2018年4月27日金曜日

続難読漢字シリーズ(20)…柵(しがらみ)

今回は「柵(しがらみ)」について,万葉集を見ていきます。柵は水流をせき止めるために、川の中に杭を打ち並べて、それに木の枝や竹などを横に結びつけたもののことで,水の流れを堰き止めるために使われたと言われています。現代語で使われる「過去のしがらみで」という使い方のように「邪魔するもの」という意味の元の意味です。
最初は,柿本人麻呂が,文武(もんむ)天皇4(700)年4月,天智(てんぢ)天皇の皇女である明日香皇女(あすかのひめみこ)が亡くなったことへの挽歌(長歌)に併せて詠んだ短歌です。

明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあらまし(2-197)
<あすかがは しがらみわたしせかませば ながるるみづものどにかあらまし>
<<明日香川に柵(しがらみ)を渡して水の流れを堰き止めたら,流れる水も緩やかになるのに>>

明日香皇女を明日香川の水に喩え,流れ去る水を皇女の寿命とすれば,柵を渡し,もう少し皇女の寿命が去るのを延ばせたのではないかと人麻呂は詠んだのでしょうか。
次は,もう一首明日香川と柵を詠んだ恋の短歌です。

明日香川瀬々に玉藻は生ひたれどしがらみあれば靡きあはなくに(7-1380)
<あすかがはせぜにたまもはおひたれど しがらみあればなびきあはなくに>
<<明日香川の瀬ごとにきれいな藻が生えているけれど,柵があるので靡くこともできない>>

明日香川は,流れを緩やかにするため,または魚を獲るためなどに柵をあちこちに作っていたのでしょうか。
本当は柵がなく淀むことなくスムーズに水が流れるように,順調に自分たちの恋が進めばよいのに,堰き止める(邪魔する)ものがあるので,うまく進まない。そんな作者の恋の苦しみが私には伝わってきます。
最後は,恋の柵(邪魔もの)何するものぞという詠み人しらずの短歌です。

我妹子に我が恋ふらくは水ならばしがらみ越して行くべく思ほゆ(11-2709)
<わぎもこにあがこふらくは みづならばしがらみこして ゆくべくおもほゆ>
<<吾が妻を恋しいと思う気持ちを水の流れに喩えれば,どんな柵も通りこしてゆく激流のように思える>>

実は,人間を強い気持ちにさせていくには,少し抵抗や邪魔があったほうが良いのかも知れません。
仕事や付き合いで「やりにくいなあ」と感じたとき,「すごく嫌だな」と考えるか,自分のメンタル面を強くする材料と考えるかで,生きていく上での前向きさに差が出てくるような気がします。
4月からあたらしい環境に入った人たちには,慣れないために発生する様々な壁や嫌なことにぶつかるかも知れません。
その壁を成長のチャンスと感じられることが多いことを祈りたいですね。
(続難読漢字シリーズ(21)につづく)

2018年4月25日水曜日

続難読漢字シリーズ(19)…棹(さを)

今回は「棹(さを)」(当ブログでは基本旧かなづかいでふりがなを付けています)について,万葉集を見ていきます。棹は細い棒のことで,舟を動かすときに岸や海川などの底に差して行うときに使うものです。
最初に紹介するのは,鴨足人(かものたりひと)という人物が,藤原京の近くにあった天の香具山を詠んだ長歌です。ただし,京は廃され,平城京に遷った後を詠んだもののようです。

天降りつく天の香具山  霞立つ春に至れば  松風に池波立ちて  桜花木の暗茂に  沖辺には鴨妻呼ばひ  辺つ辺にあぢ群騒き  ももしきの大宮人の  退り出て遊ぶ船には  楫棹もなくて寂しも 漕ぐ人なしに(3-257)
<あもりつくあめのかぐやま かすみたつはるにいたれば まつかぜにいけなみたちて さくらばなこのくれしげに おきへにはかもつまよばひ へつへにあぢむらさわき ももしきのおほみやひとの まかりでてあそぶふねには かぢさをもなくてさぶしも こぐひとなしに>
<<天から降ってきたという天の香具山は霞が立つ春になると,松に吹く風に池は波立ち,桜の花は桜木の下のほうまでもたくさん咲き,池の辺りでは鴨が妻を求めて鳴き,岸辺ではあじ鴨の群れが騒いでいる。大宮人がいなくなり,大宮人が遊ぶ船には楫も棹もなくて寂しいことだ。そして 漕ぐ人もいない>>

ここに出てくる池は天の香具山の北東にある古池なのでしょうか。浅い池で船遊びの舟を動かすのは棹を使っていたのでしょう。なお,楫(かぢ)は舟の方向を調整する棒状のものだったようです。
万葉集には,京が廃された後に訪れで詠んだ和歌が複数出てきます。中でも有名なのは天智天皇が造営した大津京の廃墟を柿本人麻呂が見て詠んだ長歌(1-29)と反歌(1-30,31)があります。
そこでも,大宮人は船遊びをしていたことを想像させる表現があります。
次に紹介するのは,七夕を詠んだ詠み人しらずの短歌です。

我が隠せる楫棹なくて渡り守舟貸さめやもしましはあり待て(10-2088)
<わがかくせるかぢさをなくてわたりもり ふねかさめやもしましはありまて>
<<わたしが隠してしまった楫棹がなくては渡し守よ舟は貸せないでしょう。楫棹を探してもう暫らく待って>>

七夕のときに舟で天の川を渡ってくるように恋人が来てくれた。楫と棹を隠してしまい,彼が帰れなくなるようにしてしまえば,いつまでも一緒にいられるという作者の気持ちでしょう。
最後は,聖武(しやうむ)天皇の前の天皇である女帝元正(げんしやう)天皇が難波宮(なにはのみや)に行幸したときに詠んだ歌を,同行していた田辺福麻呂(たなべのふくまろ)が代わって詠唱したと伝えられるものです。

夏の夜は道たづたづし船に乗り川の瀬ごとに棹さし上れ(18-4062)
<なつのよはみちたづたづし ふねにのりかはのせごとにさをさしのぼれ>
<<夏の夜は木々が生い茂って道を行くのが大変である。船に乗り,川の瀬ごとに棹を差して進んでいくのが良いであろう>>

確かに,夏になると路傍の草木が生い茂り,細い道なら道全体を覆って進みづらくなる経験を私の子供のとき,田舎道で頻繁に経験したことがあります。
難波宮付近は海にそそぐ川がたくさんあり,水上交通のほうが盛んだったのを意識した短歌かも知れませんね。
(続難読漢字シリーズ(20)につづく)

2018年4月22日日曜日

続難読漢字シリーズ(18)…鞘(さや)

今回は「鞘(さや)」について,万葉集を見ていきます。鞘は刀剣の刀身の部分を入れる筒のことです。
最初に紹介するのは,坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が恋人の男性に贈った短歌です。

人言を繁みか君が二鞘の家を隔てて恋ひつつまさむ(4-685)
<ひとごとをしげみかきみが ふたさやのいへをへだてて こひつつまさむ>
<<人の噂が五月蠅いので,二鞘の中に隔てがあるように家を隔て(私に接することなく)恋い焦がれていらっしゃる>>

「二鞘」は2本の刀を一緒に入れることのできる鞘で,中に隔てがあるところから,「二鞘の」は「隔つ」にかかる枕詞とするようです。私は枕詞とはせず,そのまま現代訳にしてみました。
郎女は他人の噂を気にしてなかなか逢いに来てくれないことを嘆いて詠んだのでしょうか。
次は,柿本人麻呂歌集に出てくる旋頭歌を紹介します。

大刀の後鞘に入野に葛引く我妹真袖もち着せてむとかも夏草刈るも(7-1272)
<たちのしりさやにいりのにくずひくわぎも まそでもちきせてむとかもなつくさかるも>
<<太刀を使った後で鞘に入れることで思い出す入野で葛を引いているお前。あなたに袖付きの衣を作って着せてあげたいれで夏草を刈っているのよ>>

旋頭歌なので,男女の掛け合い(前半が男,後半が女)で現代語訳をしてみました。入野が地名なのか,入ることが許されている土地なのかは不明だそうです。その入野を引くために鞘がこの旋頭歌では使われています。
最後は,詠み人しらずの羇旅の長歌の一部です。

~ 道の隈八十隈ごとに 嘆きつつ我が過ぎ行けば  いや遠に里離り来ぬ  いや高に山も越え来ぬ  剣太刀鞘ゆ抜き出でて  伊香胡山いかにか我がせむ ゆくへ知らずて(13-3240)
<~ みちのくまやそくまごとに なげきつつわがすぎゆけば いやとほにさとさかりきぬ いやたかにやまもこえきぬ つるぎたちさやゆぬきいでて いかごやまいかにかわがせむ ゆくへしらずて>
<<~ 道の曲がり角や沢山の曲がり角でも, それごとに京を離れることを嘆きつつ我が旅行くと,なんと遠くまで住んでいた里を離れて来たことか,なんと高い山を越えて来たことか,剣太刀を鞘から抜くように速く,急いで旅してきた,伊香胡の山よこれから私はいかにしょうか,これからの道に迷って>>

この長歌の作者は本当に道に迷ったのか分かりませんが,故郷の近江の唐崎(次の反歌で詠まれている)のことが忘れられない気持ちの強さをどうしても表現したかったのでしょうか。
(続難読漢字シリーズ(19)につづく)

2018年4月19日木曜日

続難読漢字シリーズ(17)…細れ(さざれ)

今回は「細れ(さざれ)」について,万葉集を見ていきます。「細」を「さざれ」と読むのは,難読としました。「細れ」というと思い出すのが,日本国歌に「~さざれ石の~」として出てくる言葉です。
万葉集でも「細れ石」を詠んだ東歌があります。最初にそれを紹介します。

細れ石に駒を馳させて心痛み我が思ふ妹が家のあたりかも(14-3542)
<さざれいしにこまをはさせて こころいたみあがもふいもが いへのあたりかも>
<<小石だらけの道に馬を走らせて馬が大変だと心が痛むほどに思い詰めている彼女の家は多分ここらあたりかな>>

悪路の近道を選んで馬を走らせたのかも知れません。それだけ「早く彼女に逢いたい。馬には悪いが」といった作者の意図でしょうか。
さて,次は同じく細れ石を詠んだ東歌ですが,詠み方が「さざれし」となっています。東国の一部の方言かもしれません。

信濃なる千曲の川の細れ石も君し踏みてば玉と拾はむ(14-3400)
<しなぬなるちぐまのかはの さざれしもきみしふみてば たまとひろはむ>
<<信濃の国にある千曲川の小石も,あなた様が踏んだならば玉のように大切に思って拾おう>>

状況がよくわからず,想像に任せるしかないこの短歌ですが,住んでいる場所が千曲川の近くで,恋人は何らかの事情で旅立った。その時,千曲川を渡ったか,千曲川の河原に沿って下っていったのかも知れません。残された女性が詠んだ短歌と私は考えます。
最後は,「細れ波」を詠んだ短歌ですが,初瀬川には海にある磯が無くて残念だという長歌の反歌を紹介します。

さざれ波浮きて流るる泊瀬川寄るべき礒のなきが寂しさ(13-3226)
<さざれなみうきてながるる はつせがはよるべきいその なきがさぶしさ>
<<さざ波を水面に浮べて流れる初瀬川 だが釣り舟を寄せられそうな磯のないのが何とも寂く物足りない>>

山の中や盆地を流れる初瀬川に海の磯のような平らな場所を求めても無駄に決まっているのに,なぜこんな長歌と反歌を詠んだのかわかりません。作者が伊勢まで行くことが遠くて叶わず嘆いて詠んだのかも知れないと私は想像します。
(続難読漢字シリーズ(18)につづく)

2018年4月17日火曜日

続難読漢字シリーズ(16)… 防人(さきもり)

今回は防人(さきもり)という言葉が出てくる万葉集の短歌を紹介します。防人を「さきもり」と読める人は結構いらっしゃるかもしれませんが,漢字の読みから想像できないという意味で難読としました。
防人の制度は,大宝律令などで飛鳥時代から奈良時代に掛けて行われた,中国,朝鮮等から攻めてこられた場合を想定して九州に置かれた防衛軍でした。
防人の徴兵は,東国からも多数行われたことが万葉集の防人の歌から分かります。
この東国からの徴兵の厳しい状況を詳らかに万葉集に記録したのが大伴家持でした。
最初に紹介するのは,巻7にある古歌17首の中に出てくる短歌です。

今年行く新防人が麻衣肩のまよひは誰れか取り見む(7-1265)
<ことしゆくにひさきもりが あさごろもかたのまよひは たれかとりみむ>
<<今年新任で派遣される防人が着る麻布の粗末な衣の肩のほつれは誰が繕ってやるのか>>

家持は天平勝宝7(755)年あたりから担当していた,防人を難波の港から九州に順次派遣する職務中に,この古歌を見つけたようです。万葉集に残しただけでなく,着るものにも事欠く貧しい生活者が派遣される防人の悲哀を感じ,防人に同情感をもったのかもしれません。
次に紹介するのは,東歌の巻(巻14)に「防人」が登場する短歌です。

防人に立ちし朝開の金戸出にたばなれ惜しみ泣きし子らはも(14-3569)
<さきもりにたちしあさけのかなとでに たばなれをしみなきしこらはも>
<<防人の徴兵され,家の戸を出たあの夜明け方の門出に別れを惜しんで泣いた子が思われる>>

「金戸」は金属でできた戸とすれば,作者の家は結構立派な家と想像できます。徴兵された作者は東国でも裕福な家の若者だったのかもしれません。
最後に紹介するのは,巻20の防人の歌群から那須郡(なすのこほり:今の栃木県那須町付近)の大伴部廣成(おほともべのひろなり)という徴兵された作者の短歌です。

ふたほがみ悪しけ人なりあたゆまひ我がする時に防人にさす(20-4382)
<ふたほがみあしけひとなり あたゆまひわがするときに さきもりにさす>
<<「ふたほがみ」氏は悪い人である。なぜなら,私が「あたゆまひ」になっている時に,私を防人に指名する>>

東国において,防人の徴兵は地域にとって深刻な問題だったのでしょう。
誰が徴兵され,誰が徴兵を赦されるのか? どういった基準で徴兵者に選ばれるのか? その基準が住民に明確に知らされていたとは限りません。
徴兵された人は不満が発生する当然でしょう。
「ふたほがみ」とは何かわかりませんが,作者とってもよく分からない悪い徴兵選抜基準をイメージしているものだと私は思います。
また,「あたゆまい」とは,「ゆまい」が「やまい」の東国方言であれば,何かの病気に作者は罹っていた可能性があります。
そうなると,「何で健常者でない俺が?」ということになってしまいそうです。
世界には徴兵制度を実施している国はそんなに多くないようです。将来日本でこんな歌が詠まれることのないことを祈りたいものです。
(続難読漢字シリーズ(17)につづく)

2018年4月13日金曜日

続難読漢字シリーズ(15)… 蟋蟀(こほろぎ)

今回は蟋蟀(こほろぎ)について,万葉集を見ていきます。「蟋蟀」は昆虫のコオロギのことです。なかなかの難読漢字であるだけでなく,書くほうも大変な漢字ですね。
「こほろぎ」の原文(万葉仮名)の字は「蟋蟀」が使われています。当時の中国語で使われていた漢字がそのまま万葉仮名として使われていたことに興味を感じます。
最初に紹介するのは,志貴皇子の皇子の一人である湯原王が詠んだ代表作の短歌です。

夕月夜心もしのに白露の置くこの庭に蟋蟀鳴くも(8-1552)
<ゆふづくよこころもしのに しらつゆのおくこのにはに こほろぎなくも>
<<夕月の夜に心がしなえるほどに白露がおりているこの庭にコオロギが鳴いている>>

情景だけを詠んだだけのように思えますが,白露に濡れて悲しげに鳴いているコオロギのような自分がいるということでしょうか。
次に紹介するのは,詠み人しらずの相聞歌です。

蟋蟀の待ち喜ぶる秋の夜を寝る験なし枕と我れは(10-2264)
<こほろぎのまちよろこぶる あきのよをぬるしるしなし まくらとわれは>
<<コオロギが恋の季節が来たと歓喜の音色を奏でる秋の夜,私には時にあらずで,枕としか一緒に寝られない>>

コオロギたちは待ちに待った恋の季節である秋になって,相手と逢って恋の思いを鳴き声で伝えている。でも,自分はその相手がいないので,枕とともにするしかないという作者の気持ちでしょうか。
最後に紹介するのは,旋頭歌です。

蟋蟀の我が床の辺に鳴きつつもとな 置き居つつ君に恋ふるに寐ねかてなくに(10-2310)
<こほろぎのあがとこのへになきつつもとな おきゐつつきみにこふるにいねかてなくに>
<<コオロギが私の寝室の近くでしきりに鳴いている その状態で君恋しと待ちかねながら寝ようにも寝付かれない>>

万葉時代は妻問婚を考えると蚊が舞う頃より,虫が鳴く秋のほうが恋の季節としては良かったのかも知れません。でも,事情や都合でなかなか逢えない場合は,夜が長くなってより切ない気持ちになった季節でもあったと私は感じます。
(続難読漢字シリーズ(16)につづく)

2018年4月12日木曜日

続難読漢字シリーズ(14)… 薦(こも)

今回は「薦(こも)」について,万葉集を見ていきます。「薦」はマコモの古称で使われる場合と薦で作った筵(むしろ)や畳(たたみ)という意味で使われる場合があります。
最初に紹介するのは,加工品でない植物である薦を詠んだ東歌です。

まを薦の節の間近くて逢はなへば沖つま鴨の嘆きぞ我がする(14-3524)
<まをごものふのまちかくて あはなへばおきつまかもの なげきぞあがする>
<<薦の節の間のようにとても近くにいるのに逢えなので,私は沖のマガモのように嘆いていますよ>>

「まを薦」は「薦」の美称と考えられるので,「薦」と現代訳としました。
マコモは,節をもつ小さな「マコモダケ」と呼ばれるものができます(食用)。その節と節の間が近いように,すぐ近くにいるのに逢いに来てくれない寂しい気持ちが,マガモの鳴き声と同じ悲しげな泣き声を発しているという作者の気持ちが素直に出ていると私は感じます。
次に紹介するのは,薦で編んだ敷物について詠んだ短歌です。

畳薦へだて編む数通はさば道の芝草生ひずあらましを(11-2777)
<たたみこもへだてあむかず かよはさばみちのしばくさ おひずあらましを>
<<畳薦は何度も薦を通して編むといいます。そのように何度もあなたが来てくだされば,道の芝草も生え放題にならないでしょうに>>

万葉時代,水辺に生える大量の薦を刈り取って乾燥させ,それを編んで筵や畳に加工したのだと思います。
畳は筵よりもきめ細かく編み,表面が筵に比べてなめらかで,座り心地が良かったのかも知れません。丁寧に編み込んで作られる畳薦のイメージが,この恋の歌で見えてくるように私は感じます。
さて,最後に紹介するのは,薦で作った敷物が元の薦の1本1本にバラバラに朽ちても恋人の来訪を待ち続ける気持ちを詠んだ短歌です。

ひとり寝と薦朽ちめやも綾席緒になるまでに君をし待たむ(11-2538)
<ひとりぬとこもくちめやも あやむしろをになるまでに きみをしまたむ>
<<一人で寝ているだけで薦の敷物が朽ちてしまうでしょうか。 それでも,その敷物が紐になるまでもあなたを待ちます>>

今回紹介した短歌3首はすべて作者が分からないもので,私は女性が詠んだものだと感じます。
この3首で「薦」というものが,寝具や敷物の材料として定着していたことが改めて確認できたのではないでしょうか。
(続難読漢字シリーズ(15)につづく)

2018年4月1日日曜日

続難読漢字シリーズ(13)… 幾許(ここだ)

今回は幾許(ここだ)について,万葉集を見ていきます。「幾許」は「たくさん」「たいそう」「はなはだ」という意味です。
最初に紹介するのは,万葉集の愛好家なら多くの方が知っている,そして,このブログでも何回か紹介している東歌です。

多摩川にさらす手作りさらさらになにぞこの子の幾許愛しき(14-3373)
<たまかはにさらすたづくり さらさらになにぞこのこの ここだかなしき>
<<多摩川にさらす手織りの布がさらにさらにきれいになるように,どうしてあの娘がこんなに愛おしいのだろう>>

この短歌の良さはやはり作者の「幾許(ここだ)」の気持ちがポイントといえるだろうと私は思います。
次に紹介するのは相手が雪が降る中逢いに来てくれた喜びを詠んだ娘子作の短歌です。

ぬばたまの黒髪濡れて沫雪の降るにや来ます幾許恋ふれば(16-3805)
<ぬばたまのくろかみぬれて あわゆきのふるにやきます ここだこふれば>
<<黒髪は沫雪が降って濡れています。それでも貴方来てくれました。私がいっぱいあなたを慕っていたからてすね>>

この短歌も「幾許」の気持ちの大きさがポイントだと私は思います。
最後の短歌は,橘諸兄の使者として越中の大伴家持を訪れた田辺福麻呂(たなべのさきまろ)が宴席で詠んだものです。

いかにある布勢の浦ぞも幾許くに君が見せむと我れを留むる(18-4036)
<いかにあるふせのうらぞも ここだくにきみがみせむと われをとどむる>
<<一体どんな処なんでしょう,布勢の浦は。こうまで熱心に貴君が見せようと私を引き留めるのは>>

家持が京から来た福麻呂に「布勢の浦は絶景だから是非見てから帰ってくれ」と誘ったのでしょう。
布勢の浦は,今の立山連峰を遠くに臨む氷見海岸あたりと思われます。
こういう強い(幾許くに)誘いを使者の福麻呂にした家持には,橘諸兄にも越中に来てほしいという強い気持ちがあったのでしょうか。
(続難読漢字シリーズ(14)につづく)