2010年3月28日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…偲ふ(1)

今回は,「偲ふ」を万葉集を基にひも解いてみたいと考えています。
万葉集では,100首近い和歌でこの動詞が使われています。
「偲ふ(しのふ)」は現代では「偲ぶ(しのぶ)」と発音します。
「故人を偲ぶ」「往時を偲ぶ」「故郷を偲ぶ」といった使い方をします。
過去を振り返ったり,今は無いヒトやモノに郷愁を感じたりで,決して積極的でもないし,未来志向でもないイメージと現在では感じる言葉かも知れません。
また,平安時代には「忍ぶ」と混同されて使用され,現在では「耐える」「我慢する」というイメージも感じてしまうのではないでしょうか。
しかし,万葉時代では,そのような意味に使われることもありますが,次のように「賞賛する」といったポジティブな意味で使われている例があります。

あしひきの山下日陰鬘着る上にや更に梅を偲はむ(19-4278)
あしひきの やましたひかげ かづらける うへにやさらに うめをしのはむ
<<山下に生えるひかげのかづらを髪の飾りに着けているうえに、どうして殊更梅を賞賛しようとしているのですか>>

この短歌は天平勝寶4年新嘗祭の酒宴で大伴家持が参加者とともに詠んだものの1首です。
この前に詠った藤原永手の次の短歌が新嘗祭の時期にも関わらず,鶯が枝を飛び回る自分庭に来て梅の花見をしませんかというものだったので,家持が諭したようにも見受けられます。

袖垂れていざ我が園に鴬の木伝ひ散らす梅の花見に(19-4277)
そでたれて いざわがそのに うぐひすの こづたひちらす うめのはなみに
<<おめかしをして,さあ私の庭に鶯が木から木へ伝いながら花びらを散らす梅を見に来てください>>

会社でいえば総務課長なのような役職である少納言の家持,支社長のような役職と想像される大和守であった永手。
余りにも場違い短歌を詠った永手に対して家持は,今は秋の草花であるヒカゲノカズラを飾る風習のある新嘗祭のときに何で?という気持ちを伝えたかったのでしょう。
とんとん拍子に昇進し,来年の梅の季節には新居に来てほしいという意図でもあり,図に乗っている永手を注意したのかも知れません。
永手の和歌は,万葉集にこの1首しか出てきていません。
この年の5年後には中納言,10年後には大納言に昇進した永手,出世ばかり考え和歌をほとんど詠んでいないのか,それとも下手で家持が選ばなかったのかは不明です。

ただ,万葉集でもこのように賞賛の意味で使われる例は少なく,愛している別離の人や今その場にない状況に想いを馳せる意味で多く使われています。
さて,天の川君が前回の話で紹介した「0と1のみのデータ」で頭の中が混乱している間に,次回は「偲ふ」の中でも「見つつ偲はむ」を中心に話を進めることにしましょう。「偲ふ」(2)に続く。

2010年3月20日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…伝ふ(3:まとめ) 万葉仮名は何かの暗号か?

<デジタルデータとは>
さて,インターネットを中心として情報を伝え合うシステムが急速に広まっている現代,万葉時代の万葉仮名に当たるものはあるのでしょうか。
私は,デジタルデータがそれに当たるのではないかと考えています。
デジタルデータの意味を一言で表すと,たとえば「0と1だけの2進数のように2値で表現できるデータ」といえます。
今電子メールなどでやり取りする文字データ,デジカメのデータや写メールでやり取りする画像データ,デジタルビデオカメラのデータやYuoTubeなどで閲覧できる動画・音声データ,地デジテレビの受信データなどなど,これらのデータはすべていわゆる0と1だけからなるデジタルデータなのです。
<0と1だけで様々なデータをとのように識別するのか>
では,0と1だけでどうやって数値,文字,画像,動画,音声を表現しているのかの考え方をひらがなを例に少し説明してみます。
ひらがなの「きた」は「北」「来た」「着た」「喜多」「喜田」など異なる意味をあらわす可能性があり,「きた」だけではどの意味か判別は困難です。
でも,幼児がひらがなだけで書いた文で「きた」が出てきたとしても,前後の文字や全体の位置をみればそれが上記のどの意味か判断ができることも多いはずです。
たとえば,「きたかぜ」「はるがきた」「ふくをきた」「きた まゆみ」などを見れば意味がかなり判別できそうです。
それは,情報を送る側(ひらがなを書く側)と受ける側(読む側)で共通に認識された文体や形式があるから判別できるのです。日本語が堪能でない人はその共通認識がないため,残念ながら理解はより困難になってしまいます。
<デジタルデータの少し専門的な話>
デジタルデータもひらがなの例と同じように考えると何となくイメージできるかもしれません。
ある取り決め(国際規格)に従えば,たとえば'01000001'というパターンは,65という数値を表わすこともあれば,アルファベットのAという文字を表すこともあります(画像や音声の一部であることもあります)。
ひらがな「きた」と同じで,見た目だけではどれを指しているかわかりません。
実際には,伝える側の装置(パソコン,携帯電話など)のキーボードで人がAのキーを押すと,'01000001'というデータがその装置の送信用下書きデータに追加されるのです。
全体の文章の入力が終わると各入力文字に対応する0と1の組み合わせ(たとえば,半角文字は2進数8桁,全角文字は同16桁)が入力順序に並んだデータが出来上がります。
このとき,このデータが画像,動画,音声ではなく文字データであるという種別(これもある種の取り決めによる0と1の何桁かにデジタルデータ)を前に付けます。
そして,送信を押すとインターネット上をこうして0と1だけでできたデジタルデータが相手に届きます。
受け取る側の機械(パソコンや携帯電話など)では,送られてきたデータが文字データであることを0と1の組み合わせから判別し,文字に対応した8桁または16桁の0と1の組み合わせデータから対応する文字を判別し画面に表示します。
文字データとして,上の例の'01000001'が来ると受け側のパソコンや携帯電話は画面にAを表示します。
<デジタルデータの暗号化技術>
しかし,この対応付け(標準)の取り決めが全部または一部分からなくなってしまうと0と1だけのデジタルデータは何を表わしているか理解できなくなる状況が発生します。
実は,インターネット取引に使われているデータの暗号化技術は,この対応関係が分からなくなるように0と1の並びを変えてしまうことなのです。
当然元のデータに戻せないと意味がないですから,戻すための鍵(これも100桁以上の0と1の組み合わデータ)として関係者以外は見せないようにしているのです。
<万葉仮名は暗号ではなさそう>
こうみてくると,万葉集の万葉仮名も当時の漢字と読み(音)の対応が存在しないため,何かの暗号ではないか,何らかの鍵(方式)で解読すると全く別意味になると思いたくなるのも無理はありません。でも,暗号化技術は伝え合う双方の間で完全な合意(万葉仮名だったら読みの完全な合意)形成があってから進化するものだと私は考えます。
当時の万葉仮名はそこまで進化していたでしょうか。私は万葉仮名を何か全く別の意味を示す暗号であるかもしれないと考えることに今は興味を持っていません。
<将来に何をデータとして残すか?>
さて,これからIT社会がさらに進化していくと,あらゆる情報・データはすべて0と1のデジタルデータで残されるようになるでしょう。また,近い将来ほとんどのデジタルデータは,ある種の暗号化がされて残されるようになると私は予測しています。
USBメモリの中には暗号化して保存する機能を持った製品が今普通に販売されています。

私たちは後世に伝え残していく必要のあるメッセージがあるはずです。それは過去に起こした過ちを繰り返さないでほしいという願いがこもったものだと私は思いたいのですが。
千年後の人々に対し,今の人が何を伝えようとしていたかを正しく理解してもらえるように伝える方法をしっかり考えていかなければならないと私は思うのです。
デジタルデータと文字や画像との対応付け方式はすでに多くの規格が存在しています。
文字だけでも世界中で使われている言語との対応付けを考えると非常に複雑なものに既になっています。
遠い未来の人たちが私たちのデジタルデータでできたメッセージの意味を正しく理解できるようにしておくことは結構難しいことを万葉仮名は教えてくれているように感じます。
このブログも消されずに残ってほしいと私は願っています。

さて,天の川君。今回の私の話は正しく伝わって理解できたよね?

天の川 「01001110 01101111 00101110」
       N     o     .
「伝ふ」終り。「偲ふ」(1)に続く。

2010年3月14日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…伝ふ(2) 万葉仮名は情報を伝えるメディア

今回は「伝える」手段として万葉集万葉仮名と今の情報伝達手段について考えてみます。
漢字は5世紀から6世紀にかけて日本にもたらされ,それまで文字をもたなかった大和民族は初めて文字を使うようになったのです。
万葉時代は大体7世紀から8世紀であるとすると,漢字を中心とした文字文化(漢文,万葉仮名の利用)がようやく広まりつつあった時代でしょう。
文字を書くための道具も当然必要で,筆,木簡,紙が使われたようですが,紙はまだ非常に高価なものだったようです。
結局,万葉時代は文字の活用はまだ一部の特権階級に限られ,相手に何かを伝えようとする場合,多くは文字を使わずまだまだ口承(声で伝える)ことの重要性がまだ大きな役割を持っていたと私は考えます。
次の山上憶良が詠んだ長歌の冒頭では,言い継ぐ(口承する)言葉,口伝てで啓示や国のPRを伝えることの重要性を示したものだと私が感じる和歌です。

神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり ~(5-894)
かむよより いひつてくらく そらみつ やまとのくには すめかみの いつくしきくに ことだまの さきはふくにと かたりつぎ いひつがひけり ~>
<<神の時代より言い伝え来ること 大和の国は天皇の祖先の威厳がそなわった国で,言葉に宿る霊威によって豊かに栄える国と語り継ぎ言い継がれてきた~>>

しかし,文字の活用技術も着実に進化していたのは事実です。その一つの試みがやまと言葉を文字で表現する場合の万葉仮名だったことは間違いありません。
万葉仮名は,万葉集での使われ方を見ても当時はまだ統一的な基準が定まっていなかったのではないかと私は感じます。例外的な用法がたくさんあり,現在でも読みが不明または定まっていない和歌が万葉集に多く残っています。
そのためか,万葉集は上代朝鮮語で解釈できるとか,何かの暗号ではないかとか,センセーショナルに取り上げた書籍も出版されているようです。
万葉集の編者大伴家持は,万葉集の編纂のために万葉仮名に対応するさまざまな読みの対比を説明するもの(恐らく漢文で説明したもの)を作っていたのでしょう。
ところが,家持没直後の弾劾で家族は流刑になり,家や彼が作った資料もすべて焼き払われ,そういった資料がなくなってしまった可能性が高いと私は考えます。私は,大伴家の衰退と万葉仮名の衰退には何らかの相関関係があるような気がしてなりません。
とはいえ幸い万葉集の写本は残り,そこにある万葉仮名の読みをその後の国学者が類推することで,万葉集に数々存在する多様な和歌が今まで伝わったことは紛れもない事実です。
<現代は伝える多くの手段がある>
いっぽう,今の社会においては万葉時代と違い,直接話す以外に相手に何かを伝える手段が非常に多くあります。
手紙やはがきなどの郵便,電話・電報,無線通話,FAX,インターネットを利用した電子メール・IP電話・Webサイト・ブログ・ツィッター・電子会議など,街の電光掲示板・看板・ポスター,新聞・雑誌などの広告・投書欄,テレビ・ラジオなどの広告や投稿,手話,点字,落書き(非合法)など本当にさまざまです。
これらは相手に情報を伝える手段(何を使って伝えるか)を指し,情報伝達媒体(メディア)と呼びます。
たとえば,マスメディアは多くの人に情報を伝える媒体を指します。また,マルチメディアは上記のようなたくさんの種類(特にデジタルデータの派生媒体)の情報伝達媒体があることを意味します。
メディアの種類は今後も増え続け,万葉時代とは比べ物にならないほど効果的・効率的,そしてより安価に相手に情報を伝えることができるまさに情報化時代なのです。
でも,そういった情報を伝える共通技術は非常にシンプルなものだということを次回に説明し,「伝ふ」のまとめとします。
「伝ふ」(3:まとめ)に続く。

2010年3月7日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…伝ふ(1)

今回は,「伝ふ(傳ふ)」を万葉集からひも解いてみたいと考えています。
「伝ふ」は,現在では伝わる,伝える,伝うというようにその意味によって動詞の語尾が異なるようになっています。
すなわち,もともとの「伝ふ」は結構広い意味の言葉であったようです。
その意味は大きく「ある地点を辿りながら何かが移動する」,「人から人に言葉を言い伝える」の二つに分かれます。
前者の意味(移動)では,次のような用例が万葉集に出てきます。

天伝ふ(あまつたふ)…太陽や月が天空を移動していく。
木伝ふ(こづたふ)…鳥が木の枝から枝へ飛び移る。
島伝ふ(しまつたふ)…船が島から島へ移動する。
水伝ふ(みなつたふ)…船が水の上を沿って行く。
百伝ふ(ももつたふ)…磐余,八十の島廻に掛かる枕詞。次々多く移るからたくさん(八十)の島廻りを連想。

次の詠み人知らずの短歌では,この意味で単に「伝ふ」が出てきます。

春されば妻を求むと鴬の木末を伝ひ鳴きつつもとな(10-1826)
はるされば つまをもとむと うぐひすの こぬれをつたひ なきつつもとな
<<春になり妻を求めて鶯が梢(こずえ)を移動してしきりに鳴いているよ>>

この意味を基にした熟語(名詞)として今の国語辞典などには,遺伝,駅伝,星(せい)伝,逓(てい)伝,伝駅(でんえき),伝戸(でんこ),伝使,伝書鳩,伝染,伝線,伝送,伝導,伝動,伝搬(でんぱん),伝票,伝符(てんぷ),伝馬(てんま),伝馬船,郵(ゆう)伝などが出てきます。

いっぽう,後者の意味(言い伝える)では,次のような用例が万葉集に出てきます。

言ひ伝ふ(いひつたふ)…昔から人から人へ言い伝える。伝承する。
言伝つ(ことつつ)…ことづける。伝言する。
百伝ふ(ももつたふ)…磐余,八十の島廻に掛かる枕詞。昔から多くの人が伝えてきたという意味で「言はれ→磐余」を連想。

次の万葉集の長歌(海辺で行き倒れの人を見て詠んだ和歌)では,この意味で「言伝つ」が出てきます。

鯨魚取り 海の浜辺に うらもなく 臥やせる人は 母父に 愛子にかあらむ 若草の 妻かありけむ 思ほしき 言伝てむやと 家問へば 家をも告らず 名を問へど 名だにも告らず~(13-3336:抜粋)
<~いさなとり うみのはまへに うらもなく こやせるひとは おもちちに まなごにかあらむ わかくさの つまかありけむ おもほしき ことつてむやと いへとへば いへをものらず なをとへど なだにものらず~>
<<~海岸に意識なく倒れている人は,その人の父母にとって最愛の子供であろうに。また,若草のような妻もいるだろう。思っていることを伝言してあげようと,家を聞いても答えない。また,名前を聞いても答えない。~>>

この意味を基にした熟語(名詞)として現代の国語辞典などには,家伝,皆伝,外伝,旧伝,虚伝,口(く)伝,経(けい)伝,喧(けん)伝,極(ごく)伝,古伝,誤伝,直(じき)伝,史伝,自伝,小伝,詳伝,承伝,初伝,所伝,世(せい)伝,正(せい)伝,宣伝,相伝,俗伝,単伝,嫡(ちゃく)伝,伝記,伝奇,伝承,伝説,伝達,伝道,伝播(でんぱ),伝聞(でんぶん),別伝,必伝,秘伝,謬(びょう)伝,評伝,風伝,武勇伝,銘銘伝,立志伝,略伝,流(る)伝,列伝などが出てきます。

今回は万葉集に出現する「伝ふ」の大きな二つの意味について考えてみました。次回は,現在の「伝ふ」を万葉時代の「伝ふ」と比較し,今の「伝ふ」の課題を浮き彫りにしてみたいと思います。
ところで,天の川君,今回の話,何となく伝わったかな?

天の川 「国語辞典なんかめったに使わへん。え~と,どこいったやろ。あっ,そや,この前資源ゴミに出してしもうたわ。」
「伝ふ」(2)に続く。

2010年3月1日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…待つ(4) 「待つは受け身か?:まとめ」

今回は動詞「待つ」をテーマとした投稿の最終回です。
まず,万葉集に出てくる「待つ」の熟語をいくつか紹介しましょう。

在り待つ(ありまつ)…そのまま待ち続ける。
心待つ(うらまつ,こころまつ)…心待ちにする。期待して心の中で密かに待つ。
片待つ(かたまつ)…ひたすら待つ。
待ち出づ(まちいず)…待ち受けて会う。出てくるのを待つ。
待ちがてに(まちがてに)…待つに堪えず,待ちかねて。
待ちかぬ(まちかぬ)…来ることが遅くて待ち切れなくなる。待ちあぐむ。待ちわびる。

これらの熟語には人間の「待つ」行為のいくつかの段階をそれぞれ示している気がします。
最初は誰にも知られないように密かに待っている(心待つ)。
    ↓
それが長い間になってくる(在り待つ)とひたすら我慢しながら待つことになる(片待つ)。
    ↓
そして,そのうち待ちきれなくなって(待ちかぬ)しまい,自ら出て行ってまで待つ(待ち出づ)。

梅の花咲き散る園に我れ行かむ君が使を片待ちがてり(10-1900)
うめのはなさきちるそのにわれゆかむ きみがつかひをかたまちがてり
<<梅の花がみごとに咲き,散った花びらが地面を彩っている美しい園に私は行きましょう。あなたの使いをずっと待っていたのにいよいよ待ちきれなくなってしまったので>>

梅の名所に梅の花が見ごろの時期にお逢いしましょうとデートを誘う文(ふみ)を出したのに相手の返事を持ってくる使いはいくら待っても来ない。
この短歌の作者は業を煮やして使いにこの短歌を持たせて相手に送ったのでしょう。
この和歌からビートルズやカーペンターズがカバーした「プリーズ・ミスター・ポストマン」を思い出すよね,天の川君?

  天の川「あ゛~はぁ~。 何? そんな何十年も前の歌,知るかいな!」

春眠から少し覚めたようだけど,まだ寝ぼけているので放っておきましょう。
<日本人は待ってばかりいて受け身の民俗か?>
さて,ここまで万葉集に現れる動詞「待つ」について何回か触れてきましたが,最後に日本人は待つばかり(受け身)の人間であるという内外の評価について少し触れ,「待つ」のまとめとします。
日本人は受け身で他人の真似をするのが得意。また,決められたことに対して創意工夫(改善)しつつ堅実に行うことも得意である。
しかし,やったこともないような新しいことにチャレンジするのは不得意という評価についてです。
これらの評価は,日本は島国だからということだけではどうも説明がつかないような気が私にはします。
<日本人の「待つ」は「四季の変化」と深い関係?>
私は「待つ」ことを是とする日本の国民性は,四季がもたらす規則正しい自然の変化と関係が強いのではないかと考えています。
万葉集の和歌から四季の変化(気象変化)や月の満ち欠け(潮汐変化)を無視しては,農作,漁業,狩猟,水運などはうまくいかないことをすでに万葉時代十分知っていたことと私は思います。
すなわち,自然と調和したもっとも合理的な経済の営みを送るために,ある作業の最適な自然環境になるまで「待つ」ことが当時の仕事の一つだったのだと私は感じるのです。
今でも,東北地方や甲信越地方では,山に残った残雪が真っ白からある形(雪形)が想定される動物や人の形への変化(雪融け)を待って種まきや田植えを開始したという言い伝えがあるところも多いようです。
<自然との調和より自然を変えるもいとわない一部外国?>
いっぽう,四季の変化の少ない国(熱帯,砂漠,ツンドラ,極限,高地)や雨季と乾季の差が激しい地域では,自然の変化を待つだけではなかなか定常的に豊かになれない。
そこで,自然の影響を受けにくい装置(温室,温度,湿度の空調設備,海水の真水化設備など),資材(強力な農薬,肥料),手法(パオテクノロジーによる品種改良)などの導入や極端な場合は自然を変えてまで人間の豊さを追及する姿勢が強くなるのかもしれません。
そういった国々の人から見ると,自然任せの日本人はアグレッシブさや開拓精神が足らないと映るのかもしれませんね。
また,そんな評価に対し「日本人はもっと積極的ならなければ」と自虐する日本自身のメディアや評論家が多いような気がします。
<自然との調和を忘れてはならない?>
今後さらに世界のグローバル化が進む中で,当然のこととして第一次産業から第三次産業まで日本の発展の方向性を様々な国へ説明し,理解を得ることだけでなく,全世界的な問題を解決するためにリーダシップの発揮をこれまで以上に求めらていくでしょう。
それに応えるためには,当然「待つ」だけでなく積極的な新しい提案やそれにチャレンジしていく行動力が必要になります。
しかし,たとえそうであったとしても,日本には万葉集にも多く取り上げられている類稀で美しく,そして我々にさまざまな恩恵を与えてくれる四季や自然の姿があることをけっして疎かにしてはならないと私は思うのです。
日本は自然とさまざまな産業が調和した生き方のベストプラクティス(もっとも成功した事例)であると世界が認め,自然と心身の豊かさを見るために多くの国から人々が訪れる,いつまでもそんな国でありたいと私は考えます。
<自然との調和は忍耐力が必要?>
それに向けては,決して焦らず,最適なタイミングを待つ。待っている間はやがて来るベストなタイミングになすべき行動の準備をしっかり行い,そのタイミングが来たら迅速かつ的確に行動する。
たとえ失敗してもその原因を分析し,次のタイミングまで対策を立て,また準備をしっかり行い,次の最適タイミングを待つ。
そんな,忍耐力は求められるがメリハリのある「待つ」という行為(自然や関係対象との調和のとり方)こそが,他国への侵略や干渉と受け取られない理想の国の在り方かも知れないと私は考えるのです。
動詞シリーズ「伝ふ」に続く