2014年5月30日金曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…焼く(1) ブランド好みいつの世も

今回から動詞「焼く」について,万葉集を見ていくことにします。
今の季節,紫外線が結構強い時期ですので,肌を焼く場合,無理に焼きすぎないように気を付けたいものですね。そのほか,現代で「焼く」対象といえば,肉,魚介類,野菜,栗,芋,せんべい,小麦粉やトウモロコシを水で溶いたものなど食用のための焼く,有田焼,清水焼,九谷焼,信楽焼,瀬戸焼,益子焼などの陶芸品を焼くなどがすぐ出てくるかもしれません。また,「お節介を焼く」,「世話を焼く」,「手を焼く」などの慣用句も結構使われるのではないでしょうか。
さて,万葉集では「焼く」という動きの対象は結構多岐にわたっていますので,順番に見ていくことにしましょう。
万葉集で一番多く出てくる「焼く」対象は,「塩」を焼くという表現です。

須磨人の海辺常去らず焼く塩の辛き恋をも我れはするかも(17-3932)
すまひとのうみへつねさらず やくしほのからきこひをも あれはするかも
<<須磨の人がいつも海辺で焼いている塩が辛いように私は辛い恋をしています>>

この短歌は平群氏女郎(へぐりうぢのいらつめ)が越中赴任中の大伴家持宛に詠んだ12首のなかの1首です。この短歌から,塩は須磨産のものが有名であり,海水を濃くして最後は火で焼いて作ること,須磨産の塩は辛さが強いことなどが想像できます。
この短歌の最初の五七五(いわゆる上の句)は典型的な序詞です。結局言いたいことは下の句の「辛き恋をも我れはするかも」です。文学として見た場合,あまり高評価な短歌ではないかもしれません。でも,このような「序詞」を使った和歌が,当時多くの人に知られていたことや社会の動きを知るうえで貴重な情報源だと私は評価すべきと考えます。
他に塩を焼く場所として万葉集に出てくるのは,志賀の海(今の福岡市志賀島),縄の浦(今の兵庫県相生市),手結が浦(今の福井県敦賀市),松帆の浦(今の兵庫県淡路市),藤井の浦(今の兵庫県明石市)です。これらの塩の産地が当時有名だったとすると,瀬戸内海の波が穏やかで比較的少雨の場所に多くあり,遠く離れていても平城京に船で運びやすい場所(次の長歌の一部に出てくる敦賀は琵琶湖水運を利用)であるなどの傾向が私には伺えます。

~ 喘きつつ我が漕ぎ行けば ますらをの手結が浦に 海女娘子塩焼く煙 草枕旅にしあれば ひとりして見る験なみ ~(3-366)
<~ あへきつつわがこぎゆけば ますらをのたゆひがうらに あまをとめしほやくけぶり くさまくらたびにしあれば ひとりしてみるしるしなみ ~>
<<~ 喘ぎながら私が乗る船が漕ぎ進むと,手結が浦に若い海女乙女たちが塩を焼く煙が見える。ただ,旅の途中ひとりで見てもつまらない ~>>

この長歌は,笠金村(かさのかねむら)が越前を旅していて,一人旅の寂しさを詠んだもののようです。
さて,次に「焼く」対象として出てくるのが「太刀」です。万葉時代の「剣(つるぎ)」は戦争の武器としてポピュラーにものだったと考えられます。その切れ味や相手との勝負を有利にするために大型化,軽量化,そして強度を増すことが求められていたと考えられます。そのため,比較的加工しやすい軟鉄で刀の形に加工し,良い形ができた時点で,焼き入れをして,鋼鉄に変えることで,切れ味を増し,丈夫になります。
万葉集では「焼き太刀の」または「焼き太刀を」という表現が出てきます。これらは「利(と)」や「辺(へ)」に掛かる枕詞であるという説が一般的のようです。

焼太刀を砺波の関に明日よりは守部遣り添へ君を留めむ(18-4085)
やきたちをとなみのせきに あすよりはもりへやりそへ きみをとどめむ
<<砺波の関所に明日にはもっと多くの番兵を差し向けて,あなたがお帰りになられるのを引き留めましょう>>

この短歌は大伴家持が天平感宝元年5月5日に東大寺から越中に来た僧たちが京に戻るとき設けられた宴の席で僧たちに贈ったといわれる1首です。「焼き太刀を」は砺波(となみ)の「と」に掛かる枕詞であろうとして使用されている例です。
ただ,次の湯原王(ゆはらのおほきみ)が詠んだとされる短歌にでてくる「焼き太刀の」は,枕詞としてではない使用例のようです。

焼太刀のかど打ち放ち大夫の寿く豊御酒に我れ酔ひにけり(6-989)
やきたちのかどうちはなち ますらをのほくとよみきに われゑひにけり
<<焼き太刀の鋭い刃で石を打って出た火を使い,屈強な男性がしっかり仕込んで醸造したという上等な酒に私は酔ってしまったなあ>>

私はこの短歌から万葉時代の貴族など比較的裕福な人たちに対し,酒の作成過程を提示して高級な製品(他製品との差別化製品)であることを示していたことが伺えます。
今でも「天然水仕立て」「合成添加物無添加」「○○産自然塩使用」「手搾り感覚果実入り缶チューハイ」などのキャッチコピーで宣伝し,高品質を訴求している製品が溢れていますね。
万葉時代には酒の醸造技術も進化し,それまでに比べて格段に高品質な酒が出回るようになったのは間違いないでしょう。ただ,鋭い焼き太刀から出る火花の火で火を起こし,その火で米を蒸すとうまい酒ができるという根拠は薄いと私は思いますので,このキャッチコピーは単なるイメージ戦略かもしれませんね。
次回は,別の「焼く」対象について見ていきます。
動きの詞(ことば)シリーズ…焼く(2)に続く。

2014年5月23日金曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…置く(4:まとめ)  放って置かないで!

<長浜城に寄る>
この前の土日は今年もみかんの木の年間オーナーになって,「今年の木」の抽選会に出るために奈良の明日香村に行きました。行きの土曜日は,途中,長浜城に寄り,長浜城の天守から晴天の琵琶湖を眺めることができました。

また,長浜城の近くのお蕎麦屋さんで,昼食に「にしんそば」ではなく,おそらく日本海産のサバが主役の「サバそうめん」定食を食べました。サバの甘露煮がボリューム満点で満足な昼食でした。

<明日香ミカン農園に着く>
みかん農園から見た明日香村方面も晴天で遠くの方まで見ることができました。畝傍山と二上山がはっきりと見えました。

<本題>
さて,「置く」の最終回は今まで出てきた用法以外の「置く」について見ていきます。
「置く」には置く対象があるはずですね。万葉集で「置く」の対象を見ていきますと,まず「幣(ぬさ)」がみつかります。「幣」とは神前に折りたたんで供える布,紙を指します。万葉集では旅の安全を祈るため,各地場の神々に幣を供えることが出てきます。

山科の石田の杜に幣置かばけだし我妹に直に逢はむかも(9-1731)
やましなのいはたのもりに ぬさおかばけだしわぎもに ただにあはむかも
<<山科の石田の社に幣を捧げて祈ったらすぐ妻に逢えないだろうか>>

この短歌は2012年8月11日の本ブログにも紹介している藤原宇合(ふじはらのうまかひ)が詠んだというものです。
私が育った京都市山科にある石田(いわた)神社は奈良の京から逢坂山を通って近江東国へ行く無事を祈って幣を供える(手向ける)ことが流行っていたのだろうと私は想像します。
スムーズに旅が進むよう加護される霊験が大きいといわれている石田神社に幣を手向ければ(置けば),待っている妻とすぐ逢えると考えこの短歌を宇合は詠んだのかもしれませんね。
次は馬酔木の花を「置く」場所について詠んだ短歌です。

かはづ鳴く吉野の川の滝の上の馬酔木の花ぞはしに置くなゆめ(10-1868)
かはづなくよしののかはの たきのうへのあしびのはなぞ はしにおくなゆめ
<<カエルが鳴いている清らかな吉野川の滝の上に咲いていた馬酔木の花ですぞ。隅の方に置いてはなりません>>

この場合のカエルはカジカガエルなのでしょうね。そんな清らかな場所のさらに滝の上の採りにくい場所に咲いていた馬酔木の花をなのだから粗末に扱わず,ちゃんとした場所に飾るようにこの短歌は促しています。
ここでいう「置く」は飾るという意味に近いように感じます。
次も植物を置くことを詠んだ詠み人知らずの短歌(東歌)ですが,その植物は別のものの譬えです。

あしひきの山かづらかげましばにも得がたきかげを置きや枯らさむ(14-3573)
あしひきのやまかづらかげ ましばにもえがたきかげを おきやからさむ
<<山に生えている珍しいヒカゲノカズラ。これは滅多に得られないもの。置いたままにして枯らすようなことは決してすまいぞ>>

「山かづら」は,この短歌の作者が恋している彼女のことを譬えていると考えても良いでしょう。
やっと最高の恋人ができた。絶対離したくない。放っておかない。そんな思いがこの短歌から見えます。
最後もそのままにするという意味の「置く」を詠んだ詠み人知らずの女性が詠んだ,または女性の立場で詠んだと思われる短歌です。

あしひきの山桜戸を開け置きて我が待つ君を誰れか留むる(11-2617)
あしひきのやまさくらとを あけおきてわがまつきみを たれかとどむる
<<山桜戸を開けたまま,私が待っているあの人を,誰が引き留めているのでしょう>>

私はいつでもOKなのに,なかなか来てくれない彼。もしかしたら誰かが私のところに行けないように引き留めているのではないかと思いたくなるくらい待ち遠しい。「いつでもOK」という気持ちを「山桜戸を開け置きて」という美しい表現を使っているこの短歌を見て,この作者に同情する私がいます。
そして,藤原定家が恋人が来るのを待つ少女の立場で詠んだ百人一首の短歌を思い出しました。

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ(97番)

ここまで多様な「置く」の表現を万葉集で見てきました。次回からはこの百人一首の短歌にも出てくる「焼く」を万葉集で見ていくことにします。
動きの詞(ことば)シリーズ…焼く(1)に続く。

2014年5月10日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…置く(3) 水蒸気は気温で変化し,人間に和歌を詠ませる?

東京ウォーキングフェスタに2度目の参加
今年も東京ウォーキングフェスタ(5月3日・4日東京都立小金井公園がスタートゴール)に参加しました。

昨年は2日間とも30㎞コースだったので,当然今年も2日間とも30㎞コースを歩きました。少し暑かったですが,途中の公園,道路端,川原,民家の庭先に咲く多くの草花や新緑の木々を楽しむことができました。
写真は,新緑と花を歩きながら楽しめたスナップです。




<本題>
「置く」の3回目ですが,雪,露,霜などを「置く」という表現が多数万葉集に出てきますので,取り上げてみます。露と霜については,今年3月のブログでも紹介していますが,「置く」という動詞を視点に見ていきます。
さてまず,今の季節とは異なりますが雪から見ます。雪について「降り置く」という表現が多く使われています。

真木の上に降り置ける雪のしくしくも思ほゆるかもさ夜問へ我が背(8-1659)
まきのうへにふりおけるゆきの しくしくもおもほゆるかも さよとへわがせ
<<真木の上に降り積もっている雪のように,幾重にもあなたのことが思われます。夜に来て下さいね,私のあなた>>

完全な逆ナンパの短歌ですね。この短歌の作者は他田廣津娘子(をさだのひろつのをとめ)という女性です。雪は大きな木の上にたっぷりと積もっていたのでしょう。男(夫)からすれば,「雪が積もる(降り置かれた)ような寒い夜に妻問に行けるわけないよ」という気持ちかもしれませんが,雪明りの夜は道も良く見え,音も静かでなかなか雰囲気が良いですよとでも娘子はいいたげですね。
次は,「降り置く」の表現は使っていませんが,積もった雪はすぐ消える惜しさを詠んだ坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の短歌です。

松蔭の浅茅の上の白雪を消たずて置かむことはかもなき(8-1654)
まつかげのあさぢのうへの しらゆきをけたずておかむ ことはかもなき
<<松の木蔭に低く生えた茅(ちがや)の上に積もった雪を積もったまま消えないようにするおまじないはないものかしら>>

茅のような低木の上に積もった雪は地熱の影響を受けず,また松の木の陰で直接太陽にも当たらない関係で,他の場所より長く雪が消えずに積もっ(置いた)たままになるのだろうと私は想像します。それでも,いつかは消える美しくもはかない雪。郎女自身の身体的な若さが徐々になくなっていく寂しさを譬えているのかもと私は思いたくなります。
次は「霜を置く」の例を見ます。

秋田刈る仮廬もいまだ壊たねば雁が音寒し霜も置きぬがに(8-1556)
あきたかるかりいほもいまだ こほたねばかりがねさむし しももおきぬがに
<<秋稲刈をするための小屋もまだ壊さない(稲刈りが終わっていない)時期にもう雁が寒そうに鳴いている。もう霜が降りしてしまうのか>>

この短歌は忌部黒麻呂(いみべのくろまろ)という人物が詠んだとされています。当時,稲刈りの時期には,自分の田の近くに仮廬(小屋)を作って,そこに稲刈りの道具や刈った稲を一時的に置いたりしたのかもしれません。
作者は農民の稲刈りの様子を眺めて,霜が置く(降りる)時期が早まることを心配してこの短歌を詠んだののだろうと私は思います。忌部氏は朝廷の祭事を担当していた氏族で,天候により豊作や凶作,農民の作業の進捗に関心があったのかもしれません。
最後は「露を置く」の例として,「霜を置く」の例で出した短歌と似ている詠み人知らずの短歌を紹介します。

秋田刈る仮廬を作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける(10-2174)
あきたかるかりいほをつくり わがをればころもでさむく つゆぞおきにける
<<秋の田の稲刈りのために小屋を作ってそこにいると,袖が寒いなと思ったら,何と露に濡れていた>>

この作者は農民の立場か,稲泥棒や稲田を荒らす野生の動物(猪や鹿)を監視し,追い払う役目の人の立場で詠んでいそうです。監視作業は,秋が深まり,露に濡れるほど夜は冷えるツライ仕事であったのでしょう。ただ,実際に詠ったのは収穫が終わった後の祭りのときかもしれませんね。
「雪を置く」「霜を置く」「露を置く」を使った万葉集の和歌を見ると,それらの言葉が気候(湿度の高い日本の気候)の変化をとらえて恋,風景,仕事などの状況を詠む道具として使われていたように私は感じます。
動きの詞(ことば)シリーズ…置く(4:まとめ)に続く。

2014年5月1日木曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…置く(2) 間を大切に!

「間(ま)を置く」という言葉があります。その「間」にはいろいろ意味がありますが,この場合は「時間」や「距離」の間を指すようです。
万葉集には「間(あひだ・ま)を置く」という表現を使った和歌がいくつか出てきます。
最初は安貴王(あきのおほきみ)が因幡八上采女(いなばのやかみのうねめ)と密通した罪で采女が郷里の因幡へ帰されたことに対して詠んだとされる長歌の反歌です。

敷栲の手枕まかず間置きて年ぞ経にける逢はなく思へば(4-535)
しきたへのたまくらまかず あひだおきてとしぞへにける あはなくおもへば
<<お互いの腕を枕にして寝ることがなく,長い年月が経ってしまったように感じる。逢えないことを思うと>>

他人の妻と密通して,女性の方が大きな罪に問われるのは何か釈然としないのですが,そういった時代だったのでしょうか。いずれにしても「貴族による不倫」という大きなスキャンダルだったに違いないのでしょうね。そして,渦中の人の感想を詠んだ歌を残すというワイドショー的な記事が万葉集にその他にも多く残されているのは興味深いことです。
この短歌で安貴王が詠んだ「間置く」の「間」はそんなに長い期間ではなかったけれど,つらくで何年もの長さに感じたのは間違いないと私は想像します。
さて,次は大伴家持が雨の日にホトトギスの鳴き声を聞いたときに詠んだ短歌です。

卯の花の過ぎば惜しみか霍公鳥雨間も置かずこゆ鳴き渡る(8-1491)
うのはなのすぎばをしみか ほととぎすあままもおかず こゆなきわたる
<<卯の花が散ってしまうのが惜しいと思ったのか霍公鳥が雨の間も無いくらい鳴き続けています>>

ホトトギスが白い卯の花の美しさが散ってしまうことで惜しんでいるわけではないでしょう。惜しいと感じているのは家持のほうです。その時,ホトトギスの鳴き声が途切れなく続いているので,きっとホトトギスも自分と同じ気持ちなのだろうと詠んでいるわけです。「雨間も置かず」は「雨が降り続いているのと同じ間隔で」という意味になりそうです。
「雨間」の次は「波間」です。

酢蛾島の夏身の浦に寄する波間も置きて我が思はなくに(11-2727)
すがしまのなつみのうらに よするなみあひだもおきて わがおもはなくに
<<酢蛾島の夏身の浦に寄せる波の間隔が繰り返されるような,あなたへ寄せる気持ちが強弱するような恋し方はしていないのに>>

この詠み人知らずの短歌は,恋しさに波があるようなことはないと宣言している1首だと私は感じます。
次は真珠のネックレスがぎっしり詰まっているような様子を形容して途切れ無い気持ちを詠んだ,詠み人知らずの短歌です。

玉の緒の間も置かず見まく欲り我が思ふ妹は家遠くありて(11-2793)
たまのをのあひだもおかず みまくほりあがおもふいもは いへどほくありて
<<珠の首飾りの珠が紐にすき間なく通されているように,休む間なく見ていたいよ。でも俺が思うおまえは遠くの家にいる>>

「玉の緒の」は間に掛かる枕詞という解釈が一般的ですが,私はあえて訳してみました。
最後は,天平12(740)年に中臣宅守(なかとみのやかもり)が流刑地の越前の国(今の福井県)から平城京にいると思われる狭野弟上娘子(さののちがみのをとめ)に贈ったといわれる歌の1首です。

霍公鳥間しまし置け汝が鳴けば我が思ふ心いたもすべなし(15-3785)
ほととぎすあひだしましおけ ながなけばあがもふこころ いたもすべなし
<<霍公鳥よ,鳴く間を少し開けてくれ。お前が鳴くと私が娘子を恋しく思う心を抑えることができなくなるから>>

流刑地の越前では,ホトトギスがしきりと鳴いていたのでしょう。それが妻を呼ぶ声に感じられた宅守には娘子と遠く離れざるを得ない自分を嘆くしかない心境だったのだと私は感じます。
「間を置く」の「間」は,作者の状況や心境などによって,ポジティブにもネガティブにも感じられたことが万葉集から私には見てとれます。
動きの詞(ことば)シリーズ…置く(3)に続く。