2011年6月26日日曜日

天の川特集(1)‥万葉集は「七夕」を特別扱いしていた?

万葉集で「天の川」という言葉が出てくる和歌が50首近くあります。ただし,その和歌の出現する巻が偏っています。巻8,巻9,巻10,巻15,巻18,巻20に出現しますが,多くは巻8と巻10に集中し,それ以外は1~2首だけです。
天の川」(英語:the Milky Way または the Galaxy)は,ご存知の方も多いかと思いますが,我々が住む地球が属する銀河系(平べったい形)の厚い部分(星が重なって見える部分)が地球から見て星の川のように見えるからだそうです。
そのため「天の川」は一年中見られるのですが,日本近辺では夏の夜はその重なり具合が大きくなる位置(銀河系の中心方向を見る)に地球が来て,よりハッキリと川のように見えるようです。
<子供のころの思い出>
私が小学生位の頃,京都の山科ではまだ市街化された部分が少なく,晴れた夏の夜天の川がはっきり見えました。
また,七夕近くになると,子供がいる家では,玄関先に笹の木を立て,色紙を切って作った短冊(短冊に「天の川」と書くことも)に紐をつけてその笹の先に結び,また市販のきらきら光る細長い飾りを付け,七夕飾りをする家庭が多かったように記憶しています。
<万葉集では>
万葉集の「天の川」の和歌は当然かもしれませんが,次のように天の川の対岸に別れている彦星織姫が年に一度「七夕」の夜に逢えるという伝説を題材にしているものが多いようです。

天の川楫の音聞こゆ彦星と織女と今夜逢ふらしも(10-2029)
あまのがはかぢのおときこゆ ひこほしとたなばたつめと こよひあふらしも
<<天の川に梶(艪や櫂)の音が聞こえてきます。彦星と織女は今夜逢うようです>>

彦星と織女と今夜逢ふ天の川門に波立つなゆめ(10-2040)
ひこほしとたなばたつめと こよひあふあまのかはとに なみたつなゆめ
<<彦星と織女が逢う七夕の今宵は天の川の渡し場所よ波穏やかであれ>>

織女の今夜逢ひなば常のごと明日を隔てて年は長けむ(10-2080)
たなばたのこよひあひなば つねのごとあすをへだてて としはながけむ
<<織姫は七夕の今夜彦星に逢えたなら明日からいつものように離れ離れになり,一年間という長い月日を過ごすのですね>>

これらの短歌はすべて巻10に出てくる詠み人知らずの短歌で,「秋の雑歌」の「七夕」と題した98首の長短歌の中に出てくるものです。
私の訳を見て頂ければ分かるように,これらの短歌の表現したいことは非常にシンプルです。何か「七夕」や「天の川」の逸話を解説しているようだとも私には感じられます。
あの天の川君だったらきっと「アカン。そのまんまやんけ。何のひねりもあらへん。」と,私の作った短歌に対する評価と同じように酷評するかもしれませんね。
<万葉集での七夕の扱い>
万葉集にわさわざ「七夕」と分類して98首も詠み人知らずの和歌を掲載するのは万葉集の編者の意図があるのではないかと私は想像します。

・当時,「七夕」伝説を研究することを趣味とする会(複数かも)があり,年に一度「七夕」の時期に集まり,和歌を詠む(ただし,匿名で詠む)行事を行っていた。
・その会(「七夕学会」のようなもの)に所属するメンバーは「七夕」伝説にあこがれる人々が多かった。
・会のメンバーは自分の「七夕」伝説に関する知識を和歌で競い合っていた。
・編者はその会の主催者または主要メンバーであり,「七夕」伝説を広めたかった。

ここまで想像を膨らましたついでにさらに想像を膨らまします。「七夕」伝説を広めようとしていたのは,実は山上憶良大伴家持だったのではないかと。
その心は次回でテーマとします。
天の川特集(2)に続く。

2011年6月21日火曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…住む(3:まとめ)

<東日本大震災の被害の甚大さがやっと見えてきた>
2011年3月11日は東日本大震災(大地震と大津波)が多くの尊い命と,さらに多くの人々の住む場所を奪ってしまった日でした。
住む場所を奪われた方々の今なお続く避難生活や仮住まいの状況をテレビのニュースやインターネットで目の当りにすると,いかに住む家の存在自体が貴重なものであったかを身にしみて感じさせてくれます。
その後発生した電力不安は今も続き,これまでの安寧(あんねい)がいつ奪われてしまうか分からない(いつまでも豊かで平和であるとは限らない)ことを今回の大災害が改めて教えてくれたのではないでしょうか。
私は仏教についてごく浅い知識しか持っていませんが,仏教が説く無常(一切のものは生滅・変化して常住<じょうじゅう>のものはない)観がまさに今の日本にとって現実のものとなっているようにも思えます。
<万葉集の仏教感>
万葉集には,当時中国(唐)などから入ってきた斬新な仏教の教えにあるそのような無常観を前提に詠んだと思われる短歌が出てきます。

世間の繁き仮廬に住み住みて至らむ国のたづき知らずも(16-3850)
よのなかのしげきかりほにすみすみて いたらむくにのたづきしらずも
<<この世の中のわずらわしい仮の住みかに長く住んで,いずれ行くあの世とやらがどんなものかも私にはわからない>>

この短歌は,河原寺(かわはらでら)の仏堂の裏に置かれていた琴に書いてあったと左注に書かれていますので,僧侶が琴を使ってこの内容を唄うように伝えたのかも知れません。
この短歌はさまざまな仏教の経典によって,解釈がいろいろできるかも知れませんが,私なりに解釈すると次のようになります。

私達が喧騒のこの世の中で住んでいる家は仮の庵(いおり)のようなものである(常住ではなく,いつ無くなるかも知れない)。
そんな無常な世の中を穢土(えど。けがれた場所)であると諦め,今はひたすら経文を唱え我慢して住み続けても,あの世に行ったとき西方浄土(さいほうじょうど)がどんなに極楽な場所なのか分からない。
やっぱり,仮庵と言われようが穢土と言われようが,この世の中では仏教の教えに帰依し,自らを高め,積極的に行動して住み続けて行くことしかない。


ところで,人々が苦しい暮らしの中でも前向きに生きようという気持ちを支えてくれる大きな力の一つに家族があるのではないでしょうか。

家ろには葦火焚けども住みよけを筑紫に至りて恋しけ思はも(20-4419)
いはろにはあしふたけども すみよけをつくしにいたりて こふしけもはも
<<家では葦火を焚いていたけれど住みよかったなあ。筑紫に着いても家を恋しく思うだろうなあ>>

この短歌(防人歌)は,防人として武蔵の国から来た物部真根(もののべのまね)という人が家族あてに贈ったものとされています。
葦火(あしふ)とは,葦を燃料としたものです。炭に比べて火持ちが悪く,火をコントロールするのには小まめに燃料をくべたりする必要があるため,いつも火の周りについていなければなりません。
炭を買えず,葦火で我慢しなければならないような貧しい暮らしでも「住みよかった」と感じるのは,家族がいるからなのでしょう。
この防人の歌には,真根の妻からの愛情に満ち溢れた返歌までもが万葉集に載っています。

草枕旅の丸寝の紐絶えば我が手と付けろこれの針持し(20-4420)
<くさまくら たびのまるねの ひもたえば あがてとつけろ これのはるもし
<<道中,着衣のまま寝ているうちに着物の紐が切れてしまったなら,わたしの手だと思って,この針を使ってね>>

この夫婦のやり取りに私は感動するのは,私が家族の絆の価値に重きを置くからであり,「自分の好きなことができれば家族がいなくても良い」という考え方にどうしても賛成できないからなのかも知れません。
もちろん,家族を構成しようと努力した結果として,どうしても独身で暮らすことになる人はいると思います。
でも,その人は家族を構成しようとして精一杯努力した人ですから,家族の絆の価値を感じない人ではありません。その価値を感じる人はたとえ独身でも「住む」地域の絆を大切にする人のはずです。
いっぽう,気楽な生き方をしたいがためだけ,趣味や仕事を絶対に犠牲したなくないがためだけで,最初から「結婚しない」,「子供は作らない」という考え方の人は家族や「住む] 」地域の絆の価値を感じたり,共有したりすることができるのでしょうか。
<世の中は度し難いことだらけ?
世の中には度し難いことがたくさんあります。貧富の差,世代間の格差,政治や行政の怠慢,倫理観の欠如,利己主義,地域エゴ,その場主義など,この世の中嫌なことだらけで,この世の中をまさに穢土そのものと感じ,衣食住で自分が満足できる状況に無いと感ずる方々は多いのかも知れません。
それでも世の中や自分を儚(はかな)んだり,諦(あきら)めたりしてはならないと私は思います。
穢土の中に「住み」,困難に打ち勝とう,自分の状況(仏教では「境界(きょうがい)」といいます)を少しずつでも高めようと前向きに生きて行く姿こそが,実は人として真の幸せな状態だと私は思いたいのです。

さて,そろそろ七夕が近づいてきましたので,動きの詞シリーズは小休止して,次回から3回に渡り「天の川君」特集ではなく「天の川」特集をお送りします。
天の川(1)に続く。

2011年6月18日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…住む(2)

人が住む場所を家と呼びます。
万葉集では人(自分,妻,夫,恋人,家族,故郷の人等)が住む家について読んだものが出てきます。
人が住んでいる家には,当然ですが,人が暮らして居て,近所の人や用事のある人の出入りがあり,朝夕には釜戸や囲炉裏に火が入り,さまざまな会話や子供の泣き声などが聞こえるのです。
それはあまりにも日常的で変化の無い状況の繰り返しではあるのですが,その生活から離れてしまった人達にとっては懐かしく,また戻りたいと願いたくなるものなのかもしれません。

さす竹の大宮人の家と住む佐保の山をば思ふやも君(6-955)
さすたけのおほみやひとの いへとすむさほのやまをば おもふやもきみ
<<大宮人が住んでいる佐保の山のことを想い起こしませんか、貴殿は?>>

この短歌は,大宰府の次官(長官は大伴旅人)であった石川足人(いしかわのたりひと)が,おそらく長官の旅人に対して尋ねている短歌ではないかと私は想像します。
佐保の山平城京大極殿があった場所から東に2~3Kmほど離れた丘陵地帯で,多くの大宮人(役人)が住んでいた場所だったのでしょうか。
今でいえばベッドタウンのような場所だったのかもしれません。
佐保の山では,新しい奈良の京の官吏として勤める多くの人達やその家族が近所づきあいをしながら,元気よく豊かに暮らしていた姿が目に浮かぶようです。
しかし,遠く離れた九州の近所づきあいもままならない地方赴任者にとっては,都で暮らしていたときを思い出して,望郷の念に駆られる気持ちは避けがたいものがあるのでしょう。
そういう気持ちを抑えて我慢するのではなく,都で暮らしていたときの話をみんなでしましょうというのがこの短歌の言いたいことだと私は思います。
ただ,地方赴任も5年も続くと赴任地に愛着が出てくることもありますよね。「住めば都」とはよく言ったものです。次の短歌は大伴家持が赴任期間が終わり,別れの宴で詠ったもののようです。

しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも(19-4250)
しなざかるこしにいつとせすみすみて たちわかれまくをしきよひかも
<<越中に五年住み続けて、ここで越中の皆さんとお別れとなってしまうのが残念な今宵です>>

大伴家持にとって越中は第二の故郷といえるほど長く暮らし,地元の人達との交流も円滑にでき,平和で心豊かな暮らしを続けられたに違いありません。
しかし,家持に対し,少納言に昇進させる帰京命令によって越中に住む暮らしが終りを告げたのです。家持33歳の秋の始まりでした。
さて,恋人や夫が異郷の地に住んで,厳しい暮らしを気遣う場合は,万葉集ではどんな和歌が詠まれているのでしょうか。

他国は住み悪しとぞ言ふ速けく早帰りませ恋ひ死なぬとに(15-3748)
ひとくにはすみあしとぞいふ すむやけくはやかへりませ こひしなぬとに
<<異国は何かと住みにくいと人は申します。急いで早く帰って来てくださいませ。私が恋い死ぬ前に>>

この短歌は,狭野弟上娘子(さののちがみおとめ)が越前に流罪になった夫である中臣宅守(なかとみのやかもり)に送ったものです。
「早く,早く帰ってきて!!」という心の叫びが私には伝わってきます。
富山湾に比べると越前海岸は切り立った断崖ばかりで,越中の豊さに対して非常に厳しい場所です。
京にいる娘子にとって,越前に流され,おそらくあばら屋に住み,食料も乏しいた状態と想像される宅守のことが心配で心配で仕方がないのです。
この悲劇の夫婦は万葉集の中で後世読む人の多くを感動させる純粋な恋の歌を残したのです。
住む(3;まとめ)に続く。

2011年6月13日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…住む(1)

万葉集で「住む」が詠まれている和歌は30首以上あります。
その中で,「住む」対象がヒトではなく,鳥が「住む(棲む)」ことを詠ったものが意外と多く出てきます。
今回は,「住む」対象が鳥である万葉集の和歌を見て行くことにしましょう。
どんな鳥が「住む」と詠っているのか見てみますと次のように多くの鳥が出てきます。
あぢ(偏が「有」で旁が「鳥」の漢字),鵜(う),鶯(うぐひす),鴨(かも),雁(かり),鴫(しぎ),貌鳥(にほどり),霍公鳥(ほととぎす),百鳥(ももとり),鷲(わし),小鴨(をかも),鴛鴦(をし,をしどり)
「あぢ」はアジガモのことだろうと言われています。「貌鳥」はカイツブリの古名と言われています。「百鳥」は特定の鳥のことではなく,多くの鳥という意味のようです。
では,万葉集の実例を見て行きましょう。

外に居て恋ひつつあらずは君が家の池に住むといふ鴨にあらましを (4-726)
よそにゐてこひつつあらずは きみがいへのいけにすむといふかもにあらましを
<<よそに住んでいてあなたを恋しているのでしたら,あなたの家の池に住んでいるという鴨になれればいいのにと存じます>>

これは,坂上郎女(さかのうえのいらつめ)が聖武天皇に献上したとされている短歌です。
天皇邸の庭には大きな池があったのでしょうね。鴨たちもいっぱい飛んで来ていたに違いありません。
天皇を恋しく思うのでいっそお宅の池に住んでいる鴨になりたいという意味ですが,この短歌には儀礼的な雰囲気が色濃く出ていると私は感じます。
次は霍公鳥が「住む」を詠んだ短歌です。

橘は常花にもが霍公鳥住むと来鳴かば聞かぬ日なけむ(17-3909)
たちばなはとこはなにもが ほととぎすすむときなかばきかぬひなけむ
<<橘がいつも咲いている花なら,霍公鳥が棲みに来て,その鳴き声をいつも聞くことができるのになあ>>

この短歌は大伴家持の弟の書持(ふみもち)が奈良の自宅から,恭仁京にいた家持へ贈った短歌です。
書持はこのとき既に病弱だったのだろうと私は思います(この短歌を作った5年後歿)。
自宅で療養しているとき霍公鳥が橘の花が咲くころ自宅にやってくることを楽しみにしているが,橘の花が散る頃霍公鳥が帰って行ってしまうのを惜しがっていたのでしょう。
この短歌から,書持にとって「天辺駆けたか」と明るく鳴く霍公鳥の鳴き声を大好きに感じていたのだろうと私は思います。
最後にもう一首,オシドリが「住む」を詠った短歌です。

鴛鴦の住む君がこの山斎今日見れば馬酔木の花も咲きにけるかも(20-4511)
をしのすむ きみがこのしまけふみれば あしびのはなもさきにけるかも
<<オシドリが住んでいるあなたの庭園を今日見てみれるとアセビの花も咲いていますね>>

これは三形王(みかたのおほきみ)が 中臣清麻呂(なかとみのきよまろ)の庭園(嶋のあるような池を持つ庭園)を見て,ちょうど馬酔木の花が見事に咲いているを讃えた短歌3首の1首です。
この庭園は,オシドリが住むような大きな池を持つ立派な庭園なのでしょう。それを作者は褒めたたえ,その池の脇に咲いている馬酔木の花を咲いているのを今気付いたように詠い始めます。
紹介はしませんが,続く2首で馬酔木が池にはっきり映るほど見事に咲いていることを詠っているのです。

さて,鳥が「住む」を題材にした万葉集の和歌を見ていくと,鳥が「住む」ことを肯定的(一種の憧れや安定感のイメージ)にとらえている和歌が多くみられると私は感じます。
鳥が身近に住んでいる状況は,万葉人にとっても自然が豊かで,いろいろな植物が咲き,木の実が多いことの象徴だったのかもしれませんね。
住む(2)に続く。

2011年6月7日火曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…恋ふ(5:まとめ)

「恋ふ」対象は人だけでなく,モノや場所があります。ただ,今では「故郷を恋しく思う」「昔が恋しい」「酒が恋しい」など,形容詞的な使い方の方が主流のようです。
対象が人と異なる用例は「愛する」も同じようにあります。現在では「恋う」よりも「愛する」のほうが人以外にも頻繁に使われているように私は思います。
「自分の仕事を愛している」「地元の酒を愛している」「故郷を愛してやまない」といった使い方だけでなく「愛用品」といった言葉まであります。
さて,万葉集の人以外に対する「恋ふ」の用例を見て行きましょう。最初は花を「恋ふ」の短歌です。

なでしこがその花にもが朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ(3-408)
なでしこが そのはなにもが あさなさなてにとりもちて こひぬひなけむ
<<貴女が撫子の花なら毎朝毎朝手に取って大切に可愛がらない日はないのに(毎日毎朝大切に可愛がるよ)>>

これは大伴家持が後に正妻になる坂上大嬢に贈った短歌です。
撫子の花を毎朝可愛がることを比喩にして,早く大嬢と一緒に暮らしたいという強い気持ちを詠んでいるように私には思えますが,いかがでしょうか。
さて,次は場所を「恋ふ」用例です。

いつしかも見むと思ひし粟島を外にや恋ひむ行くよしをなみ(15-3631)
いつしかもみむとおもひしあはしまを よそにやこひむゆくよしをなみ
<<いつか行って見たいと思ってきた粟島を遠くから見るだけで,恋しい粟島に行く方法がない>>

この短歌は,遣新羅使の船が山口県岩国近辺の沖を通った時,瀬戸内海の美しい小島に上陸してみたいと恋しく願っていたが,私(遣新羅使)を乗せた船は通り過ぎるだけだという思いを表しているように私は感じます。
万葉時代の都会人も今と同じで,美しい離れ小島に行って,文明の利器は何もないが都会の喧騒や仕事のストレスのない生活をしてみたいと思っていたのかもしれませんね。
<「恋ふ」は非常に複雑な感情の動き?>
このように多くの「恋ふ」を詠んだ万葉集を通して「恋ふ」を見て行くと,人間が何かを「恋ふ」という心の動きは人間が生きて行くために必須な基本的活動の一つだと言えるかもしれないと改めて私は感じました。
でも,「恋ふ」対象が一つ(一人)のみに限定され,その他の対象に価値を感じなくなったとき,「恋患い」になり「心が死ぬほど恋ふ」といった少し後ろ向きの心があらわれてしまいます。
また,「恋ふ」の反対語を「嫌ふ」とします。「恋ふ」が嵩じて「恋ふ」対象以外を極端に「嫌ふ」ようになると,その人の心身を豊かにしなくなるのではないかと私は思います。
<排他的な「恋ふ」は人の輪を狭める?>
すなわち「恋ふ」対象以外(人や自然)をすべて「嫌ふ」と,結局「嫌った」相手から「嫌は(わ)れる」ことになりかねないからです。
逆に,そんな極端に「恋ふ」(大半の相手の恋人はそういう強い「恋ふ」を期待するのでしょうが)というのではなく,広く人,自然,場所などを「恋ふ」があるはずです。
このような広い対象に向けた「恋ふ」は人間を前向きにさせてくれ,いずれ「恋ふ」の対象から「恋は(わ)れる」ようになり,多くの人や自然から恩恵を受けられる心身共に豊かな人になれるような気がします。
私はこれからも多くの人や自然などを「恋ふ」人間でありたいと願い,「恋ふ」シリーズのまとめとします。

天の川 「ちょ~っと待ってんか,たびとはん。へへっ。それって自分は浮気OKやといいたいやろ?」

きれいに「恋ふ」シリーズを終わろうとしていたのに余計な突っ込みを入れてきた天の川君には,「恋ふ」の機微について改めて教えなければならないようですね(怒)。
住む(1)に続く。

2011年6月3日金曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…恋ふ(4)


<台北散策>
先週行った台北旅行の報告を少しします。台北市の地下鉄(MRT)は構内が明るくて実にわかりやすく,大きな字で案内表示がされています(写真は台北地下鉄板南線の路線図)。
自動改札システムも人手を掛けずに運営できるように良く考えられて設計されています。
トイレの数も多く,日本人でも安心して乗れます。当然ですが,台北市民の足としてしっかり根付いている感じがしました。
駅のホーム(台湾では「月台」と書く)では,後何分したら次の列車が来るか表示されますので,イライラしたり,不安になったりすることもありません。

それに何よりも料金が安いこと。最低料金が20台湾元で60円弱です。100円も出せば終点まで行けちゃいます。写真は台北地下鉄淡水線終着駅淡水駅から紅毛城へ行く途中で見つけたネコちゃんです。
ただ,もっと安いのがバス。バスは路線が多くて,乗りこなすのは容易ではないのですが,料金は高く,それていて外から来た人らは乗りこなすのが容易ではない都バスよりましかも?
台北は交通料金だけでなく,食べ物も安く,暮らしやそうという印象を持ちました。
<「恋ふ」を修飾する繰返し語>
さて,「恋ふ」の4回目として「恋ふ」を直接修飾または間接修飾する2音節(または3音節)の繰返し語(どんなものかは,2009年4月16日の本ブログの記事参照)を万葉集に出てくるものを取り上げます。
次の語が「恋ふ」の修飾語として出てきます。

朝な朝な‥毎朝
ころごろ‥日頃,この頃
しくしく‥しきりに
しばしば‥たびたび,幾度も
なかなか‥いっそのこと
ぬるぬる‥ほどけるさま。ずるずると
はつはつ‥わずか。かすかにあらわれるさま
ひねひねし‥さかりを過ぎている。古びている
降る降る‥繰り返し降る
ゆくらゆくら‥心が動揺し,ゆらゆらするさま

では,実際の短歌を見て行きましょう。

雨降らずとの曇る夜のぬるぬると恋ひつつ居りき君待ちがてり(3-370)
あめふらず とのぐもるよのぬるぬると こひつつをりききみまちがてり
<<雨が降らずにしっかり曇って夜は,気持ちがばらけるほど恋しい気持ちで居ります。貴女が待っておられるので>>

この短歌は中納言安倍広庭が詠んだものです。待っているのは作者(広庭)というのが一般的のようですが,私は妻問い婚の風習から待つのは女性の方だと思います。
雨が降らずに曇っている夜は,月明かりが無いため,他人に顔を見られる可能性が低く,雨ではないので移動も楽です。
そんな夜は「きっと広庭様がお越しになるかもしれない」と相手の女性が待っているのだろうと思うとますます恋情が嵩じて,冷静さが保てなる状態を「ぬるぬる」と表現したのではないでしょうか。
修飾語ではなく「恋ふ」自体が繰り返される表現を使った短歌もあります。

恋ひ恋ひて逢ひたるものを月しあれば夜は隠るらむしましはあり待て(4-667)
こひこひてあひたるものを つきしあればよはこもるらむ しましはありまて
<<長く想い続けてやっと貴方に逢えました。月が出れば夜の闇を隠す(明るくなる)でしょう。しばらくこのまま傍に居てくださいね>>

この短歌は,坂上郎女安倍虫麿に贈った1首です。もう少し一緒に居てほしいという願いを歌に託しています。
ところで,「恋ふ」は異性にだけ使う動詞ではありません。親友や上司,美しいもの(自然や都市など)に対しても使います。

奥山のしきみが花の名のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ(20-4476)
おくやまの しきみがはなの なのごとや しくしくきみに こひわたりなむ
<<奥山のシキミの花の名のように、シくシくキミとしきりにあなたを想い続けることでしょうか>>

この短歌は,天平勝宝8(756)年11月23日大伴池主邸で開かれた宴席で大原真人今城が詠んだものです。
シキミが序詞としての用いられ,シキミのシが「しくしく」のシであり,キミが君を示しているのだろうと私は思います。
シキミの実は猛毒ですが,花は白く可愛い花が咲き,葉は良い香りがします。実は私の家の庭にも植えてあります。
さて,次回は恋ふの最終回で,自然を愛でるという意味の「恋ふ」について,万葉集の和歌はどう表現しているかを見て行きます。
恋ふ(5:まとめ)に続く。