2013年10月24日木曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「寂(さぶ)し」

今回は「寂しい」という意味の「寂(さぶ)し」が万葉集でどう詠まれているか見ていきます。
人が一般的に「寂しい」と感じるのはどんな時でしょうか。やはり「自分は一人ぼっちだと孤独感を感じるとき」ではないでしょうか。
「人と一緒にいるのは疲れる」「他人に干渉されたくない」「静かに一人になりたい」という人が今の都会生活者に多いのかもしれません。でも,そういった他人との接触に煩わしさを感じている人でもいつまでも一人でいたいわけではないと私は思います。
素敵な異性と一緒に居たいとか,気の合う仲間とたまにはじっくりおしゃべりしたいとか,バーのカウンター越しに経験豊かなバーテンダーとさまざな薀蓄を語り合いたいとか,ストレスを感じない形で自分以外のヒトと接触を望むような気持ちは多かれ少なかれ持っている人は多いと思います。
その望む気持ちが満たされない時,「寂しい」というという感情が出てくるのかもしれません。
万葉集でも恋人と一緒の時間を過ごせないので「寂し」と詠んでいる和歌は少なくありません。
たとえば,次の詠み人知らずの相聞歌です。

秋萩を散り過ぎぬべみ手折り持ち見れども寂し君にしあらねば(10-2290)
あきはぎをちりすぎぬべみ たをりもちみれどもさぶし きみにしあらねば
<<秋萩の花が散っていってしまうのが惜しくて,手折り持ち眺めてみたが心寂しい。それはあなたではないから>>

相聞歌の相手の女性は秋萩のように可憐な女性なのかもしれません。秋萩が相手の女性のように可愛くて,手に取ってはみたけれど,花は花でしかない。そんな寂しい気持ちでしょうか。
次は,大伴家持が若いころお熱を上げた年上の女性「紀女郎」が家持宛てに詠んだ意味深長な短歌です。

神さぶといなにはあらずはたやはたかくして後に寂しけむかも(4-762)
かむさぶといなにはあらず はたやはたかくしてのちに さぶしけむかも
<<(あなた様より年老いていますから)もう先に死んじゃう身です。もしかしたら(私と一緒になると)後で寂しく思うことになるかもしれませんよ>>

家持が先を見越して真剣かつ冷静に考えているのか,それとも若気の至りで一時的にお熱を上げているだけか,「私が先に逝って寂しいと感じるかもしれないけど大丈夫?」と試しているように私には思えます。この家持と紀女郎とのやり取りについては,2010年1月4日の記事で少し詳しく書いていますので割愛します。
さて,次は山上憶良筑紫で詠んだ短歌です。

荒雄らが行きにし日より志賀の海人の大浦田沼は寂しくもあるか(16-3863)
あらをらがゆきにしひより しかのあまのおほうらたぬは さぶしくもあるか
<<荒雄たちが出て行った日から志賀の漁師たちが住む大浦田沼は寂しげであるようです>>

この短歌は,筑紫から対馬に荷物を運ぶ際に遭難して帰らぬ人となった荒雄という人物の妻になり代わって詠んだとされています。このあたりについては,2010年6月6日のブログに少し詳しく書いていますので,興味のある方は見てください。
家族はいつも顔を合わしていて,時には煩わしい存在だと思うことがありますが,いなくなってみると寂しさが襲い,そのありがたさを痛切に感じることがあります。家族や友人の関係は大切に保持していくことが,結果として豊かな人生(寂しいと感じることが少ない人生)を送るうえで重要と考えるのは私だけでしょうか。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「惜(を)し」に続く。

2013年10月19日土曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「楽し」

<私の三大楽しいこと>
私にとって三大「楽しい」ことは,①仕事をすること,②万葉集をリバースエンジニアリングすること,③さまざまな会に参加することでしょうか。
①の私の仕事はソフトウェアの保守開発(既存の修正)ですが,単純な開発に比べ技術的に確立されておらず,個人のスキルや能力に依存するところが多い分野です。そのため,一つ一つ(対応の品質,コスト,納期,顧客満足度などに対し)最適なプロセスを都度適用しながらの作業となります。結局,一つ一つの仕事に(規模,緊急度,重要度,困難度,他への影響度など)多様性があり,生来飽きっぽい私にとっては,やっていて面白みを感じます。
②の万葉集は面白くなければこのブログを続けられていませんので,説明の必要はないでしょう。
③のさまざまな会は,単なる飲み会,懇親会,目的が決まった会議,同好会,学会,歓送迎会などです。これは,老若男女を問わずさまざまな考えを持った人と話を聞いたり,議論をすることが好きだからです。
これらを総合すると私が楽しいと感ずるのは,多様なものやヒトに接っしているときと言っても良いかもしれませんね。
<今回の本題>
さて,万葉集では「楽し」を詠んだ和歌が15首ほど出てきます。
まずは誰もが楽しいと感ずる遊びについて詠んだ遊行女婦(うかれめ)土師(はにし)作の短歌から紹介します。

垂姫の浦を漕ぎつつ今日の日は楽しく遊べ言ひ継ぎにせむ(18-4047)
たるひめのうらをこぎつつ けふのひはたのしくあそべ いひつぎにせむ
<<垂姫の浦を漕ぎ巡りながら今日は楽しくお遊びください。後々までこの楽しく過ごされた時間を言い伝えましょう>>

この遊びが行われたのは大伴家持越中にいたころ,現在の富山県氷見市の海岸にあったという「垂姫の浦」を家持らが遊覧船で漕ぎ巡るという遊びをしたときです。現在でも遊覧船にはガイドが乗っていることもあるように,当時名所をガイドしたり,船で提供する酒や肴を講釈したり,名所への移動中に参加者にゲームを楽しませたりする女性乗務員(ガイド)を「遊行女婦」と呼んだのかもしれません。この作者の土師という遊行女婦は,当時おそらく最も優秀なガイドの一人であり,即興で和歌を詠み,参加者を楽しませたのでしょう。
この短歌は,越中国府の長官である家持をはじめ,国府のトップクラスが楽しまれたことを,後日この船で遊覧する人すべてに語り継ぎましょうということです。私たちも旅行に行くと,この船には超有名人の誰々が乗ったとガイドが伝えると「お~。そうなんだ」と得した気分になります。
紹介された家持たちも自分たちが乗ったことで,船の価値が大きく上がることを知らされるとすごく良い気分になります。土師恐るべしですね。
次は,珍しい季節の変化を見て「楽し」を詠んだ柿本人麻呂の短歌です。

矢釣山木立も見えず降りまがふ雪に騒ける朝楽しも(3-262)
やつりやまこだちもみえず ふりまがふゆきにさわける あしたたのしも
<<矢釣山の木立も見えないほど降り乱れる雪の朝はその騒がしさも楽しいことです>>

この短歌は,新田部皇子(にひたべのみこ)を讃えた長歌の反歌です。飛鳥にあったといわれる矢釣山の立ちも見えないほど激しく雪が降っている朝は,その騒がしさ(恐らく木などに積もった雪が落ちる音による)もまた楽しいと詠んでいます。
最後は,有名な大伴旅人賛酒歌の中から「楽し」を詠んだ3首連続の短歌を紹介します(内1首は2011年8月13日の投稿で紹介しています)。

世間の遊びの道に楽しきは酔ひ泣きするにあるべくあるらし(3-347)
よのなかのあそびのみちに たのしきはゑひなきするに あるべくあるらし
<<世の中の遊び道で一番楽しいことは,酔って泣くことにあるようだ>>

この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我れはなりなむ(3-348)
このよにしたのしくあらば こむよにはむしにとりにも われはなりなむ
<<現世が楽しいならば,来世には虫だろうと鳥だろうと私はなってしまっても構わないよ>>

生ける者遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな(3-349)
いけるものつひにもしぬる ものにあればこのよなるまは たのしくをあらな
<<生きているものは最後は死ぬのだから,生きている間は楽しまないとね>>

特に解説をしません。皆さんはどう感じられますか?
今さえ楽しければ後はどうでも良いという身勝手な考えと感じますか?
それとも,今遊びも仕事も趣味も交友もしっかり楽しむことが理想だという考えと感じますか?
私はもちろんアグレッシブに,プレッシャーに負けず後者でありたいと考えます(実際楽しめているかかどうかはあまり気にしません)。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「寂(さぶ)し」に続く。

2013年10月14日月曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「悔(くや)し」

<萬葉学会の研究大会に参加>
この土日,東京大学で行われた萬葉学会全国大会に初めて参加しました。最新の万葉集研究動向を見ておくことも重要かなとの思いで参加したのですが,残念ながら私が期待した万葉集はどんな目的で編まれたかの発表はありませんでした。
万葉仮名の詳細な分析,国文法や漢字の使用分析,日本書紀・古事記の歌謡(記紀歌謡)と対比,公的に詠んだ/私的に詠んだの違い,周辺の上代文学の研究など,さすがに専門家の研究はきめ細かく,時間をかけていることが分かりました。
万葉集を見る時間があまり取れない自分を正直悔しく感じた次第です。ただ,限られた時間のなかで可能な最大パフォーマンスを(それが結果として中途半端なものであっても)だすしかない。それが,それぞれに与えられた人生だと私は思います。私のようなアマチュアは結果をすぐに求めず,あせらず少しずつ万葉集を見ていくしかないという考えは変わりませんでした。
<今回の本題>
さて,今回のテーマの「悔し」という言葉は万葉集で20首以上に出てきます。偶然ですが,今回の萬葉学会全国大会でも「今ぞ悔しき」という言葉に触れた発表がありました。「悔し」は古事記にも出てくる古い言葉ですが,今「悔しい」という意味とほぼ同じ意味だったと考えてよいようです。
「悔し」が単独で出てくることもありますが,このように「今」とセットで使われている表現が多く出てきます。たとえば,「今ぞ悔しき」のほか「今し悔しき」などがあります。この場合短歌の最後に使われることが多いようです。
次は,柿本人麻呂吉備津采女(きびのつのうねめ)が亡くなったときに詠んだ挽歌です。

そら数ふ大津の子が逢ひし日におほに見しかば今ぞ悔しき(2-219)
そらかぞふおほつのこが あひしひにおほにみしかば いまぞくやしき
<<無数の人がいた大津でお逢いしした日に,しかっりお顔を見ておかなかったことが,今となっては悔やまれてならない>>

一方,短歌の先頭の位置に使われる場合は,「悔し」は単独で使用されています。
次は山上憶良が神龜5(729)年7月21日に筑紫で大伴旅人の妻が亡くなったとき,詠んだとされている長歌+短歌5首の中の1首です。

悔しかもかく知らませばあをによし国内ことごと見せましものを(5-797)
くやしかもかくしらませば あをによしくぬちことごと みせましものを
<<悔しいです。こうなることが予め知っていたなら,国中をことごとくお見せしたものを>>

これらは惜しい人を亡くした悔しさを詠んでいますが,相聞歌でも相手との関係がなかなかうまくいかない時に「悔し」が出てくることがあります。
次は平群女郎(へぐりのいらつめ)が越中の大伴家持に贈った12首の中の1首です。

里近く君がなりなば恋ひめやともとな思ひし我れぞ悔しき(17-3939)
さとちかくきみがなりなば こひめやともとなおもひし あれぞくやしき
<<私の住む里近くへあなたがお出でくださることになれば,恋しいあなたと逢えると,わけもなく予想をしていた自分の愚さが悔しくてなりません>>

家持は越中から奈良に一時的に帰ったのですが,平群女郎のところには寄らなかったようです。
家持と女郎は家持が越中に行く前は,相当な関係だったのかもしれませんね。
最後に,悔しい思いが晴れた詠み人知らずの短歌を紹介し,今回の投稿を閉めます。

我が宿の花橘は散りにけり悔しき時に逢へる君かも(10-1969)
わがやどのはなたちばなは ちりにけりくやしきときに あへるきみかも
<<我が家の庭にある花橘の花は散ってしまいました。一緒に我が家の花橘を見ようとと約束してくださったのにと悔しい思いをしていましたが,ようやくあなたと逢えました>>

心が動いた詞(ことば)シリーズ「楽し」に続く。