2010年1月11日月曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(を~)

今回で難読シリーズの最終回です。「を」で始まる難読漢字を万葉集に出てくる言葉を拾ってみました(地名は除きます)。
現代仮名使いでは「を」で始まる言葉はほんの一部を除きありません。
本ブログでは,万葉集の和歌に当てた漢字の読みは旧仮名使いを基本としていますから「を」で始まる読みが結構出てくるのです。

麻筒(をけ)…績んだ麻を入れておく筒状の器。
鴛鴦(をしどり)…オシドリ
食す(をす)…食べる、飲む、着る、治めるの尊敬語。
遠、彼方(をち)…それ以降、以外。遠いところ。遠方。
復、変若(をち)…もとにかえること。若返ること。
壮士(をとこ)…男。
娘子、処女(をとめ)…若い女性。
麻績(をみ)…麻を績むこと。また、それを職業としている人。

今回は,変若(をち)を含んだ小長歌を紹介します。

天橋も長くもがも 高山も高くもがも 月夜見の持てる 変若水い取り来て 君に奉りて変若得てしかも(13-3245)
あまはしもながくもがも たかやまもたかくもがも つくよみの もてるをちみづいとりきて きみにまつりてをちえてしかも
<<天に昇る梯子もより長いものが欲しい,高い山もより高い山が欲しい。月の神が持つという若返りの水をとってきて,貴方にお渡しして貴方の若さを取り戻したい。>>

万葉時代も今も自分の「老い」に対する不安,最愛の人や恩義を受けた人が老いて元気がなくなって行く姿を見て悲しい思いをすることがあります。
この長歌は,何とかして「月夜見」すなわち月の神が持つという若返りの妙薬「変若水」を月から取って来て相手に渡し,若返って昔の元気を取り戻してほしいという思いを切々と詠っているのだと私は思います。
<生老病死の苦しみ>
さて,人間が生れて死ぬまでの間,基本的に四つの苦しみ(四苦)を味わうと仏教では説いています(増一阿含経など)。いわゆる生・老・病・死の苦しみです。
生きること自体の苦しみ,老いる苦しみ,病気になった苦しみ,そして死ぬ苦しみ(不安)ですが,万葉時代と現代とではそれぞれの苦しさの重みが違ってきているように私には思えます。
万葉時代は重労働による疲労困憊・盗賊被害に遭う恐怖などから解放され元気生きたい,いつまでも若く元気で生きたい,病気もせず元気で生きたい,死の恐怖から解放され元気で生きたいという欲求が満たされないことに対する苦しみだったのだろうと私は思います。
<現代は生きることが苦しいと感じるヒトが少なくない?>
現代は,一般に罹りやすい病気の多くは治療できるようになり,老いに対する「変若水」のような防衛医療(アンチエイジング)も日進月歩で進み,人間の死も科学的に少しずつ解明されつつあります。
しかし,万葉時代から比べれば重労働からも解放され,比較的安全・平和・快適な世の中になっているにも関わらず,生きること自体の苦しみから解放されていない人々が多いのはなぜでしょうか。
日本の自殺者がここ10年連続で年間3万人を超えています。昨年の年間ベースで交通事故死者数の約6倍の数です。
この数は日本の人口に占める比率が約4千人に一人ということになります。
日本人を無作為に抽出して例えば東京ドームが満員になるように集めたとします。今の年間の自殺者数は,集まった人の中の10人以上が1年以内に自殺することを示しているのです。
昭和40年代,交通事故による死者が年間1万6千人を超えたとき,関係省庁や自動車メーカなどがさまざまな対策を地道に実施し始めました。その成果により,運転免許証の保有者が弛みなく増加しているにも関わらず,昨年は5千人と少しまで減少(改善)したようです。
<生きることの喜び,価値を感じるよう仕向ける>
一方,自殺者防止の対策は進んでいるのでしょうか?
自殺願望者は生きる苦しみから解放されたい一心がすべてなのでしょうが,結局生きることの価値,喜び,大切さを感じなくなってしまったか,元々感じない人であったと私は想像します。
人を自殺に追い込む原因(苦痛を伴う病気,過剰な競争,いじめ,強要,大きな格差など)の除去や自殺未遂者へのケアを考えることは重要で必須だと思います。
しかし,それのみでは些細なこと(治療による緩和された病苦,適正な競争,適切な励まし,適切なおせっかいなど)でも生きる気力が失せてしまう人は無くならないと私は思います。
<定期的なメンタル教育が必要?>
交通事故死者数を減らす対策の話に戻りますが,運転免許証の更新では必ず教育(違反点数により内容の違いあり)を受けることが義務付けられています。
一方,生きていくこと自体に免許取得は不要です。しかし,自動車免許更新教育のように,生きていくために必要な考え方や知識の定期的な教育の必要性を私は感じます。
小さい頃から生きることの価値,喜び,生命の大切さの徹底した教育,また大人になっても定期的に自殺の無意味さの教育受講を義務付けるくらいやらないと自殺者は減らないと思うのです。
<誰が教育するのか?>
では,人生の運転の心得の教育を行い,自殺者を減らしていく実行者は誰でしょうか。
私は,生命の大切さや平和を説くまじめな宗教者に期待したいし,関係省庁も政策の中にそういった教育を組み込むべきだと私は思います。
生きることの価値,喜び,生命の大切さを繰り返し説き,そして重い病気を罹患,事業の失敗,多大な借金,いじめを受けるというような不幸と感じる事態に遭遇しても前向きに生きる力を得るための気持ちの持ち方を,早急にプッシュ型(相談に来たら応える受け身ではなく)で実施すべき事態に今はなっているのではないでしょうか。
(難読シリーズ終り)

2010年1月9日土曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(わ~)

前回に引き続き,「わ」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

稚海藻(わかめ)…ワカメ
我許(わがり)…自分の居るところ。私のもと。
我家(わぎへ)…自分の家。
我妹子(わぎもこ)…男性が女性を親しんで言う語。
戯奴(わけ)…自分を卑下して言う語。
腸(わた)…内臓。
海神(わたつみ)…海神、海。
藁(わら)…稲、麦などの茎を乾かしたもの。

今回は,我許(わがり)を含む短歌(東歌)を紹介します。

多由比潟潮満ちわたるいづゆかも愛しき背ろが我許通はむ(14-3549)
たゆひがた しほみちわたるいづゆかも かなしきせろがわがりかよはむ
<<多由比潟に潮が満ちわたってきています。どこをお通りなるのでしょうか。愛しいあなたが私のもとに通ってこられるのは>>

これは,夫の妻問いを今か今かと待つ妻の気持ちを詠んだ和歌だろうと思います。
多由比潟は福井県敦賀市田結(たい)地区の海岸辺りのことかも知れませんが,実際にこの地で詠んだのかは私には分かりません。
というのも「多由比(たゆひ)」は夫の通いが途絶えている「絶ゆ日」となっていることに掛けて表すためにその地名を使っただけかもしれないと思うからです。
「潮満ちわたる」という表現は,夫が妻問いに来る道(その気持ち)が少なくなってきているのではないかという不安を表した比喩でしょうか。
また,「いづゆかも」は自分を思って通う気持ちが夫のどこかに残っているのか,それともまったくなくなってしまったのか分からなくなってきたという絶望感に近い感情,それが彼女の心の中で抑えきれなくなっている状況が私にはイメージできます。
でも,「愛しき背ろ」との思いは変わらず,ひたすら夫の通いを待つ自分がいるのです。
何の題詞もなく,注釈もなく,名前も残っていない女性が作ったと思われる短歌ですが,この短歌から作者は素晴らしい表現力を持っているのではないかと私は感じます。
まさに「東歌 侮るなかれ!!」ですね。(難読シリーズ最終回「を」で始まる難読漢字に続く)

2010年1月4日月曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(よ~)

前回に引き続き,「よ」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

讒す(よこす)…正しくないことを言う。事実を曲げて言う。
任す(よさす)…統治を委任なさる、お任せになる。
由、縁、因(よし)…由来、由緒、理由、訳。
縁,因,便(よすが)…ゆかり。たより。えん。
外、余所、他所(よそ)…ほかの所。他所。他事。局外。
同輩(よち)…同じ年頃の子供。同い年。
攀づ(よづ)…よじる。つかんで引く。
世間(よのなか)…この世。現世。ありきたり。世間普通。
婚(よばひ)…求婚。言い寄ること。夜恋人のもとに忍び込むこと。
黄泉(よみ)…死後、魂が行くところ。
蘇る,甦る(よみがへる)…生き返る。蘇生する。失っていた活力を取り戻す。
四方(よも)…あちらこちら。諸方。
蓬,艾(よもぎ)…ヨモギ。
縒る,搓る(よる)…まじえてねじり合わせる。組んで巻きつかせる。

今回は,搓る(よる)が出てくる短歌で,紀女郎(きのいらつめ)が大伴家持に贈ったものを紹介します。

玉の緒を沫緒に搓りて結べらば在りて後にも逢はざらめやも(4-763)
たまのをを あわをによりて むすべらば ありてのちにも あはざらめやも
<<互いの玉の緒を緩やかに縒り合わせ結んでおけば、生きているうちにいつかきっとお逢いできるに違いありませんが..>>

この短歌は非常に難解に感じます。というか,いろいろ解釈ができるともいえます。
実は紀女郎は万葉集の彼女の和歌の題詞にどのような女性だったかが比較的詳細に書かれています。
安貴王(あきのおほきみ)の妻であった紀氏の女性で,名を「小鹿(をじか)」と呼んでいたとあります。
ところが,夫の安貴王は非常に位の高い官人の妻と密通した罪で官職を奪われ追放処分(後に復帰?)になり,紀女郎は安貴王と離縁したようです。
その後,女官として宮中に勤め,若き大伴家持と接触し,相聞歌を交わす中になったのかも知れません。
その相聞歌を見る限り,家持の方の和歌はバツイチでかなり年上の女性紀女郎の魅力の虜になってしまったように感じます。
この短歌と併せて(ひとつ前の短歌)で,紀女郎はお互いの年の差について家持の気持ちを試すような短歌を贈っています。
この2首に対して家持は次の返歌をしています。

百年に老舌出でてよよむとも我れはいとはじ恋ひは増すとも(4-764)
ももとせに おいしたいでて よよむとも われはいとはじ こひはますとも
<<貴女が百歳になって歯が抜け,老いた舌が出てしまい,腰が曲がってしまったとしても,私の気持ちは変りません。私の恋する思いが増すことがあっても>>

家持は,前々回で投稿した笠女郎とはまったく逆で,よほど紀女郎にお熱をあげていたのだと感じます。
一方の紀女郎は家持を玩ぶような和歌も別に贈っていて,いたって冷静に対応しているように感じます。
家持が万葉集の編者ではないのでは?という主張の中に「いくら若い頃とは言え,編者だったら自分のこんな恥っさらしの短歌を選ぶか?」というのがあるのかも知れません。
しかし,若いうちから大伴家の将来を託された家持(生まれた時からその期待があり「家持」と名付けられた可能性も)にとって,本当に甘えられるような母親の愛情を十分受けられなかったのかも知れないと私は想像するのです。
一時期それを満たしてくれた紀女郎との思い出をしっかり残したかった家持の気持ちは,(母親の愛情は十分受けた)私にも理解できる気がします。
家持は紀女郎が亡くなるまで,その思いを持ち続けていたのかも知れません。
紀女郎が家持に贈った何首かの短歌も一見玩んでいるように見えてるものもありますが,実は家持の気持ちをよく理解して贈っているように私には思えます。

天の川「ところで,たびとはんはいつまでも若い女性の方が良(え)えのと違いまっか?」

天の川君,そんな気持ちがまだあったら万葉集のブログをやっているはずがないでしょ!!
(「わ」で始まる難読漢字に続く)

2010年1月1日金曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(ゆ~)

明けましておめでとうございます。このブログを開始して最初の正月を迎えることができました。
これからも当ブログ「万葉集をリバースエンジニアリングする」をよろしくお願いします。
前回(昨年末投稿)に引き続き,「ゆ」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)

斎(ゆ)…忌むこと。
靫(ゆき)…矢を差し込んでおく革の道具。
寛(ゆた)…緩やかなさま。ゆったりとしたさま。
弓弭(ゆはず)…弓の両端の弓弦(ゆづり)をかけるところ。
木綿(ゆふ)…コウゾの皮をはぎ,その繊維を蒸し,水に浸して裂いたもの。主として幣とし,榊の先に付けたもの。
忌忌し(ゆゆし)…はばかれる。忌わしい。不吉だ。

今回は,靫(ゆき)が出てくる詠み人知らずの短歌を紹介します。

靫懸くる伴の男広き大伴に国栄えむと月は照るらし(7-1086)
ゆきかくる とものをひろき おほともに くにさかえむと つきはてるらし
<<靫を肩に掛けている士官がたくさんいる大伴氏により,国がますます栄えると月が寿いで照っているようだ>>

革でできた靫(ゆき)を肩に掛けているような兵士の多くは,馬に乗って弓を引くことから,専門に戦術を学んだ士官級の兵士だろうと私は思います。
このように士官級をたくさん輩出してきた武門名高い大伴氏がいることで,国がますます栄えると祝福しているように月が明るく照っているという,まさにこれは大伴氏礼賛の短歌だと私は感じます。
<大伴氏の凋落>
しかし,この短歌は大伴氏の昔の勢いの復活を望んで詠んだのかもしれないとも併せて感じます。
飛鳥・天平の時代の流れは武家ではなく,政治・経済・法律・社会・国際の動向に通じていることが求められだしました。
正々堂々と戦い,勇気と武力あるものが高名を得る時代は幕を閉じ,さまざまな知識や情報を持つものが世の中を動かす時代になってきたのです。
そのため,情報を得るスパイ活動や容疑者の拷問,指導者の暗殺といったことが頻繁に行われる時代だったのかも知れません。
大伴家持は時代の変化に対し,国を守る武門の誇り,やまと言葉や文化を維持しつつ,必死で名門大伴氏を時代の流れに適応させようとしたのだと私は想像します。
しかし,家持の努力も甲斐なく,家持死後名門大伴氏は取り潰しに近い形で,勢力を消されていくのです。
<長き平安時代の安定>
その後に来る平安時代は,藤原氏による情報の統制,対抗者の排除,法律・規則の整備,社会や経済の発展が見られ,制度の修正を加えつつも400年近くに及ぶ平安文化の興隆と安定がもたらされたのです。
皮肉なことに平安時代の末期は制度維持に武家の武力に頼らざるを得ず,それが武家の勢力を再び増し,武家(平氏)の力によって平安時代が終わるのです。
<平城京遷都1,300年>
さて,もう周知のことだと思いますが,今年は平城京遷都1300年にあたる年です。奈良市やその周辺ではさまざまなイベントが企画されているようです。
万葉集も飛鳥・奈良時代の姿を映しだす鏡の一つであることは間違いないと私は思います。
しかし,そういった節目は節目として,私なりに「万葉集をリバースエンジニアリングすること(※)」を今年以降も続けていきたいと考えています。
※既にある○○説という色眼鏡を極力通さず,和歌の一つ一つの言葉から本質を理解していく行為

天の川「今年も時々顔を出すさかい,わても忘れんよう願いまっせ!」

おっと,天の川君も正月の挨拶はしたいみたい。併せてよろしくお願いします。
(「よ」で始まる難読漢字に続く)