2010年8月29日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…惜しむ(2)

万葉集の中で「惜しむ」を詠みこんだ25首ほどの和歌には,比較的定型的な表現が随所に出てきます。
たとえば,「(花が)散らまく惜しみ」「(季節が)過ぐらく惜しみ」「(夜が)更くらく惜しみ」「(夜が)明けまく惜しみ」「(白露が)置かまく惜しみ」といった具合です。
「動詞+まく(らく)+惜しみ」は「○○しそうで名残惜しんでいる」という意味になるようです。

我がやどの梅の下枝に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ(5-842)
わがやどの うめのしづえに あそびつつ うぐひすなくも ちらまくをしみ
<<私の家の梅の下枝でウグイスが楽しそうに遊んで鳴いている(梅の花が)散りそうで名残惜しんでいます>>

三諸の 神奈備山に たち向ふ 御垣の山に 秋萩の 妻をまかむと 朝月夜 明けまく惜しみ あしひきの 山彦響め 呼びたて鳴くも(9-1761)
みもろの かむなびやまに たちむかふ みかきのやまに あきはぎの つまをまかむと あさづくよ あけまくをしみ あしひきの やまびことよめ よびたてなくも
<<雷丘の向かいの甘橿の岡に 秋萩のような妻と 共寝に誘おうとして 朝月が出る夜に明けようとすのを名残惜しんで やまびこを響かせ 呼び立てては鳴く鹿よ>>

最初の短歌は,大伴旅人が筑紫長官をしていたとき大宰府で盛大に行われた梅の花を愛でる宴のとき,出席者が詠んだ32首の内の1首です。
2首目の長歌は,柿本人麻呂が詠んだといわれているものです。
夜,妻(雌鹿)に共寝を誘った雄鹿が朝月の夜が明けようとして,共寝が出来きず,名残惜しんでいるためか,山彦が起こるような大きな鳴き声で鳴きたてている姿を詠んでいます。
繰り返される雄鹿の悲しそうな鳴き声に起こされたが,隣には最愛の妻が寝ている自分(人麻呂)の幸福感を詠っているのでしないかと私は思います。
<「惜しむ」は今の幸せが変わらないでほしい気持ち>
これらの「惜しむ」の表現は,いつまでも今の状態が続いていてほしい。でも,やがて変わってしまうことが分かっている。
それでも,もう少し今のままでいてほしいという気持ちの表現に使う言葉です。
一日の変化,四季の変化は止めることはできないという無常感と,でも変わらないでほしいという希望との鬩ぎ合いを「惜しむ」という言葉は端的に表わしていると私は感じます。
「惜しむらくは」という言葉は,この用法が転じたかもしれないと思うのですが,いかがでしょうか。

天の川 「この夏いつまでも暑うてたまらんわ。たびとはんは若い頃のことを惜しんでいてもあかん年にとっくになってしもたしなあ。」

うるさい! 君は夏バテしているからオトナシクしていればいいの! オトナシクしていないと某党の前幹事長見たいに人気が落っこちるよ。
惜しむ(3:まとめ)に続く。

2010年8月23日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…惜しむ(1)

「惜しむ」は現代でも比較的使われている言葉だと私は思います(形容詞の「惜しい」はもっとポピュラーに使われていそうです)。
「別れを惜しむ」「急逝を惜しむ」「才能を惜しむ」「自分の命を惜しめ(大切にしろ)」「行く春を惜しむ」などとして使われることがまだあります。
万葉集では,25首ほど「惜(を)しむ」を使った和歌が出てきます。
<我が家の愛猫ランちゃん死す>
ところで,1週間余り前に我が家の愛猫「ランちゃん」が死にました。
ありし日のランちゃんです。

私の自己紹介に使っている写真の猫は「あう」です。「あう」と「ランちゃん」については,昨年7月18日のブログで少し紹介しています。
「ランちゃん」は15歳1カ月で天寿を全うしました。人間でいえば90歳を軽く超えている年齢でしょうか。
15年ほど前にスーパーのペットショップで「可愛い子猫だ」と妻と息子が選んで買ってきたヒマラヤンのメス猫です。
今年の猛暑が始まってしばらくして,急に食欲がなくなり,体力が急激に衰えてきました。
死ぬ2週間前あたりからは,トイレ以外はほとんど動けず,流動食や水を少し口にするのがやっとの状態でした。
ついに死ぬ数時間前(夜中)から,呼吸が不規則な状態になり,妻が「ランちゃん」に添い寝して身体をなでている中,眠るように息を引き取りました。
約15年間ずっと家族同様暮らしてきた猫ですから,もう少し長生きしてほしかったと「惜しむ」気持ちが続きました。
<ランちゃんの葬儀>
死後すぐに段ボール箱で簡易な柩を作り,その中に「ランちゃん」をタオルで丁寧にくるんで入れました。
何かあったときのために地方の鮮魚市場で鮮魚を買うと付いてくる保冷剤をいくつも冷凍庫に凍らせていたので,それを周りに並べ,傷まないようにしました。
柩を愛用のペットフードや水,遺影とともに仏壇の前に置き,保冷剤を取り替えながら,ロウソクと線香を絶やさず焚き続けました。
そして,翌々日の朝まで「ランちゃん」との別れを惜しみ,柩にシミキと菊の花,愛用のシートを敷き詰め,火葬場付きのペット霊園へ運びました。
ペット霊園はちょうどお盆の真最中で,多くの人が来ていて賑やかでした。
戻った我が家では「あう」と新参猫の「ぴん」が,何事もなかったように家中で運動会をしていました。

そんな中万葉集に次の詠み人知らずの短歌を見つけました。

薦枕相枕きし子もあらばこそ夜の更くらくも我が惜しみせめ(7-1414)
こもまくら あひまきしこも あらばこそ よのふくらくも わがをしみせめ
<<薦(こも)で作った質素な枕を共にして寝たあの子がこの世にいたならば,この夜の更けることを惜しみもするのだけれども>>

まさにそのときの妻の心境でしょうか。合掌。惜しむ(2)に続く。

2010年8月14日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…遊ぶ(3:まとめ)

大伴家持は越中の地(家持28~33歳)で「遊ぶ」という言葉を入れた和歌を多く詠んでいます。
以前にも何度か触れていますが,家持は越中で豊かな自然や暮らし,地元役人だけでなく,農業,漁業,商業に携わる人々と楽しく接することができ,平和な時間を過ごせたようです。
書持(ふみもち)という仲の良い弟を亡くした悲しみが越中赴任直後にありましたが,若いころから恋人同士だった坂上大嬢を妻に迎え,本当に幸せを感じた時期だったのかもしれません。
その結果,家持はこの越中で200首以上の和歌を詠み,いわゆる越中歌壇と呼ばれるジャンルを万葉集に残しました。
越中で最後に「遊ぶ」を入れた短歌は天平勝寶2年3月27日に酒宴で詠んだものです。

春のうちの楽しき終は梅の花手折り招きつつ遊ぶにあるべし(19-4174)
<はるのうちのたのしきをへは うめのはなたをりをきつつあそぶにあるべし>
<<春のなかでいちばんの楽しみは,梅の花を手折って客を迎え,楽しく遊ぶことに決まりだね>>

この短歌を詠んだ時期は梅はとっくに散っている季節です。
この短歌の題詞に,家持が筑紫の大宰府で父大伴旅人と一緒にいたとき,梅の花を愛でる宴を追想して詠んだとあります。
この宴は,越中赴任時代の20年ほど前の天平2年正月に催された宴を指すと思われます。
このとき,出席者が1首ずつ詠んだ32首が万葉集に残っていますので,その盛大さが想像できます。家持がその時に出席者によって詠まれた短歌の記録を所持していたのでしょう。
家持は筑紫でのその盛大な宴にいた可能性が高そうです。しかし,家持は12歳位だったのでさすがにそのときの家持の歌は残っていません。
越中の家持は筑紫の梅花の宴32首を前提にして19-4174の短歌を作ったと想像しますが,特にあるひとりの参加者(法麻呂という陰陽師)の次の歌を意識したのではないかと私は思います。

梅の花手折りかざして遊べども飽き足らぬ日は今日にしありけり(5-836)
<うめのはな たをりかざしてあそべども あきだらぬひはけふにしありけり>
<<梅の花を手折って頭に飾りいくら楽しく遊んでも少しも飽き足ることがない日はまさに今日の宴でしょう>>

家持は本当に楽しかった筑紫の宴を思い出して越中の出席者に梅見の遊びの楽しさがいちばんだと断言したかったのでしょう。

しかし,天平勝寶3年秋に越中守の任を終了し奈良の都に戻った家持に待っていたのは血で血を洗う権力闘争や庶民生活を脅かす重税でした。
聖武天皇は東大寺大仏建立のことばかり考え,光明皇后や藤原仲麻呂の意のままに政治が進み,家持の後見役的な左大臣橘諸兄は家持越中赴任前ほど力を持たなくなっていたのです。
家持は19-4174を詠んだ3年後の春(大仏開眼法要も無事終わった翌年,本当は楽しいはずの季節)に,次のような自分の暗い気持ちを詠んだ有名な短歌を残しています。

うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独し思へば(19-4292)
<うらうらに てれるはるひにひばりあがり こころかなしもひとりしおもへば>
<<日差しが柔らかに照っている春日に雲雀が飛び上がっているが,独りで思いにふけると心は悲しくなるなあ>>

惜しむ(1)に続く。

2010年8月7日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…遊ぶ(2)

今日は立秋です。また,旧暦の七夕(奈良時代は七夕は秋の季節を指す言葉)の時期でもありますね。
旧暦の七夕なので,ここでひさびさに天の川君登場を願いたいところですが,残念ながら完全に夏バテ状態で伏せっています。
さて,万葉集で「遊ぶ」を詠んだ和歌には実は七夕の時期のものはあまりなく,梅の花が咲く春や歓送迎の宴席を指すことが多いようです。。
万葉時代,冬は自宅に閉じこもっていることが多かった。でも梅の花が咲き,まさに春間近,みんなで集まり,これからの活発に活動できる時期を楽しみあったことを「遊ぶ」は指したのかも知れません。
もうひとつの「遊ぶ」の主役,歓送迎などの宴もみんなで集まることが楽しみの大きな要素です。
それに対して七夕の時期は恋の季節なので,みんなで集まる楽しみとは違う一対一の恋の和歌が詠われたのかも知れませんね。

さて,前回大伴家持が「遊び」を詠んだ和歌が9首あると書きましたが,その父旅人も1首「遊ぶ」を入れた短歌を詠んでいます。

世間の遊びの道に楽しきは酔ひ泣きするにあるべくあるらし(3-347)
よのなかのあそびのみちにたのしきはゑひなきするにあるべくあるらし
<<世の中の遊びの中で一番楽しいことは、酒に酔って泣くことに決まっているようなのだ>>

この短歌は旅人の代表作「酒を讃むる歌十三首」の1首です。この酔って泣くという意味は,一人で飲んで泣いているのではないと私は想像しています。
多くの仲間と酒を酌み交わし,大声で喋ったり,笑ったり,叫んだりして,とうとう声が嗄れてきた状態を指すのではと私は思うのです。
酔った人間の中には「俺の話を聞けよ!」「おい,分かってんのか!? この野郎!」などと他人に絡む人がいます。
絡まれた人間はえらい迷惑ですが,翌日当の本人はカラッとしていることがあります。
<本当は自分の話を聞いてほしい>
ある種の文明社会の人間は,本当は自分の話(本音)を聞いてほしいと常に欲求している動物ではないかと私は考えています。
さまざまな組織内の規則,調和,チームワーク,相手の気持ちを維持するため,言いたいことを我慢するか,やんわりと伝えることばかり経験していると,その人には着実にストレスがたまっていくのではないでしょうか。
そういう時,楽しく酒を呑みながら率直にたくさん話をし合うことが,そのストレスを発散に有効ではないかという大伴旅人の考えに,ペンネーム「たびと」の私も賛成したくなります(もちろん,度を過ごして人に絡むようなことをせず適量の呑むのが条件です)。

ところで,旅人の異母妹である大伴坂上郎女も次のような「遊ぶ」と「酒」を詠んだ短歌を残しています。

かくしつつ遊び飲みこそ草木すら春は咲きつつ秋は散りゆく(6-995)
かくしつつあそびのみこそくさきすらはるはさきつつあきはちりゆく
<<この宴では,こうしてみんなで遊び楽しみ、お酒を召し上がってください。草木ですら自然に春は生い茂り、秋には散ってしまうのです(先のことは気にせずに)>>

<女性は話し好きでストレスが低い?>
最近,ある程度人生経験を積んだ女性たちが,同年代の男性たちよりもすこぶる元気に見えるのは,とにかく話好きだからではないかと私は思っています。
はたから見ていて「よくもこんなに長く話ができるなあ」と感心しつつも,そのような女性たちは1人以上の相手とちゃんと話のキャッチボールが出来ているのです。
私はこれからさらに元気で楽しい人生を送るために,何時間でも(双方向で)話をし続けられる友人をたくさん作り,世の元気な女性たちに負けないくらい話す機会が「遊ぶ」時間の多くを占める状態にしたいと考えているのです。
遊ぶ(3:まとめ)に続く。