2014年3月21日金曜日

本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(4:まとめ)」 霞や霰という天候

ここまで,万葉集に出てくる天候の多様さについて私の考えを説明してきました。今回のスペシャル記事の最後は「霞(かすみ)」「霰(あられ)」をとりあげます。
万葉集で「霞」が出てくる和歌は78首ほどあり,「霰」が出てくる和歌は10首ほどあります。ようやく春らしくなった昨日今日ですが,まずは春によく立つ「霞」から見ていきましょう。
霞といえば,大伴家持の次の短歌が有名です。

春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鴬鳴くも(19-4290)

ただ,この短歌は2009年7月11日と2011年4月3日の当ブログで紹介済みなので割愛します。
次は同じ家持が越中守として赴任していた時期の旧暦3月16日に盟友の大伴池主に贈ったとされる1首です。

三島野に霞たなびきしかすがに昨日も今日も雪は降りつつ(18-4079)
みしまのにかすみたなびき しかすがにきのふもけふも ゆきはふりつつ
<<三島野に霞がたなびいて,それなのに昨日も今日も雪は降り続いている>>

今日のニュースでは,北日本は大荒れの天気で強い風が吹き,雪も降る予報が出ているようです。霞がたなびく春になっても雪が降り続き,なかなか暖かくならない状況を家持はやや嘆いているようにも私は感じます。
しかし,次の詠み人知らずの短歌のように,春は確実にやってきます。

見わたせば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも(10-1872)
みわたせばかすがののへに かすみたちさきにほへるは さくらばなかも
<<見わたせば春日の野に霞が立ち,そして立派に咲いているのは桜の花だろう>>

この短歌から,童謡「さくらさくら」の歌詞の「♪かすみか雲か」を思い出しました。
次は中臣武良自(なかとみのむらじ)が春の兆候を詠んだ短歌です。

時は今は春になりぬとみ雪降る遠山の辺に霞たなびく(8-1479)
ときはいまははるになりぬと みゆきふるとほやまのへに かすみたなびく
<<季節は今は春になったようだ。雪が降り積もる遠山のあたりに霞がたなびいているから>>

私が毎朝通勤の武蔵野線から見える富士山は日を追うごとにかすんでいきます。この短歌のように春になっている証拠なのかもしれませんね。
さて,最後は「霰」に関する万葉集の和歌を見ていきましょう。「霰」は広辞苑には,雪の結晶に過冷却状態の水滴が付着して凍り,白色不透明の氷の小塊になって地上降るものと説明されています。不安定な天候の時に発生するのだろうと私は想像します。
<「枕詞は常に訳さない」という考えは同意できない>
万葉集では,「霰降り」(鹿島,遠などにかかる),「霰打つ」(安良礼松原にかかる)という枕詞として出てくるものがほとんどです。枕詞なので「特に意味がない」と考えることに私は同調しません。和歌の主張する主体は別にあるとしても,文字がなかった時代,吟詠でそれを引き出すために枕詞は重要な役割を持っていたのではないでしょうか。枕詞に使われる言葉(この場合「霰」)は当時としては非常にポピュラーな言葉だったと私は想像します。
さて,枕詞としては使われていないと考えられる詠み人知らずの短歌(柿本人麻呂歌集に載っていたという)を紹介します。

我が袖に霰た走る巻き隠し消たずてあらむ妹が見むため(10-2312)
わがそでにあられたばしる まきかくしけたずてあらむ いもがみむため
<<衣の袖に霰が玉になって飛びこんでくるので,溶けないように包み隠して妻に見せてあげたい>>

雪でもなく,雹(ひょう)でもない霰に対する作者のイメージが伝わってきます。
こうやって,万葉集に出てくる天候だけを見てみても,いくらでも書けそうな気になってくるのは,万葉集を愛する人の中で私だけでしょうか。「暑いですね」「冷えますね」「よく降りますね」「お天気雨で虹が出てましたよ」「風止みませんね」「今日は一雨きそうですね」そして「良いお天気ですね」など日本人は日常的に天気のことについてコミュニケーションします。
それだけ,日本の天候は変化が激しく,多様で,そのことによる生活への影響が少なからずある。でも,一方ではその天気の変化の中で見せる自然の美しさを愛で,相手に伝え,共有することで,その変化を楽しもうしている,それが日本人の特性の一つだと私は思いたいのです。
あまりまとまっていませんが,今回のスペシャル記事はここまでとして,動きの詞シリーズに戻ります。
動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(1)に続く

2014年3月17日月曜日

本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(3)」 露という天候

今回は,前回の「霜」で出てきた「露霜」「露霜の」を除いた「露」について万葉集を見ていきたいと思います。
露の凍った状態を霜とすると,凍っていない露は降りるのは真冬以外のさまざまな季節で発生することになります。万葉集で霜については多様な表現で詠まれていますので,露も多様な表現で詠まれていると期待ができそうです。事実,露が出てくる万葉集の和歌は「露霜」「露霜の」を除いても,87首ほど出てきます。露という気象現象も万葉歌人にとって,比較的ポピュラーな和歌のテーマだったのかもしれませんね。

露についてどんな表現が使われているか見ていきましょうか。
暁露(あかときつゆ)‥夜明け前の少し明るくなったときに降りている露
朝露(あさつゆ)‥朝降りている露
朝露の‥「命」「消(け)」「置く」などにかかる枕詞
白露(しらつゆ)‥白く光って見える露
白露の‥「消(け)」「置く」にかかる枕詞
露の命(つゆのいのち)‥露のように消えやすい命
露原(つゆはら)‥露の多く降りている原。
露分け(つゆわけ)‥草原・野路などの,草の茂ったところの露を押し分けていくこと
露分け衣(つゆわけころも)‥露の多い草場などを分けていくときに着る衣
山下露(やましたつゆ)‥山中の木々の枝葉からこぼれ落ちる露
夕露(ゆうつゆ)‥夕方に降りている露

では,現代ではあまり見かけない言葉「山下露」の用例から見ていきましょう。

ぬばたまの黒髪山を朝越えて山下露に濡れにけるかも(7-1241)
ぬばたまのくろかみやまを あさこえてやましたつゆに ぬれにけるかも
<<黒髪山を朝越えて、山中の木々の枝葉についていた露に濡れてしまったよ>>

この詠み人知らずの短歌を詠んだ作者は,平城京の北にある黒髪山を越えて,京の妻に逢いに来たのかもしれません。山越えをしなければ露に濡れることはなかったのに,遠回りしないで急いできたことを訴えたいのでしょうか。
次は「露分け衣」を詠んだこれも詠み人知らずの短歌です。

夏草の露別け衣着けなくに我が衣手の干る時もなき(10-1994)
なつくさのつゆわけごろも つけなくにわがころもでの ふるときもなき
<<夏草の露分け衣に着けなければならないようなところを来たわけでもないのに,私の衣の袖は乾くときがない>>

苦しい恋で涙が止まらず,その涙を拭く衣の袖が乾くことがないと嘆いている短歌といえそうですね。露をかき分けかき分け進むイメージは,恋の行く末が見えない暗い道筋と,当時の考えとしてはうまく合っていたのではないかと私は想像します。
次は,「露原」を詠んだ詠み人知らずの旋頭歌です。

朝戸出の君が足結を濡らす露原早く起き出でつつ我れも裳裾濡らさな(11-2357)
あさとでのきみがあゆひをぬらすつゆはら はやくおきいでつつわれももすそぬらさな
<<朝戸を出てゆくあなたの足結を濡らす露原。私も早く起きてそこに出てあなたと同じように裳の裾を濡らしましょう>>

この旋頭歌は,2011年9月25日に本ブログで紹介しています。露原を一緒に行って,妻問に来た夫を可能な限り遠くまで見送りたい気持ちが私には伝わってきます。
最後は「白露」を詠んだ湯原王(ゆはらのおほきみ)の短歌を紹介します。

玉に貫き消たず賜らむ秋萩の末わくらばに置ける白露(8-1618)
たまにぬきけたずたばらむ あきはぎのうれわくらばに おけるしらつゆ
<<玉にして緒に通して消えないままもらいましょう,秋萩の枝先の葉に置いた白露を>>

秋萩の枝先の葉に降りた露が白く輝き,美しかったのでしょうか。湯原王はその露を玉にして残したいと思ったのかもしれません。
このように見てくると,露は美しい風景を与えてくれるが,露は冷たく,それに濡れることは苦痛を伴うことなのです。露に濡れることが苦しい恋や別離の苦しさをイメージする際に使われていたのだろうと私は感じます。
本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(4)」に続く。

2014年3月12日水曜日

本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(2)」 霜という天候

前回は天候(霧)の多様性を取り上げましたが,今回は天候(霜)の多様性を取り上げます。
万葉集では「霜」についても「霧」に負けないくらいいろいろなタイプの霜が出てきます。霧はある意味年間を通して出ますが,霜が出る時期や時間帯は霧に比べてはるかに限られているにも関わらずです。
まず,万葉集では「霜が降りる」ことを,「霜を置く」「霜が降る」と表現しています。事例を見ていきましょう。

この里は継ぎて霜や置く夏の野に我が見し草はもみちたりけり(19-4268)
このさとはつぎてしもやおく なつののにわがみしくさは もみちたりけり
<<この里はいつも霜の置くことがあるのか。夏の野で余が見た草はもう色づいていたぞよ>>

この短歌は天平勝宝4(752)年に孝謙天皇藤原仲麻呂に贈ったとされる1首です。
夏に紅葉のように綺麗に色づく草が招待された仲麻呂邸の庭に植えられていたのを見た孝謙天皇は,「ここでは夏でも霜が降りるのか?」と詠って仲麻呂邸を褒めたと私は想像します。降りた(置かれた)霜によって,紅葉がきれいに色づくというのが,当時の常識的な見方だったのでしょう。
この短歌から,孝謙天皇はこのときここまで仲麻呂をヨイショするほど仲麻呂に頼っていたのだと私には伝わってきます。

はなはだも夜更けてな行き道の辺の斎笹の上に霜の降る夜を(10-2336)
はなはだもよふけてなゆき みちのへのゆささのうへに しものふるよを
<<夜も大変更けてしまっているのに行ってしまわないでください。道の傍の神聖な笹にも霜が降るような夜ですのに>>

この詠み人知らずの短歌は,女性作で,妻問に来た夫を返したくない気持ちを詠んだものだといえるでしょう。人が安易に触ってはいけない神にささげる笹の葉に霜が降りる,でもその霜を蹴散らしながら私のことなんか忘れて帰るのでしょうねと夫に伝えていると私は感じます。
ここでは紹介しませんが,この夫はこの短歌を贈られて,そんなことをいって引き止める妻のことをますます思わずにはいられないという短歌を返しています。
さて,霜の種類もいくつか万葉集には出てきます。「露霜」「朝霜」「霜枯れ」「霜曇り」「霜夜」がそうです。一番多く出てくる「露霜」は「消(け)」,「置く」,「古」かかる枕詞「露霜の」として使われるほか,本来の「秋が深まり露が凍って霜に変わった」という意味の「露霜」も多く詠まれています。
次はそのなかの1首です。

妻恋ひに鹿鳴く山辺の秋萩は露霜寒み盛り過ぎゆく(8-1600)
つまごひにかなくやまへの あきはぎはつゆしもさむみ さかりすぎゆく
<<妻を恋う鹿が鳴く山辺の秋萩は,露霜が降りるほど寒くなったので,花の盛りが過ぎてゆく>>

これは内舎人の石川広成という人物が詠んだとされる短歌です。鹿は妻を恋う自分自身を示し,いくら鳴いてもなかなか妻は逢ってくれないので,妻の盛りも過ぎてしまわないかとを心配して詠んだ短歌だろうと私は解釈します。妻がなかなか逢ってくれない理由がわからない広成の戸惑いが私には見えます。
さて,最後は今はあまり使われない「霜曇り」が出てくる詠み人知らずの短歌を紹介します。

霜曇りすとにかあるらむ久方の夜渡る月の見えなく思へば(7-1083)
しもぐもりすとにかあるらむ ひさかたのよわたるつきの みえなくおもへば
<<霜が降りるために曇っているためだあろうか。夜を渡る月が見えないと思われる訳は>>

万葉時代,霜が降りるためにはそれなりの湿気が必要だと考えられていた可能性がありそうです。
夜曇っていて,未明に雲がとれて放射冷却が発生すると霜が降りやすいといえるのかもしれません。そのため,この短歌の作者は月の光に霜が輝く美しさを見たい,早く雲が取れてくれないかなと待っている姿を私は感じます。
<何度目かの台湾訪問>
さて,私は3月5日から8日まで約3年ぶりに台北に観光に行ってきました。
寒い日本を離れて,南国の気候を期待していましたが,台北はずっと小雨か曇りの天気で,南国の太陽を目にすることはありませんでした。最高気温も16度程度,最低気温は10度くらいまで下がり,現地の人たちはダウンジャケット,ブーツ,マフラー姿です。服装だけ見れば日本の真冬と変わらない服装をしていました。
それでも,台北市内で美味しいものを次々と食べ歩き,足裏マッサージも堪能。台北市立動物園でパンダの親子をゆっくり見学,猫空ロープウェイから台北市内を遠望し,九份老街もしっかり散策しました。
今回,空港と台北市内,観光地の移動はすべて地下鉄(MRT)かバスを使い(支払はプリペイドカード),結局タクシーは一度も使いませんでした。台北の多様な見どころを満喫し,公共交通機関の便利さと安さに改めて感心させられ旅行でした。
本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(3)」に続く。

2014年3月2日日曜日

本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(1)」 霧という天候

このブログを始めて満5年が経ち,6年目に入ります。
これまで320件ほど記事をアップしてきました。アップした記事が増えていますから当たり前なのかもしれませんが,おかげさまで記事件数の増加ペース以上で年々閲覧数が増えています。
このブログをここまで続けてこられたのは,以前にも述べましたが,万葉集の根底にあるさまざまな意味での「多様性」があるからだと私は感じています。もし,この万葉集にこのような「多様性」がなかったら,根っからの飽き性である私の性格からは,同じようなことを繰り返す記事ばかり書くのを嫌い,おそらく続かなかったとと思います。
万葉集の多様性については,多くの分野(動植物,衣食住,染色,文化,芸能,宗教,経済など)を専門を研究する研究者の方々が研究された成果があるようです。
それでも,私は,この節目で自分の感じた焦点を絞った視点(ビュー)から,万葉集の「多様性」をいくつかの切り口で書いてみたくなったのです。
<万葉集で表れる霧の多様性>
今回は天候(霧)の多様性を取り上げます。気象予報士の試験があるように,天候を予測したり,天候の変化に備えたりするには,自然現象である天候の性質について詳しく知っておく必要がありそうです。天気が変わるとは,ある天候の状態から別の天候の状態に変化することです。たとえば,晴れていたのに急に曇り出したとか,ザザ振りの雨が止み太陽が出て虹がかかったといった変化です。
気象庁の天気図に書かれる天気記号の種類には,快晴,晴,薄曇,曇,煙霧,砂塵嵐,地吹雪,霧,霧雨,雨,霙(みぞれ),雪,霰(あられ),雹(ひょう),雷があるそうです。
万葉集ではどんな天候が出くるのでしょうか。
2011年11月にアップした対語シリーズ「晴と雨」のように,晴や雨は万葉集でたくさん詠まれています。その他を見ていくと,がなんと80首ほどの和歌で詠まれているのです。万葉時代は,それだけ霧は和歌のテーマとしてポピュラーであり,霧はそれまで見えていた風景を一変させるような心理的効果があったのかも知れないと私は思います。
特に朝霧は昨日見ていた遠くの風景が隠され,近くものほどはっきりと見え,少しずつ遠くに行くほどぼやけていく姿を万葉歌人も幻想的と感じたのでしょう。

朝霧にしののに濡れて呼子鳥三船の山ゆ鳴き渡る見ゆ(10-1831)
あさぎりにしののにぬれて よぶこどりみふねのやまゆ なきわたるみゆ
<<朝霧にしっかり濡れて呼子鳥が三船の山を通って鳴きながら飛んでいくのが見える>>

この詠み人知らずの短歌は風景描写と自分の気持ちを詠んだ良い歌だと私は思います。呼子鳥がどのくらい霧で濡れているかはおそらく作者には見えていないのだろうと思います。三船山の上を飛んでいる呼子鳥の姿が朝霧の中でうっすらと見え,鳴き声だけは鮮明に聞こえたので,呼子鳥は長い時間霧の中を飛んでさぞや濡れて,ツラく感じているのだろうと作者は思った可能性があります。
作者自身も恋なのか仕事なのか,霧に隠されて方向性が見えず,涙で濡れている,そんな心境を前提にしてこの短歌を詠んだのかもしれませんね。
朝霧以外に,夕霧夜霧が万葉集で詠まれています。
次は天武天皇のひ孫にあたる圓方女王(まとかたのおほきみ)が義理の姉だと云われる智努女王(ちぬのおほきみ)の死去に際して詠んだ短歌です。

夕霧に千鳥の鳴きし佐保路をば荒しやしてむ見るよしをなみ(20-4477)
ゆふぎりにちどりのなきし さほぢをばあらしやしてむ みるよしをなみ
<<夕霧が立って千鳥の鳴いていた佐保路を荒れるままにしてしまうのでしょうか。もうお会いすることができずに>>

夕霧の中,千鳥が鳴いている佐保路を皇族の二人はよく一緒に歩いたのでしょうか。夕霧が出る頃ですから,辺りは薄暗くなって,二人だけで誰にも邪魔されず,いろんなことを話できたのかもしれません。そんな佐保路でもうお話ができなくなるので,道が荒れてしまうのではと残念がっています。佐保路は皇族がよく歩く道だとすると,きちっと整備されていたのでしょう。
次は夜霧について柿本人麻呂歌集で天武天皇の子である舎人皇子(とねりのみこ)が詠んだとされる短歌です。

ぬばたまの夜霧は立ちぬ衣手の高屋の上にたなびくまでに(9-1706)
ぬばたまのよぎりはたちぬ ころもでのたかやのうへに たなびくまでに
<<夜霧が高屋の上にたなびくほどたっている>>

山の上の方は月明かりで見えていたが,下の方は夜霧で白くたなびいた水墨画のような風景だったのかもしれません。
このほかにも,さまざまな状況の霧を詠んだ和歌で万葉集には出てきます。日本の多様な気候の変化とその変化を受け止める繊細な万葉人の感性があったればこそだと私は思うのです。
本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(2)」に続く。