2009年9月27日日曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(ち~,つ~)

引き続き,「ち」「つ」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)。

茅(ちがや)…イネ科の多年草。萱の一種。屋根を葺くのに用いる。
千尋(ちひろ)…非常に長い(深い)こと。尋は両手を広げた両手先間の長さ。
街,衢,巷,岐(ちまた)…道の分かれるところ。街路。
束(つか)…握ったときの4本の指の幅ほどの長さ。短いことの例えにも使われる。
墓(つか)…土を高く盛って築いた墓所。
栂(つが)…マツ科ツガ属の常緑高木。
官(つかさ)…役所,官庁。
机(つき)…つくえ。
杯(つき)…飲食物を盛る(注ぐ)のに用いた椀形の器。
調(つき)…貢。年貢。
搗く(つく)…杵や棒の先で打って押しつぶす。
黄楊,柘植(つげ)…ツゲ科の常緑小高木。
蔦(つた)…キヅタ,ツタウルシなど蔦性木本の総称。
嘰ろふ(つつしろふ)…少しずつ少しずつ食べる。
慎、障、恙(つつみ)…さしつかえ。障害。病気。
苞苴,苞(づと)…携えてゆくその地の産物,土産。
鯯(つなし)…コノシロ(鰶)の幼魚でコハダ(小鰭)より大きい頃の魚。
燕(つばめ)…ツバメ。
委曲(つばら)…くわしいさま。つまびらか。
躓く(つまづく)…けつまずく。
柧手(つまで)…そまひと(杣人)が荒造りした材木。角材。
柘(つみ)…ヤマグワ(山桑)の異称。
旋毛(つむじ)…つむじ風の略。
弦(つら)…弓のつる。
橡(つるはみ)…クヌギ(椚)の古名。ドングリのかさを煮て溶かした染料の色。

では,この中から委曲(つばら)が詠まれている大伴旅人の短歌を紹介します。

浅茅原委曲委曲にもの思へば 古りにし里し思ほゆるかも(3-333)
あさぢはらつばらつばらにものほへば ふりにしさとにおもほゆるかも
<<細かいことをあれこれ考えていると昔の故郷のことが思い出されるなあ>>

この短歌は,大伴旅人太宰府の長官になって筑紫に5年間赴任中に,奈良の都に対する望郷の思い詠んだ五首の短歌の一つです(「浅茅原」は委曲にかかる枕詞と言われている)。
この五首は,旅人が60歳を過ぎている頃に作られたと思われる一連の和歌です。
当時の太宰府は,博多湾に繋がってる御笠川が近くを通っていて,水運による物資の輸送は比較的活発な場所だったと思われます。それでも,海から20Km以上離れた内陸の地です。奈良の都のようなにぎやかさは望むべくもありません。
赴任直後に妻を亡くし,また奈良の都のようにさまざまな知人との交流もままならない旅人の寂しさは,堪えがたいものがあっただろうと想像します。
彼は,その寂しさを山上憶良たちと和歌を詠むことで癒したのだと私は思います。それらの和歌は筑紫歌壇として万葉集の一角を形作っています。

私は1年余りある都市で単身赴任に近い生活をした経験をしました。旅人やもっと長期間単身赴任している人に比べたら,私の場合比較にならないほど楽でしょうが,それでも旅人の気持が少しわかった気がします。

  天の川「そのときやったら,たびとはんはいろんなお店に行って楽しんではったよう...」

し~っ。 天の川君! それ以上は内緒にしておこうね!(「と」で始まる難読漢字に続く)

2009年9月21日月曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(た~)

引き続き,「た」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることば(多いです)で拾ってみました(地名は除きます)。

違ふ(たがふ)…一致しなくなる。相違する。背き外れる。
沈鳧(たかべ)…コガモの古名。
手柄(たかみ)…剣のつか。
激つ(たぎつ)…たぎる。
綰く(たく)…髪をかき上げる。手綱を操る。舟を漕ぐ。
栲綱の(たくづのの)…しら、しろ、新羅にかかる枕詞。
栲領巾(たくひれ)…楮(こうぞ)の繊維で作ったひれ(女性用マフラのような服飾具)。
栲衾(たくぶすま)…白にかかる枕詞。
襷(たすき)…衣服の袖をたくし上げるために肩から脇にかけて結ぶ紐。
佇む(たたずむ)…しばらくその場に立っている。立ち止まる。
畳薦(たたみこも)…隔て,へにかかる枕詞。
忽ちに(たちまちに)…すぐに、急に。
手束(たつか)…手に握り持つこと。
方便(たづき,たどき)…手かがり。手段。
携ふ(たづさふ)…互いに手を取る。連れ立つ。同伴する。
尋ぬ(たづぬ)…探し求める。探り求める。問い聞く。訪問する。
楯(たて)…戦陣で手に持ちまたは前方に立て,敵の矢,槍,剣などを防ぐための武器。
経緯(たてぬき)…機の経糸(たていと)と経糸(ぬきいと)。
織女(たなばた,たなばたつめ)…はたを織る女。秋さり姫。織女星。機織姫。
谷蟆(たにくぐ)…ヒキガエルの古名。
檀越(だにおち)…布施をする人。だんな。
戯れ(たはむれ)…遊び興ずること。
賜る(たばる)…たまわる。いただく。
度多し、度遍し(たびまねし)…多い。絶え間ない。
褌(たふさき)…ふんどし。
狂る(たぶる)…常軌を逸する。
妙(たへ)…不思議なまでに優れていること。
栲(たへ)…布。
手巻、環,手纏(たまき)…ひじに纏った輪形の装飾品。
廻む(たむ)…めぐる、まわる。
拱く(たむだく)…両手を組む。こまねく。
徘徊る(たもとほる)…同じ場所をぐるぐる廻る。行ったり来たりする。
揺蕩(たゆたひ)…彼方こなたへゆらゆらと動いて定まらないこと。
撓む(たわむ)…つかれていやになる。気力がなくなる。
手弱女(たわやめ)…たわやかな女性。なよなよした女。
手童(たわらは)…幼い子供。
撓(たをり)…山の尾根の低くくぼんだ所。鞍部。

中には比較的易しいと感じる難読文字も含まれているかもしれません。たくさん出現した理由は,もともと「た」で始まる言葉が多いためです。
この中の襷(たすき),戯れ(たはむれ),妙(たえ),方便(たどき)の四つが登場し,亡くした男の子のことを嘆き悲しむ山上憶良の長歌(5-904)があります。
長いので全部の紹介はやめて,ストーリと出現部分の紹介にとどめます。

<この長歌ストーリ>
七宝などに変えられないほど大切で可愛いわが子「古日」は,朝は私の床を離れず,いつも私と一緒に遊び,夕方になると私と妻の間で寝たいと可愛く言う。良くも悪くもこれから愛情を掛けて育てていこうとしたが,急に容態が悪くなった。白い布で作った襷を掛け鏡を持って,あらゆる神に祈りを捧げたが,容態が少しも良くならず,日に日に悪くなり,遂に死んでしまった。どんなに泣き叫び,悲嘆に暮れても,わが子は旅立ってしまう。これが世の中というものなのか。

(注)この後の短歌二首で「天に旅立つわが子にはお金をいっぱい持たせるから,天までの道にそのお金を布施として置き,天までの道をちゃんと教えてもらうんだよ」と憶良は詠んでいる。

<言葉の引用>
戯れ(たはむれ
立てれども 居れども ともに戯れ
<~たてれども をれども ともにたはむれ~>
<<立っていても座っていても一緒に遊んで>>

方便(たどき)
為すすべも 方便も知らに
<~なすすべも だどきもしらに~>
<<行う方法も手かがりも分からず>>

妙(たえ),襷(たすき
白妙の 襷を掛け
<~しろたえの たすきをかけ~>
<<白い布で作った襷を掛けて>>

この和歌から可愛くて仕方がなかった我が子を亡くした憶良の悲しみが今の私にも重く伝わってきます。
奈良時代は,病気の予防ワクチン,有効な抗生物質,効果的な医療技術などほとんどなく,一家に生れた子の内,何人かは成人になるまでに死ぬような時代でした。
しかし,子供が死ぬことが珍しいことではない時代にも関わらず,亡くした子に対する悲しみの感じ方は今と変わらないか,もっと深い部分もあるように私は感じます。
<当たり前に成人になれる現代は幸せか?>
今の日本,医療技術の発達や豊かな社会生活で病気により成人を迎えられずに死ぬ子どもの比率は恐らく奈良時代に比べて極端に少ないはずです。病死してしまう子どもを身近に見ることが少なくなった今,逆に生命の大切さを感じにくくなっている人が増えているのではないか。そのことが私には気になります。
少し誇張した表現ですが,今大多数の人は当たり前のように育ち,当たり前のように健康で,当たり前のように成人となることができる時代だと思います。(当たり前だから)生きていること自体に有難味を感じなくなってしまう人が,生きるか死ぬかの問題に比べたらはるかに些細と思われる理由で,自殺したり,他人を殺めりする傾向が強くなっていないでしょうか。
<亡くなった人を目の当たりにすると?>
水道,電気,ガス,電話などが使えなくなったとき,その有難味を身にしみて感じます。ただ,普段はいつでも使えるのが当たり前だと思い,使えなくなることを想定して有難味や感謝の気持ちで利用している人は少ないかもしれません。
大切な家族や近所の友達が亡くなってしまったり,重い不自由な身なってしまうのを目の当たりにする。そのことで,生命は儚いもので,大切にしなければならないものである。また,儚い自分の生命を大切にして生きていくには,長く生きた人(父母やお年寄り)の知恵に耳を傾けることが重要だと思い,尊敬の念を自然と持つようになっていくのだと私は思います。
<生命の大切さをどう教えるか?>
でも,子どもの死亡率に限らず,死亡率というものは低い方が当然良いはずです。医療技術や安全な社会システムによって当たり前に感じてしまう「無事に生きられている有難味」をどうやって教え,共有して行けばよいのでしょうか。
やはり,生命を大切にすることの重要性を感じている人たちが,障がい者や老人を大切にする,親を大切にする,家族や家族の絆を大切にする,住む処,職場や学校などの近隣の人やその人との繋がりを大切にするなど,一世紀も二世紀も前の人たちが言っていたことを愚直に教える,議論するという社会的な行動を起こす必要があるのかも知れません(例えば,戦前教育で同じことやっていたからという理由だけでステレオタイプにこのような教育の否定をやめて)。
<敬老の日に寄せて>
今日は敬老の日です。最近あるうれしいできごとで知った福山雅治の最新アルバムの中にある「道標」を聞き,さらに検索サイトにアップされた「道標」作成ストーリの映像も見ました。彼の故郷長崎の今は亡くなった祖母をモデルに,生命の大切さ,祖母への敬愛を唄った,心打たれるすばらしい曲だと私は思います。

まだ結構先ですが,私もいずれはお年寄りの仲間に入ります。

さて,どうせお年寄りになるなら,人生の後輩から少しは敬愛されるお年寄りになりたいものだね,天の川君?

天の川「こちらは歳を取りまへん。たびとはんと一緒にせんといてんか!」

みなさん,こういう憎まれ口は絶対にたたかないように注意しょう。(「ち」「つ」で始まる難読漢字に続く)

2009年9月15日火曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(せ~,そ~)

引き続き,「せ」「そ」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

堰く、塞く(せく)…相愛の二人を合わせないようにすること。塞き止める。
背向(そがひ)…背中合わせ、後方。
退方(そきへ,そくへ)…遠く離れた方。
背面(そとも)…南に対して北側のこと。
赭、朱(そほ)…赤色の土。その土の色。
杣(そま)…植林して材木をとる山。

あすか川堰くと知りせばあまた夜も率寝て来ましを堰くと知りせば(14-3545)
あすかがは せくとしりせば あまたよも ゐねてこましを せくとしりせば
<<明日香川の流れ(二人の仲)が堰き止められる(引き裂かれる)こと知っていたなら幾夜でも共寝をしに来たものを。そうなることを知っていればなあ>>

この短歌は,明日香川という奈良の地名を読んでいますが東歌です。
おそらく,この和歌の二人は,明日香川が堰き止められることはあり得ないほど恋慕は強く,永遠の愛を誓っていた。にもかかわらず,思いの強さとは裏腹に周囲や環境は二人が結ばれることを許さず,別離を迎えることになったのでしょう。
そんなことならもっともっと共寝をして抱き締めたかったのに。本当に心残りだな。そんな感情がストレートに伝わってきますね。
でも,そんな二人の思いを邪魔する(堰を作る)人がいて,結局結ばれることが叶わぬ恋となったとしても,二人の愛は永遠に続くような期待を持たせる和歌と僕は感じます。

今の世の中でも,結果的に結ばれなくても,そんな思いを心の支えして前向きに生きている人もたくさんいるような気がします。
そんな人たちは,例えば「ささやかなこの人生」(伊勢正三作詞作曲)の「♪そして巡る季節よ その愛を拾って終りの無い物語を作れ~♪」のフレーズをこよなく愛して聞いているのかも知れません。

天の川「たびとはん。気持ちよく書いてるけど,何かええことでもあったんか? ちょっとブログの趣旨と違う世界に入ってまへんか?」

天の川君,たまにはロマンチックな気分に浸らせてくれたまえ。(「た」で始まる難読漢字に続く)

2009年9月11日金曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(す~)

引き続き,「す」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

蜾蠃(すがる)…ジガバチの古称。美女の細腰にたとえられる。
双六(すぐろく)…すごろく。
助丁(すけを)…防人で正丁に対する中男または次丁の身分の称。
食薦(すごも)…食膳または机の下に敷く敷物。
啜ろふ(すすろふ)…すする。
集く(すだく)…多く集まって騒ぐ。
漁る(すなどる)…魚や貝をとる。漁をする。
皇祖(すめろき)…天皇。すめらみこと。
陶人(すゑひと)…焼物師。陶工。

今回は,食薦(すごも)を詠んだ短歌を紹介します。

食薦敷き青菜煮て来む 梁に行縢懸けて 休むこの君(16-3825)
すごもしき あをなにてこむ うつはりに むかばきかけて やすむこのきみ
<<テーブルクロスを敷いて 青菜を煮て来て進ぜよう 梁に革の腰覆いを掛け(酔いつぶれて)お休みの殿方のために>>

この短歌の作者は,長意吉麻呂(ながのおきまろ)という宴席で出席者の爆笑を誘うような即興による短歌創作を得意とする歌人です。この短歌には,作者が行縢(むかばき),青菜(あおな),食薦(すごも),家の梁(うつはり)の言葉を入れて詠むというお題に対して作ったしたという注釈が題詞についています。
この短歌で出てくる「君」は,結構偉い人で,いつもは礼節にやかましい人なのかも知れません。ただ,この宴席では正装具の行縢(むかばき)を脱いで梁にぶら下げ,相当見苦しい格好で寝ているのでしょう。
そこで青菜を丁寧に煮て,きちっと器に盛り付けて,クロスを敷いた上に置き,召し上がっていただくようにするときっと礼節正しいお姿に戻るのではないか?,いや今はとても無理か?,ちょっとやってみようかい?
こんな雰囲気だったのではないかと私は想像します。

この短歌で,宴席に参加した人たちは酔いつぶれて寝ている偉い人を見て,大いに笑ったのではないかと私は思います。
長意吉麻呂は,さしずめ万葉時代の『有効期限の過ぎた亭主・賞味期限の切れた女房』で知られている「綾小路きみまろ」のような人だったかも?と私は思いたいですね。

さてさて,天の川君に『有効期限の過ぎた”たびと”・賞味期限の切れた”投稿”』と言われないように頑張らねばね。(「せ」「そ」で始まる難読漢字に続く)

2009年9月5日土曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(し~)

引き続き,「し」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

柵(しがらみ)…川の水流をせき止めるための杭。
樒(しきみ)…シキミ科の常緑樹。白い花をつけるが実は猛毒。
時雨(しぐれ)…秋の末から冬の初め頃に,降ったりやんだりする雨。
醜(しこ)…みにくい、見苦しい、ごつごつした、頑固なさま。
獣(しし)…けもの。特に猪、鹿をさす。
肉(しし)…食用の肉。
繁(しじ)…ぎっしりすきまのないこと。
蜆(しじみ)…シジミ。
時(しだ)…~するとき。~しかけ。「寝しな」の「しな」の古語。
細螺(しただみ)…きさご、きしゃご、ぜぜがいなどと呼ばれる食用巻貝。
倭文(しつ)…古代の織物の一つ。穀(かじ)・麻などの緯を青・赤などで染め,乱れ模様に織ったもの。綾布。
垂づ(しづ)…たらす。
撓ふ(しなふ)…しなやかにたわむ。しなる。
小竹(しの)…細くて群がり生える小さい竹。篠。
屡(しばしば)…たびたび。幾度も。
咳く(しばぶく)…咳をする。
癈(しひ)…身体のある器官の作用を失うこと。
鮪(しび)…マグロの成魚。
標(しめ)…しるし。標縄。
笞、楚(しもと)…罪人を打つのに用いる細い木の枝で作ったむちまたは枝。
験(しるし)…効き目。有効なこと。
著し(しるし)…きわだっている。はっきりしている。いちじるしい。
銀(しろがね)…銀(ぎん)。

今回は,この中から,蜆(しじみ)と鮪(しび)を詠った短歌を紹介しましょう。
両方とも当時から美味な魚介類としてたくさん食べられていたようです。

住吉の粉浜の蜆 開けもみず隠りてのみや 恋ひわたりなむ(6-997)
すみのえのこはまのしじみ あげもせずこもりてのみや こひわたりなむ
<<住吉の粉浜のシジミがなかなか口を開けて中を見せないように 秘かに隠してばかりが続く私の恋心でしょうか>>

鮪突くと海人の灯せる 漁火の秀にか出ださむ 我が下思ひ(19-4218)
しびつくとあまのともせる いざりびのほにかいだせむ わがしたおもひを
<<鮪漁でモリを突くために漁師が灯す漁火のように はっきりと外に出してしまおうか私の秘めたる恋心を>>

両方の短歌(後者は大伴家持作)ともに,シジミやマグロ漁はいわゆるツカミとして使用されているだけで,最終的には恋の感情を表現している短歌です。
万葉集では,この2首のように比喩を使った和歌が多くあります。二つ目の家持の短歌は,先頭から「漁火の」までが序詞と呼ばれる部分です。結局序詞の部分は本体ではなく「漁火のように私の秘かな恋心をはっきり出してしまいたい」と言いたいだけなのです。
一方,最初の詠み人知らずの短歌は明確な序詞ではないですが,やはり「シジミの口が閉まって中が見えないように」という形になっています。
万葉集では序詞やその他の比喩を前置きに使った和歌は少なくとも数百首はあると思われます。家持などの優れた歌人もそういった技法を時として使っていますが,数からいうと大半が東歌防人歌,詠み人知らずの歌に出てきています。
これは日ごろ和歌を作ったことがない庶民や若者に簡単に和歌を作れるよう短期教育して作られたものが多いからではないかと私は思います。今でいうとカルチャーセンターや市町村の講習会で行われる「短歌手ほどき講座」みたいなものでしょうか。
さて,当時でも「~のような~」「~のように~」の考えで前半は自分の知っている経験や見てきたことを上の句で述べ,それに似た言葉,現象,比喩を使って自分の思いを下の句に入れると比較的簡単に誰でもが和歌が作れたのかもしれません。
これだけの東歌,防人歌,詠み人知らずの和歌が万葉集に出ている事実をみると,和歌の作り方を一般庶民や若者,地方の人たち,防人などの教養や知識のレベルアップのために熱心に教育した人たちがいたはずです。
大伴旅人や家持はそういった和歌創作教育にもっとも熱心だった人たちの一人に違いないと私は強く思います。
次は私が即興で序詞の技法を使い,旅人,家持の熱意の現代への浸透を思い作った短歌です。

山に雨幾年隠り 湧く水の清けく満たす 万葉心(たびと作)
<やまにあめいくとせかくり わくみずのさやけくみたす よろずはこころ>

天の川君から「そのまんまやん!何のひねりもあらへん」という声がすぐ聞こえてきました。
(「す」で始まる難読漢字に続く)