2017年6月30日金曜日

序詞再発見シリーズ(19) …万葉時代の四つ足代表格は熊,馬,猪?

今回は陸上の動物(哺乳類)を序詞に詠んだ万葉集の短歌を見ていきます。
最初は,万葉集では,この短歌以外ではあまり出てこない動物の「熊」を序詞に詠んだ短歌です。

荒熊のすむといふ山の師歯迫山責めて問ふとも汝が名は告らじ(11-2696)
あらぐまのすむといふやまの しはせやませめてとふとも ながなはのらじ
<<熊が棲んでいるという師歯迫山を強く攻めて奪取したように,強く攻めて聞いても名はあかしてくれない>>

今でも,ツキノワグマが里山の住居に入ったとか,山菜取りの人を襲ったといったニュースが流れます。
この短歌でも「荒熊」とあるように,は人を襲うことが知られていたのだと想像できます。
万葉時代は,多くの荒れ地や山林の土地が開墾されて,農地が増えていった時代だったと私は考えます。その結果,熊の生息地を狭めたと思います。また,熊が冬眠する前に多くの食料を食べる必要がありますが,その食料が結果として農地によって豊富に作られる状況が発生したと想像できます。
熊は人が開拓・開墾した農地や農家に現れ,襲ったり,農産物を荒したりする事件は当時も頻繁に起こったと考えるのは可能だと私は思います。
師歯迫山富士山の南にある愛鷹山という説もあります。攻めた相手は何なのか少し気になりますね。
さて,農地を荒すといえばも引けを取りません。そんなイメージを詠んだ短歌ではありませんが,次は猪を序詞に詠んだものを紹介します。

高山の嶺行くししの友を多み袖振らず来ぬ忘ると思ふな(11-2493)
たかやまのみねゆくししの ともをおほみそでふらずきぬ わするとおもふな
<<高山の峰を行く猪のように供が多いので別れの袖を振らないで来たけれど,あなたを忘れていると思わないで

猪が高い山の嶺を堂々と行くかというと,少し違和感がありますね。ニホンカモシカなら絵になると思いますが,それは置いといて,猪は多産であり,子供を連れて移動することは不思議ではありません。
この短歌の作者は,それなりの立場の人で,仕事で旅に出るときにはお付きの人がたくさんいたのだろうと思います。本当は,最愛の人には特別に別れを告げたいのだけれど,妻問婚の世の中では夫婦一緒に暮らすことができない事情があり,それが叶わないのです。
夫婦と子供と一緒に暮らすという現代では当たり前な生活が,当時できなかった作者は,子連れで生活している猪がうらやましかったのかもしれません。
最後は,東歌の序詞でも触れましたが,奈良の周辺で飼育されているを序詞に詠んだ短歌を紹介します。

馬柵越しに麦食む駒の罵らゆれど猶し恋しく思ひかねつも(12-3096)
ませごしにむぎはむこまののらゆれど なほしこひしくおもひかねつも
<<馬柵越しに麦を食う馬が怒られるようにどんなに怒られてもさらに恋しく思ってしまうのだ>>

万葉時代,馬を垣の中で育てるような飼育方法もあったことが伺えます。
馬は垣の中の草を食んで大きく育てようと飼育者は目論んでいると私は考えます。
しかし,狭い土地だと馬の柵の隣が麦畑であれば,馬はそちらのほうがおいしそうなので,首を柵から出して,食べようとします。
飼育者は麦を作農して売る農家も兼ねていたり,隣が別の農家の麦畑であれば,麦の育成に被害が出ますがら,麦を食べようとする馬に対して,怒ったり,鞭で叩いたりしてやめさせようとします。それでも,麦のおいしさを知っている馬は,どんなに怒られても飼育者や麦畑の所有者の目を盗んでは,食べようとします。
そんな馬を見たことがあるこの短歌の作者は,自分が恋人(周囲から見ると他人の妻であっても?)を恋しく思うことを,どう反対されようともやめられない状況をこの序詞で表現しているように私は感じます。

天の川 「これ完璧な不倫の短歌やな。やったらアカンことほど,逆にえろうやりとうなるもんやなあ。そんでな~,たびとはんがネットで買うた金霧島。たびとはんが仕事に行っているときに届いたので,我慢できへんで,全部飲んでしもてん。」

え~っ! 天の川君をきつく指導するために馬用の鞭をネットで買いますか。
(序詞再発見シリーズ(20)に続く)

2017年6月12日月曜日

序詞再発見シリーズ(18) …小さな鳥はやかましい?

万葉集で序詞に鳥が出てくる投稿の2回目です。
今回は水辺で見かけることが多い鳥を見ていきます。
最初は,定番のが序詞に出てくる短歌です。

水鳥の鴨の棲む池の下樋なみいぶせき君を今日見つるかも(11-2720)
みづとりのかものすむいけのしたびなみ いぶせききみをけふみつるかも
<<鴨の棲む池の下樋が無いほどに恋しく待ち遠しい気持ちを流し去ることができず待っていたあなた様に今日お逢いできたのです>>

下桶(したび)は樽や桶の下に付けるような桶の中に残っている水や漬け込んだ発酵液を抜く口を指します。「樋口一葉」のように日本人の姓にも桶の口は使われています。
当時,下桶があり,鴨が飛来するような池を彷彿させる大きな桶(樽に近い?)が作られて,魚醤など,さまざまな発酵調味料が作られていたことが想像できます。
この短歌の作者は恋しい人と逢えたことの喜びを詠んでいるのですが,私にとっては「桶」がどんなものかに注目してしまいます。
この短歌,鳥のコーナーでないほうがよかったかも知れませんね。
次は,千鳥が序詞に出てくる短歌です。

ま菅よし宗我の川原に鳴く千鳥間なし我が背子我が恋ふらくは(12-3087)
ますげよしそがのかはらになくちどり まなしわがせこあがこふらくは
<<宗我の川原に鳴く千鳥のように絶えずあなたのことを私は恋しています>>

万葉集では,川で見かける鳥として千鳥が多く(26首ほど)詠まれています。
その中を見ると,千鳥は強く自己主張をしているように,やかましく鳴く鳥の代表格として詠まれていると私は感じます。
千鳥と川が詠まれている場合,山奥の川もあれば,比較的人が住む場所の川の場合もあります。
とにかく,千鳥は身近でいろんなところで見かける鳥だったとのだろうと私は想像します。
最後は,菅鳥を序詞に詠んだ短歌です。

白真弓斐太の細江の菅鳥の妹に恋ふれか寐を寝かねつる(12-3092)
しらまゆみひだのほそえのすがどりの いもにこふれかいをねかねつる
<<白真弓の生える斐太の細江に住む菅鳥のように妻に恋い焦がれているせいで夜毎なかなか寝つかれない >>

菅鳥はオシドリだという説が有力のようです。細江に棲む鳥なので,水に浮く鳥であることは間違いなそうです。
この細江はどこにあるのか不明のようですが,「斐太」が「飛騨」のことであれば,「飛騨地方」では,白い真弓がたくさん獲れることで京では有名だったのかも知れません。
また,その細江には「菅鳥」という鳥がいて,夫婦仲が良いことで知られていた。
場所はどうあれ,こんな地理的背景や場所の知識からこの短歌は詠まれたと私には感じ取れます。
次回は他の動物を見ていきます。
(序詞再発見シリーズ(19)に続く)

2017年6月2日金曜日

序詞再発見シリーズ(17) …鳥の尾は時間の長さを隠喩?

前回までで植物を詠んだ万葉集の序詞をもつ短歌の紹介を終わり,今回からは序詞に動物を詠んだ短歌を見ていくことにしましょう。
今回と次回は鳥を見ていきます。
最初は尾が長いヤマドリを序詞で詠んだ短歌です。

思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を(11-2802)
おもへどもおもひもかねつ あしひきのやまどりのをの ながきこのよを
<<思っても思っても思い尽きない。あしひきの山鳥の尾のように長いこの夜は>>

ヤマドリはキジ科の野鳥で,群馬県の県鳥に指定されているそうです。ただ,なかなか見かけることが少ない鳥のようです。私は実物を自然の中で見たことがありません。
この短歌から,ヤマドリの尾が長いことは当時からよく知られており,長いことの喩えとしてヤマドリの尾という表現がよくつかわれていたのだろうと感じます。
この短歌の類型として次の短歌が万葉集に出てきます。

あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む(11-2802S)
あしひきのやまどりのをのしだりをの ながながしよをひとりかもねむ
<<あしひきの山鳥の尾が垂れてしまうほど長いのと同じほど非常に長く感じるこの夜を一人で寝ることになるのだろうか>>

これ,どこかで見たことがありますよね。そう百人一首の中に柿本人麻呂が詠んだとして出てくる短歌と同じです。
この短歌は,最初の短歌に対して,ある本ではこのように読まれているとされているものです。
どの写本にこの短歌があって,いつごろ誰が詠んだか,そして,これがどうして人麻呂作として百人一首に入ったかは不明のようです。
ただ,いずれにしても持統天皇山部赤人の短歌のように,万葉集が百人一首を選ぶ際に何らかの形で影響したのは間違いがなく,この短歌もその一つかもしれませんね。
次は,万葉集によく出てくるホトトギスを序詞に詠んだ短歌です。

霍公鳥飛幡の浦にしく波のしくしく君を見むよしもがも(12-3165)
ほととぎすとばたのうらに しくなみのしくしくきみをみむよしもがも
<<霍公鳥が飛ぶ飛幡の浦に絶え間なく寄せては返す波のように君と絶え間なく何度も逢える方法はないものか>>

この飛幡の浦は,今の北九州戸畑区を指しているようです。ホトトギスとの関係は不明ですが,万葉時代,北九州にもホトトギスがいた可能性は否定できません。
もしかしたら,飛幡の浦は東南アジアから日本に渡ってくるホトトギスの経由地だったのかもしれません。ちなみにホトトギスの尾も少し長めです。
万葉時代に鳥たちもいろいろなイメージをもって和歌に詠まれたのでしょう。次回も鳥を扱います。
(序詞再発見シリーズ(18)に続く)