2018年9月21日金曜日

続難読漢字シリーズ(34)…乍(なが)ら

しばらくアップが途絶えてしまいました。
8月7日,6カ月超の病気休職から職場復帰を果たしたのですが,やはりIT業務における約半年のブランクを埋めるのは結構大変でした。ようやく職場復帰も軌道に乗ってきたのでアップする時間が何とか作れました。
プロスポーツ選手や音楽のプロ演奏家が6カ月まったくその仕事や練習に関わらなかったら,すぐ元に戻らないのと同じかも知れません。
特に,既存システムのソフトウェア保守をやっていると,半年の間にシステムの稼働環境やアプリの更新が結構進んでいて,多数の更新の内容,理由,運用への影響,各種文書の更新状況も把握する必要があり,時間がとられたこともあります。何せ,40数年間ITの仕事をしてきて,仕事を離れたのは結婚のときに約2週間休んだのが最長で,6カ月間以上まったくITの仕事を休むなんてことは初めてだったこともありました。
アップできなかった言い訳はこのくらいにして,今回は「乍(なが)ら」について万葉集をみていきます。
「音楽を聞き乍ら,仕事をする」といった使い方をする「ながら」です。「ながら族」という言葉が流行った時代もありましたが,若い人は知らないかも知れません。
最初は,もっとも多く万葉集に出てくる「神乍(かむなが)ら」という言葉が使われている,持統天皇が吉野に何度目かはわかりませんが行幸(みゆき)したとき柿本人麻呂が詠んだとされる長歌の反歌を紹介します。

山川も依りて仕ふる神乍らたぎつ河内に舟出せすかも(1-39)
<やまかはもよりてつかふる かむながらたぎつかふちにふなでせすかも>
<<山川の神も同様に服従する大君は,激流の川を抱えた宮地より舟出なさる>>

「神乍(かむなが)ら」とは,神と同じという意味ととらえられます。これは「天皇は神と同じ」という讃嘆の意味で宮廷歌人たちが儀礼的に使用する言葉だったのでしょう。
次に紹介するのは,仏教の無常観を色濃く詠んだと思われる短い長歌風の和歌です。

高山と海とこそば 山乍らかくもうつしく 海乍らしかまことならめ 人は花ものぞ うつせみ世人(13-3332)
<たかやまとうみとこそば やまながらかくもうつしく うみながらしかまことならめ ひとははなものぞ うつせみよひと>
<<高山と海はまさに,山は山として存在し,海は海としてあるがままに存在する。
ところが,人は花がすぐ散るように,はかなくこの世に生きているのである>>

人があっけなく死んでしまうことが多かった万葉時代ですから,こんな和歌を詠ませたのかも知れません。ただ,作者は人の命の「はかなさ」を花にたとえているのですから,また咲いてくれることを想定していると私は感じます。そのことを意識して詠んだとすれば,作者は「生命は死んだら終わり」という考えを持っていない可能性があります。
仏教には「生命は永遠である」と教える経典もあります。前世,現世,来世(三世)というように,生命はずっと続くというのです。
作者が知っていたかどうかは定かではないですが,前世が終わって,現世に生まれてくることは非常に稀有なことだから,現世での命を大切にし,世のために尽くして,充実した人生を歩むことが,来世も幸福な生命として産まれてくるために大切と説く仏教の経典もあります。
さて,次に紹介するのは,越後で詠まれたという仏足石歌体(五・七・五・七・七・七)という珍しい歌体の和歌です。万葉集では,この歌体とされるのは,この1首のみです。

弥彦の神の麓に今日らもか鹿の伏すらむ皮衣着て角つき乍ら(16-3884)
<いやひこの かみのふもとに  けふらもか しかのふすらむ かはころもきて つのつきながら>
<<弥彦の神山の麓に今日もまた鹿がひれ伏しているのか,皮衣を着て角をつけたまま >>

この和歌は「神の使いである鹿が,霊験あらたかな弥彦山の神に山麓でひれ伏しいる。まさにそれは鹿で,皮の色も鹿の模様で角もちゃんとあったよ」といったくらいの軽い意味にとらえておけばよいと私は考えます。
作者が今の新潟県にある弥彦山に旅で寄った時,麓で休んでいる鹿を見て感じたことを(最後の七文字)も付け加えたくて作ったのでしょう。「そういえば鹿だから角もあったことも入れないとね」といった具合に。
最後に紹介するのは,大伴池主が越中で,大伴家持から贈り物としてもらった針袋に対して返答した短歌の1首です。

針袋帯び続け乍ら里ごとに照らさひ歩けど人も咎めず(18-4130)
<はりぶくろおびつつけながら さとごとにてらさひあるけど ひともとがめず>
<<針袋を腰につけたままいろいろ里を歩いてみましたが,誰も取り立てて話しかけてくれませんでしたよ>>

この短歌は,非常に難解だと私は感じます。
大伴池主と家持との間柄は,通常の親戚との付き合いではなく,特殊な関係があったかもしれないと感じるからです。
池主が家持からもらった針袋(旅のときに携帯するためのものの一つ)について,返答の歌を贈っていであることは分かりますが,それにしては,あまり有難さを伝えようとした感じがありません。
「私は越中にいるが家持殿と違い現地の人からまだ受け入れられず,旅の途中の人とみられているから,旅の用具を身につけても何も里人から変に思われない」ということか?
将又(はたまた)「家持殿からこれを贈られたのは,『早く旅立って京に帰れ』という指示で,里人もそのことを知っており,私が旅の携帯品の針袋を持って歩いていても,何も言わない」ということか?
いずれにしても,この二人の関係は儀礼的な感謝の気持ちを返すだけの関係でなかったことだけは確かでしょう。
(続難読漢字シリーズ(35)につづく)