭とともに家持は徐々に不遇の扱いを受け,出世を妨げられていくのです。
家持がこの挽歌を詠った15年ほど後,頼みにしていた橘諸兄も没し,因幡の国(鳥取県)に左遷された家持は万葉集最後の短歌を詠んでいます。

新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重げ吉事(10-4516)
あたらしきとしのはじめのはつはるのきょうふるゆきのいやしけよごと
<<新たな年(春)の始まりに降った雪が降り積もっていくように本当に良いことが重なってほしいことよ>>

頼れる人達の影が次々といなくなっていく不安を40歳を過ぎた家持は神仏を頼りにしたいような気持でこの短歌を詠ったのかもしれません。
家持は,その後は和歌の収集や記録を止めて,大伴氏存続のためにさまざまな努力をしていったのだと私は思います。
しかし,そのような家持の我慢も5年ほどで終わることになります。藤原仲麻呂のクーデターが失敗し,その後家持は復活を遂げるのです。
<苦節に立ち向かう自分は変革のチャンス>
さて,現在の私たちも頼みにする人が亡くなったり,離れて行ったとき,不安になったり,悲嘆に暮れたりすることがあるかもしれません。
ただ,その状態は自分自身が頼みにされる側(より強い自分)に変革する大きなチャンスではないでしょうか。
その変革とは,他人に頼るだけの(逃げの)自分から,その逆境に自らが立ち向かう勇気と(自立した)気持ちに切り替えることだと私は思うのです。
そのチャンスを生かし自分をより精神的に強い人間に変えることができた人の中には,時としてある歌人や詩人が詠んだ詩歌に接し,その感動が変換点になった人も多かったのだろうと私は想像します。
「添ふ(1)」に続く。

2010年5月15日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…頼む(2)

万葉集で「頼む」の特徴的なもう一つの用例として「我れを頼む」「我れは頼む」「我れも頼む」という表現に着目してみましょう。
この表現,自分が何かに期待する(していた)という気持ちを表すときに使われているようです。その例をいくつか示します。

かくのみにありけるものを妹も我れも千年のごとく頼みたりけり(3-470)
かくのみに ありけるものを いももあれも ちとせのごとく たのみたりけり
<<このように人の命は果敢ないものであったのに、貴女も私も千年も生きられると思っていた>>

言のみを後も逢はむとねもころに我れを頼めて逢はざらむかも(4-740)
ことのみを のちもあはむと ねもころに われをたのめて あはざらむかも
<<言葉だけ「いつか逢おうとね」と優しく言って私を期待させて,結局逢ってはくれないのではないですか>>

百千たび恋ふと言ふとも諸弟らが練りのことばは我れは頼まじ(4-774)
ももちたび こふといふとも もろとらが ねりのことばは われはたのまじ
<<「恋い慕っている」と口伝えした使者たちのうまい言葉を何度もらっても,もうぼくは信じられない>>

天雲のたゆたひやすき心あらば我れをな頼めそ待たば苦しも(12-3031)
あまくもの たゆたひやすき こころあらば われをなたのめそ またばくるしも
<<天の雲のように変わりやすい心をお持ちならばその気になるようなことは言わないで。期待して待つのは苦しいばかりです>>

遠江引佐細江のみをつくし我れを頼めてあさましものを(14-3429)
とほつあふみ いなさほそえの みをつくし あれをたのめて あさましものを
<<浜名湖近辺引佐細江の澪標(みおつくし)みたいに、私にあなたとの恋路があるように期待を持たせておきながら、でも、あなたは全然その気はなかった>>

これら「我れ☆頼む」などを使った短歌は,信頼していた相手が亡くなったり,相手の気持ちが分からなくなった(ミスマッチが発生した)気持ちを端的に表しているように私は思います。
すなわち,ずっと変わらずにいてほしい愛おしい相手の存在,気持ち,行動に対する信頼が揺らいだ。そして,今風の演歌歌詞にでも出てきそうな一種の「怨みことば」にも似た感情表現として「我れを頼む」などが使われたのかもしれません。
万葉集には,古いと感じさせない時代の違いを超えた人間共通の感情の表現がそこここにありそうな気がします。今後もある種の共通した「ことば使い」を通してそれを発見する楽しさをみなさんと共有できればと考えています。
「頼む(3:まとめ)」に続く。

2010年5月4日火曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…頼む(1)

今回から,動詞「頼(たの)む」について触れてみたいと思います。
万葉集では「頼む」という言葉が意外と多くの和歌(30首以上)で出てきます。
その中でも「大船の思ひ頼む」または「大船の頼める時に」という決まり文句のような使われ方が併せて12首の和歌(長歌10首,短歌2首)に出てくるのです。
この用例は,万葉集では相聞,挽歌の両方で使われています。
ちなみに,「大船の」は「頼む」にかかる枕詞との解釈が一般的のようです。
この「頼む」の意味は,現代の意味における「信じる」に近い意味ではないかと私は思います。たとえば「思ひ頼む」は,心の中で頼りにしたい神仏や相手を信じて願うという意味があるようです。

大船の 思ひ頼みて さな葛 いや遠長く 我が思へる 君によりては 言の故も なくありこそと 木綿たすき 肩に取り懸け 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 天地の 神にぞ我が祷む いたもすべなみ (13-3288)
おほふねの おもひたのみて さなかづら いやとほながく あがおもへる きみによりては ことのゆゑも なくありこそと ゆふたすき かたにとりかけ いはひへを いはひほりすゑ あめつちの かみにぞわがのむ いたもすべなみ
<<心から信頼し遠くからずっとお慕いしているあなたの所為(せい)で,私は忌み言葉も口にせず,たすきを肩にかけ,神聖な甕(かめ)を身を清めて土を掘って置き,必死に神に拝むしかすべはないのですよ>>

詠み人知らずのこの長歌(相聞歌)は女性の作と言われているようです。
この長歌を返すことになった男性の長歌は,次の通りです。

菅の根の 懇に 我が思へる 妹によりては 言の忌みも なくありこそと 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を 間なく貫き垂れ 天地の 神をぞ我が祷む いたもすべなみ (13-3284)
すがのねの ねもころごろに あがおもへる いもによりては ことのいみも なくありこそと いはひへを いはひほりすゑ たかたまを まなくぬきたれ あめつちの かみをぞわがのむ いたもすべなみ いもによりては きみにより きみがまにまに
<<心から私が思っているあなたの所為(せい)で,私は忌み言葉も口にせず,神聖な甕(かめ)を身を清めて土を掘って置き,神事に用いる竹玉を間を空けずに緒に貫き垂らして,すべての神に拝むしかすべはないのですよ>>

下の男性の長歌を受け上の長歌を返した女性は,「思ひ頼みて」というほど,あなたの「懇に」に比べてもっと強い気持ちでいることを主張しているように感じます。
男女が熱愛関係に陥ると自分の方が愛しているのにあなたはそれほど愛していないのではないかという不安感が高まり,相手の気持ちを確かめずにはいられなくなるのかも知れません。
これは,愛する相手を一人占めにしたい,絶対離したくないという欲求によるもので,まさに相聞歌(相聞く歌)そのもので,相手の気持ちを確かめるためのものでしょう。
ストレートに相手の気持ちを聞くのではなく,自分の思いを伝え,「それであなたの方は?」という意味を言外に含ませる,恋の駆引き的なものが私には感じられますね。

天の川 「ちょっと待ってんか,たびとはん。 あんたは,そんな分かった風に言えるほど恋愛の経験なんか持ってへんのとちゃうか?」

え~っ。まあ,その点に関しましては~,早急に検討の上,可及的速やかに何らかの対応する所存でございます。「頼む(2)」に続く。