2013年11月24日日曜日

投稿300回記念スペシャル(1)‥四国特集(讃岐)

このブログの投稿回数はとうとう300回になりました。
始めて4年9ヶ月での達成です。この間,書く内容(文章)が全体としてほとんど同じになったものはなかったと思います。それだけ,万葉集はいろいろな切り口で見ることかできる貴重な日本の文化的財産であるという感慨をますます強く私は持っています。
さて,投稿300回記念スペシャルとして万葉集で四国を詠んだ和歌を4回シリーズで特集します。
その1回目は讃岐(今の香川県)がテーマです。讃岐といえば,愛称を「うどん県」と呼ぶくらい好きだいわれる「讃岐うどん」,金毘羅船船でおなじみの金刀比羅宮,源平合戦の戦場で知られる「屋島」「壇ノ浦」,瀬戸内海では2番目に大きな島でオリーブ林や寒霞渓で有名な「小豆島」などが今では観光スポットとなっています。
万葉集の柿本人麻呂が詠んだ長歌の中に「讃岐」という言葉がすでに出てきています。

玉藻よし讃岐の国は 国からか見れども飽かぬ 神からかここだ貴き 天地日月とともに 足り行かむ神の御面と 継ぎ来る那珂の港ゆ 船浮けて我が漕ぎ来れば 時つ風雲居に吹くに 沖見ればとゐ波立ち 辺見れば白波騒く 鯨魚取り海を畏み 行く船の梶引き折りて ~(2-220)
たまもよしさぬきのくには くにからかみれどもあかぬ かむからかここだたふとき あめつちひつきとともに たりゆかむかみのみおもと つぎきたるなかのみなとゆ ふねうけてわがこぎくれば ときつかぜくもゐにふくに おきみればとゐなみたち へみればしらなみさわく いさなとりうみをかしこみ ゆくふねのかぢひきをりて ~
<<讃岐の国は国柄かいくら見ても飽かない。また神柄かたいへん尊く見える。天地日月とともに満ち足りていく神のお顔(島々)と,絶え間なく人々が渡る那珂の港から,舟を浮けて漕いで來ると,潮時の風が空に吹き上げ,遙かな沖を見ると波が立つている。海岸を見ると白く碎ける波が騷いでいる。それで、海上を行くのが恐ろしく,舟の梶を折るくらい強く漕いで ~>>

<讃岐は海上交通の要所>
讃岐の国は風光明媚で,神話でも神々が出てくる国であり,船による交通の便も良く,港(ここに出てくる那珂の港は今の丸亀市あたりあったらしい)も栄え,豊かな国であったことが伺い知れます。
ただ,島々の間の海峡は潮の流れが速く,渦潮が出て,波も高く,船の航行は非常に危険だったように見えます。それでも海路が栄えたのは,たとえ危険を冒しても海路の方が陸路より早く,そして安く物資を移動できたという経済的な理由だった私は思います。
そのため,荒れた海路でも船を難破させずに目的地まで船を航行させる優秀な船乗りの収入は,危険手当も含め恐らく相当高かったと想像できます。そして,その船乗りたちが多く暮らす港町はさまざな物資を消費する商業も盛んになり,ますます繁栄したのではないでしょうか。
次は,万葉集の和歌の中には「讃岐」という言葉は出てきませんが,舒明天皇が讃岐の国に行幸したとき,同行した軍王(いくさのおほきみ)が讃岐の山を詠んだと題詞にある長歌です。

霞立つ長き春日の 暮れにけるわづきも知らず むらきもの心を痛み ぬえこ鳥うら泣け居れば 玉たすき懸けのよろしく 遠つ神我が大君の 行幸の山越す風の ひとり居る我が衣手に 朝夕に返らひぬれば 大夫と思へる我れも 草枕旅にしあれば 思ひ遣るたづきを知らに 網のの 海人娘子らが 焼く塩の思ひぞ焼くる 我が下心(1-5)
かすみたつながきはるひの くれにけるわづきもしらず むらきものこころをいたみ ぬえこどりうらなけをれば たまたすきかけのよろしく とほつかみわがおほきみの いでましのやまこすかぜの ひとりをるわがころもでに あさよひにかへらひぬれば ますらをとおもへるわれも くさまくらたびにしあれば おもひやるたづきをしらに あみのうらのあまをとめらが やくしほのおもひぞやくる わがしたごころ
<<霞の立つ長い春の一日が暮れてしまった。わけもなく心が痛むので,トラツグミ(ぬえ)のように忍び泣きをしていると,具合がよいことに我が大君がお出ましになった山を越えて故郷の方から吹て来る風が独りでいる私の衣の袖に朝な夕なあたって,ひるがえる(帰りたいと吹き返す)。立派な男子と自負している私だが,旅先なので思いを晴らす方法もなく,網の浦の海人乙女らが焼く塩のように,ただ家恋しさに焦がれている心境なのだ>>

この長歌の反歌として次の短歌が添えられています。

山越しの風を時じみ寝る夜おちず家なる妹を懸けて偲ひつ(1-6)
やまごしのかぜをときじみ ぬるよおちずいへなるいもを かけてしのひつ
<<山を越して来る風が時を分かず私の袖が吹き返す。そんなとき寝る夜は,いつも私は家に残した妻をその風に託して偲んだのだ>>

この2首からは,軍王にとって,讃岐の国は田舎で,寂しい土地だと感じられます。
海運で港町は栄えていても讃岐の国は平野は遮るものがない草原で,遠くの山から吹く風は冷たく強く(この行幸は冬だったようだと左注にあり),軍王にとってはつらいものだったのでしょう。天皇が泊まるところは謀反者が来たらすぐわかるように広い平地の真ん中で警備するのも大変だったのかもしれません。
香川県の平地(可住地面積)の割合は53.4%で全国10位です。山地が多い四国の他県を引き離して四国では断トツの1位です(ちなみに全国でもっとも可住地面積が狭い都道府県は高知県の16.3%)。なお,香川県は大阪布,沖縄県より狭い,全国で一番面積が小さい県なのです。
投稿300回記念スペシャル(2)‥四国特集(伊予)に続く。

2013年11月18日月曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「憎(にく)し」

<濃密な1泊2日>
昨日は,毎年恒例になった奈良明日香村の農園でのミカン狩りに行ってきました。
一昨日の土曜日は埼玉の自宅からいつものように早朝自家用車で出発し,圏央道,中央道,東名道,名神道の関ヶ原ICで一般道に入り,木之本から琵琶湖の最北端を回って近江舞子の施設にいる母を訪ねました。90歳近い母ですが元気な様子で一安心しました。
そこから奈良県大和郡山市のホテルまで,一般道を使って移動し,夕方ホテルに到着しました。いつもは,JR奈良駅前のホテルに一泊するのですが,残念ながら満室で予約が取れず,大和郡山の同系列ホテルとなった次第です。
場所が駅前で無く,周りが比較的閑散としていることを除けば,ホテル内部の設備(天然温泉有り)やサービスはほとんど同じでくつろげました。

翌日は穏やかな天気に恵まれ,明日香村は晩秋の風情に包まれていました。本当に良いところです。

今年は天候不良や木の場所の関係もあり,あまりミカンの出来はイマイチでしが,それでも20キロくらい入る大きな段ボール箱2箱以上の収穫がありました。また,現地での抽選会では最高賞の飛鳥米5キロ(2,500円相当)が当たりました(昨年は同2キロ当選でした)。


<本シリーズひとまず最終回>
さて,今回で心が動いた詞(ことば)シリーズはひとまず終わりとなります。
最後が「憎し」ではなく,もう少し良い言葉にしないの?と感じられる方もいるかもしれませんが,万葉集で「憎し」は反語的な用法として,正反対の意味を相手に伝えるときに使われています。
もっとも有名なのが大海人皇子(後の天武天皇)が,当時天智天皇の妻であった額田王に詠んだ次の短歌でしょうか。

紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも(1-21)
むらさきのにほへるいもをにくくあらば ひとづまゆゑにわれこひめやも
<<紫がお似合いのあなたを憎いと思っていたら,人妻であるにも関わらず恋しく思うことがあるのでしょうか。憎くない(大好き)なのですよ>>

次は,「憎くあらなくに」という反語的表現を使った詠み人知らずの短歌を紹介します。

若草の新手枕をまきそめて夜をや隔てむ憎くあらなくに(11-2542)
わかくさのにひたまくらを まきそめてよをやへだてむ にくくあらなくに
<<新妻の手枕をし始めてから一夜も隔てず共寝を止められようか。憎くはない(可愛くてしょうがない)のだから>>

万葉集には,このほか「憎くあらなくに」を詠んだ短歌が同じ巻11に4首出てきます。
その中で,「憎し」が二つも使われている詠み人知らずの女性が詠んだと思われる短歌を紹介します。

争へば神も憎ますよしゑやしよそふる君が憎くあらなくに(11-2659)
あらそへばかみもにくます よしゑやしよそふるきみが にくくあらなくに
<<人と争うと神がお嫌いになるということだが,それも良しとするか。僕と関係あることが知れている君は憎くないのだから>>

ここで紹介した3首とも「憎くない」という言葉を使い,相手に対する恋慕や好意の強さを強調する手法だと私は感じます。「憎くあらなくに」という言葉が当時流行っていた言い回しだったのかもしれませんね。
さて,今回で心が動いた詞(ことば)シリーズは一先ず終わりにします。次回から数回投稿300回記念スペシャルを投稿して,新しいシリーズをお届けします。
投稿300回記念特集(1)に続く。

2013年11月10日日曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「愛(うつく)し」

現代日本語では「うつくしい」は「美しい」と書きますが,万葉集では「うつくしい」は「愛らしい」「かわいい」「いとおしい」という意味で使われることが多く「愛しい」と書く方が意味が通じやすくなります。
次は大伴旅人が亡き妻を偲んで詠った短歌です。

愛しき人のまきてし敷栲の我が手枕をまく人あらめや(3-438)
うつくしきひとのまきてし しきたへのわがたまくらを まくひとあらめや
<<いとおしい人が手枕とした私のかいなを再び枕とする人はいるのか。いやもういない>>

大伴旅人は生涯に渡って,日本の各地の国府の長官などを務めた経歴をもっているといいます。
恐らく,最愛の妻とは京に帰ったときに妻問するのではなく,赴任地へ子供たちとともに同伴させたことも多かったと思われます。
最後の赴任地の九州大宰府には妻と家持ら子供も同行させたのだろうと考えられます。
そして,本当にいとおしかった妻に大宰府の地で先立たれた旅人の気持ちは察するに余りあるものがあります。
次は,つい手を出したくなる男の心理を詠んだ詠み人知らずの短歌です。

愛しと我が思ふ妹を人皆の行くごと見めや手にまかずして(12-2843)
うつくしとあがおもふいもを ひとみなのゆくごとみめや てにまかずして
<<可愛いと僕が思う彼女を,道ですれ違った人は皆振り返って見たりしている。だけど僕は彼女の肩を手で抱かずに,見るだけなんて我慢できないよ>>

公衆の面前で彼女の肩を抱くことは,今では全く抵抗はないと思いますが,私が若いころ(昭和後期)はまだ恥ずかしいという意識が女性にはあったのではないかと思います。
万葉時代そのような行為は,みだらな行為とみなされ,もっと抵抗があったと私は想像します。この短歌の作者はそれほどまで彼女ことを可愛いと言いたいのでしょうか。
最後は,「愛くし」が出てくる防人妻服部呰女(はとりべのあさめ)が詠んだ短歌を紹介します。

我が背なを筑紫へ遣りて愛しみ帯は解かななあやにかも寝も(20-4422)
わがせなをつくしへやりて うつくしみおびはとかなな あやにかもねも>
<<夫を筑紫に送り出して,いない夫の愛おしさのあまり帯を解かず,ああどうして寝らましょうか>>

帯を解いて寝るとは夫が来ることを待って寝ることを意味します。防人制度に肯定的な考えを持つ人間が万葉集を編集していたとすれば,こんな短歌を残すことはしないと私は思います。
防人という制度で多くの家庭が壊されていくことを万葉集の編者が悲しい気持ちで見ているからこそ,この妻が詠んだ短歌を選んで残そうとした。そんな気がしてなりません。
どんなに年をとっても人から愛される(必要とされる,いなくなったら悲しい)人は「愛(うつ)しい」人なのでしょう。
秋の夜長にふとそんなことを今回のブログを書いていて感じました。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「憎(にく)し」に続く。

2013年11月3日日曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「惜(を)し」

以前2010年8月から9月にかけて「動きの詞シリーズ」で万葉集の「惜しむ」を取り上げましたが,今回はその形容詞形です。「惜し」は,現代では「惜しい」という言い方をします。ただ,万葉時代の「惜し」の意味は現代の「惜しい」とは少し異なるかもしれません。
次は2012年2月6日の当ブログで紹介した大伴家持の短歌ですが,そこに「惜し」が出てきます。

大宮の内にも外にもめづらしく降れる大雪な踏みそね惜し(19-4285)
おほみやのうちにもとにも めづらしくふれるおほゆき なふみそねをし
<<宮中の内にも外にもめずらしく大雪が降った。この白雪をどうか踏み荒らさないで頂きたいものだ。(きれいな雪景色が荒らされるのが)惜しいから>>

私も中学校の頃,京都も年に数回雪が降り,教室から見る校庭がきれいだなと思っていたら,一部生徒が雪だるまを作るために雪の塊を転がしたあとが地面が見えて汚くなるのを惜しいと感じたことがありました。でも,親が子供に雪だるまを作らせるのは結果的に除雪ができるからだという都市伝説を聞いてからは,私は妙に納得しています。
さて,次も2012年9月23日の当ブログで紹介した詠み人知らずの短歌です。

白栲の袖の別れは惜しけども思ひ乱れて許しつるかも(12-3182)
しろたへのそでのわかれはをしけども おもひみだれてゆるしつるかも
<<袖が分かれているようにあなたとの別れはつらいけど,私の心が乱れてしまい結局あなたと別れることにしたの>>

ここでの「惜し」は「つらい」とか「残念だ」という感情が近いかもしれません。
最後は「自分の命さえも惜しくない」といった使い方の例として車持娘子(くるまもちのいらつめ)が詠んだとされる短歌(長歌の反歌2首の内の1首)を紹介します。

我が命は惜しくもあらずさ丹つらふ君によりてぞ長く欲りせし(16-3813)
わがいのちはをしくもあらず さにつらふきみによりてぞ ながくほりせし
<<私の命は惜しくはありませんが,あなたに寄り添えていられれば長く生きたいと願うのです>>

この歌(長歌+反歌2首)の左注には,娘子が夫との恋に疲れ,傷心のあまり病に伏し,痩せ衰えて臨終が間近になり,使者が夫を呼び,夫が駆け付けたとき,娘子がこの歌を詠んで息を引き取ったという言い伝えがあると書かれているようです。
言い伝えとあるため,この歌や車持娘子は実在しないフィクションの可能性がありますが,こういった歌物語の言い伝えが,当時の妻問いをベースとした夫婦関係を幸せなものにするための教訓の意味合いがあったのかもしれません。
万葉集で「惜し」は,このほか多くの長短歌で詠まれていますが,今回はこのくらいにします。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「愛(うつく)し」に続く。