2010年8月7日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…遊ぶ(2)

今日は立秋です。また,旧暦の七夕(奈良時代は七夕は秋の季節を指す言葉)の時期でもありますね。
旧暦の七夕なので,ここでひさびさに天の川君登場を願いたいところですが,残念ながら完全に夏バテ状態で伏せっています。
さて,万葉集で「遊ぶ」を詠んだ和歌には実は七夕の時期のものはあまりなく,梅の花が咲く春や歓送迎の宴席を指すことが多いようです。。
万葉時代,冬は自宅に閉じこもっていることが多かった。でも梅の花が咲き,まさに春間近,みんなで集まり,これからの活発に活動できる時期を楽しみあったことを「遊ぶ」は指したのかも知れません。
もうひとつの「遊ぶ」の主役,歓送迎などの宴もみんなで集まることが楽しみの大きな要素です。
それに対して七夕の時期は恋の季節なので,みんなで集まる楽しみとは違う一対一の恋の和歌が詠われたのかも知れませんね。

さて,前回大伴家持が「遊び」を詠んだ和歌が9首あると書きましたが,その父旅人も1首「遊ぶ」を入れた短歌を詠んでいます。

世間の遊びの道に楽しきは酔ひ泣きするにあるべくあるらし(3-347)
よのなかのあそびのみちにたのしきはゑひなきするにあるべくあるらし
<<世の中の遊びの中で一番楽しいことは、酒に酔って泣くことに決まっているようなのだ>>

この短歌は旅人の代表作「酒を讃むる歌十三首」の1首です。この酔って泣くという意味は,一人で飲んで泣いているのではないと私は想像しています。
多くの仲間と酒を酌み交わし,大声で喋ったり,笑ったり,叫んだりして,とうとう声が嗄れてきた状態を指すのではと私は思うのです。
酔った人間の中には「俺の話を聞けよ!」「おい,分かってんのか!? この野郎!」などと他人に絡む人がいます。
絡まれた人間はえらい迷惑ですが,翌日当の本人はカラッとしていることがあります。
<本当は自分の話を聞いてほしい>
ある種の文明社会の人間は,本当は自分の話(本音)を聞いてほしいと常に欲求している動物ではないかと私は考えています。
さまざまな組織内の規則,調和,チームワーク,相手の気持ちを維持するため,言いたいことを我慢するか,やんわりと伝えることばかり経験していると,その人には着実にストレスがたまっていくのではないでしょうか。
そういう時,楽しく酒を呑みながら率直にたくさん話をし合うことが,そのストレスを発散に有効ではないかという大伴旅人の考えに,ペンネーム「たびと」の私も賛成したくなります(もちろん,度を過ごして人に絡むようなことをせず適量の呑むのが条件です)。

ところで,旅人の異母妹である大伴坂上郎女も次のような「遊ぶ」と「酒」を詠んだ短歌を残しています。

かくしつつ遊び飲みこそ草木すら春は咲きつつ秋は散りゆく(6-995)
かくしつつあそびのみこそくさきすらはるはさきつつあきはちりゆく
<<この宴では,こうしてみんなで遊び楽しみ、お酒を召し上がってください。草木ですら自然に春は生い茂り、秋には散ってしまうのです(先のことは気にせずに)>>

<女性は話し好きでストレスが低い?>
最近,ある程度人生経験を積んだ女性たちが,同年代の男性たちよりもすこぶる元気に見えるのは,とにかく話好きだからではないかと私は思っています。
はたから見ていて「よくもこんなに長く話ができるなあ」と感心しつつも,そのような女性たちは1人以上の相手とちゃんと話のキャッチボールが出来ているのです。
私はこれからさらに元気で楽しい人生を送るために,何時間でも(双方向で)話をし続けられる友人をたくさん作り,世の元気な女性たちに負けないくらい話す機会が「遊ぶ」時間の多くを占める状態にしたいと考えているのです。
遊ぶ(3:まとめ)に続く。

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