2012年2月23日木曜日

対語シリーズ「男と女」(2)‥男は奪い合い,女は花と散る

相聞歌に代表される恋の歌が多数出てくる万葉集では,「男」は「女」の心を射止めようと奪い合うイメージがあるように感じます。
「女」はひたすら「男」からの妻問い(訪問)を待つというイメージから,美しく咲き,触れられるのをひたすら待つ「花」のイメージがあるように感じます。
「男」が「女」を奪い合うイメージの和歌は,過去にも紹介していますが,何と言っても次の中大兄皇子(後の天智天皇),大海人皇子(後の天武天皇)の歌でしょう。

香具山は畝傍を愛しと 耳成と相争ひき 神代よりかくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも妻を争ふらしき(1-13)
かぐやまはうねびををしと みみなしとあひあらそひき かむよよりかくにあるらし いにしへもしかにあれこそ うつせみもつまを あらそふらしき
<<香具山は畝傍山を愛し,同じく畝傍山を愛している耳梨山と争ったそうだよ。神代から争っていたらしいよ。昔からずっとそうだった。だから,今の人も妻にしようと争うこともあるんだって>>

紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも(1-20)
むらさきのにほへるいもをにくくあらば ひとづまゆゑにわれこひめやも
<<紫が似合う君がもし憎かったなら,人妻である君をどうして恋い慕うことがあるだろうか>>

このほかに,巻9の1801~1803(田辺福麻呂歌集)と1809~1811(高橋虫麻呂歌集)の詠み人知らずの長短歌に出てくる菟原娘子(うなひをとめ)をの逸話ががあります(歌自体は長いので紹介はしません)。
菟原とは現在の兵庫県芦屋市の近辺の地名で,その逸話ではその娘子をめぐって同郷の菟原壮士(うなひをとこ)と茅渟壮士(ちぬをとこ)の二人の男が身体を張って争ったとあります。
茅渟壮士の茅渟は大阪府泉南市あたりを指すと言います。
菟原壮士と茅渟壮士の争いが非常に激しいので菟原娘子はそれを悲しんでこの世を去ってしまいます。それを知った二人の男も後を追って死んだという逸話です。
この事実を知った親戚・縁者が悲恋の3人の墓を建てたところ,その墓を訪れる旅人が絶えず,和歌を詠む人も現れ,万葉集にそれが入ったと考えられます。

いっぽう「女」に花が似合うというイメージを詠んだ歌の代表例は,大伴家持が越中高岡で詠んだとされる次の有名な短歌3首でしょう。

なでしこが花見るごとに娘子らが笑まひのにほひ思ほゆるかも(18-4114)
なでしこがはなみるごとに をとめらがゑまひのにほひ おもほゆるかも
<<なでしこの花を見るたびに娘子たちの笑顔の生き生きとした美しさが思われてならない>>

春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子(19-4139)
はるのその くれなゐにほふもものはな したでるみちにいでたつをとめ
<<春の庭園で桃の花が照らす下道に立っている紅色がよく似合う娘子たちよ>>

もののふの八十娘子らが汲み乱ふ寺井の上の堅香子の花(19-4143)
もののふのやそをとめらがくみまがふ てらゐのうへのかたかごのはな
<<多くの少女たちが水を汲むために行き来をしている寺井の上の方で咲いている堅香子の花よ>>

今回はすべて男性作とされる男女感を詠んだ5首を紹介しましたが,次の対語シリーズでは女性側からの目で男女感を詠んだものを紹介しましす。
なお,次回は本ブログを始めて4年目に入るため,スペシャル記事をアップします。
当ブログ4年目突入スペシャル「万葉集編纂の目的は?」に続く。

2012年2月13日月曜日

対語シリーズ「男と女」(1)‥万葉時代は月光仮面が理想の男性?

いよいよ万葉集で恋の歌の前提となる「男」と「女」について見て行くことにしましょう。
重いテーマで1回の記事では長くなりすぎますので,2回またはそれ以上に分けてブログアップします。
さて,もし万葉時代に人がタイムマシンに乗って現代にきたら,男女の差が分かりにくいと感じるかもしれませんね。オネエマン,草食系男子,肉食系女子,ユニセックスウェアなど昔の男女の違いを否定するような言葉が市民権を得ようとしているように見えるからです。
万葉時代では,男性の人のことを「をのこ」とまたは「を」と発音していたようです。「をとこ」と発音する場合もありましたが,「壮士」と万葉仮名では書き,「をのこ」とは用例で区別していたように感じられます。
また「女」は当時「をんな」とは発音せず,「をみな」または「め」と発音していたようで,平安時代になってから「をんな」という発音が使われるようになったようです。
では,万葉集で出てくる男性を示す言葉をいくつかあげてみます(父,兄などの自明のものは除きます)。

明日香壮士(あすかをとこ:明日香の男),荒し男(あらしを:荒々しい男),古男(いにしへをとこ:昔から親しい男性),菟原壮士(うなひをとこ:菟原という土地の男),臣の壮士(おみのをとこ:宮廷につかえる人),老よし男(およしを:老人),細愛壮士(ささらえをとこ:小さくてかわいい男,月),猟男(さつを:狩りをする人),賤男(しづを:身分の低い男),信太壮士(しのだをとこ:信太という土地の男),背子(せこ:男性を親しんで言う語),茅渟壮士(ちぬをとこ:茅渟という土地の男),月人壮士(つきひとをとこ:月),月読壮士(つくよみをとこ:月),舎人壮士(とねりをとこ:律令制の下級官吏),伴の男(とものを:仕官),難波壮士(なにはをとこ),風流士(みやびを:みやびやかな男),もころ男(もころを:自分に匹敵する相手),男餓鬼(をがき),男神(をかみ),乎久佐男(をくさを:乎久佐という土地の男),乎久佐受家男(をくさすけを:乎久佐という土地の若い男),男盛り(をざかり),男じもの(をとこじもの:男であるものとして)

次に女性を表す言葉をいくつかあげてみます(母,妹など自明のものは除きます)。

東女(あづまをみな:東国の女性),海女(あま),天の探女(あまのさぐめ:日本神話に出てくる女。告げ口で天の邪魔をした),漢女(あやめ:裁縫を得意とした大陸系の渡来女性),伊勢処女(いせをとめ:伊勢の地の女性),稲置娘子(いなきをとめ:稲置<官職名>の娘),女郎・郎女(いらつめ:女性の愛称),童女放髪・髫髪放り(うなゐはなり:成人前の女性の髪の形),采女(うねめ:後宮の女官),弟日娘女(おとひをとめ:姉妹の少女の内,妹の方),臣の女(おみのめ:宮廷につかえる女性),可刃利娘子(かとりをとめ:堅織絹を織る若い女性),河内女(かふちめ:河内という土地の女性),栄娘子(さかえをとめ:若い盛りで美しい少女),左夫流子(さぶるこ:遊女),織女(たなばたつめ:機織をする女性,織女星),手弱女(たわやめ:なよなよした女),常処女(とこをとめ:いつも変らぬ若々しい少女),匂へ娘子(にほへをとめ:色が美しく生えた若い女性),泊瀬女(はつせめ:泊瀬に住む女性),日女・姫(ひめ:女性の美称),身女児(みめこ:可愛い少女),女餓鬼(めがき),女神(めかみ),女奴(めやっこ:女性をさげすんで言う語),大和女(やまとめ:大和の女性),我妹子(わぎもこ:自分好きな女性を親しんで呼ぶときに使う語),娘子・娘女・処女・乙女(をとめ:少女)

このように見てくると,男女とも年齢,立場,職業,出身地などでさまざまな呼び方をしていたのが分かります。
また,「月」のことを擬人的呼ぶ言葉が万葉集ではいくつか出てきます。「細愛壮士」「月人壮士」「月読壮士」がそうです。「月」のように爽やかに輝く姿が当時の女性にとって理想の男性のイメージだったのかも知れません。妻問い婚も,通う路が明るく照らされる満月周辺の日に行うことが多かったと考えてもよいと私は思います。

み空行く月読壮士夕さらず目には見れども寄るよしもなし(7-1372)
みそらゆくつくよみをとこ ゆふさらずめにはみれども よるよしもなし
<<夜空を行く月は夕方いつも目にしているのに近寄る方法がない>>

この詠み人知らずの短歌の作者は女性で,好きな男性を月のようにいつも見かけるけれど,なかなか付き合ってもらえない気持ちを詠んでいるのではないかと私は解釈します。
このような女性から見る男性の理想と違い,次の高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)の短歌のように,男から見るとやはり「強くてたくましい」のが男性が理想のようです。

千万の軍なりとも言挙げせず取りて来ぬべき男とぞ思ふ(6-972)
ちよろづのいくさなりとも ことあげせずとりてきぬべき をのことぞおもふ
<<たとえ敵が千万の軍勢であろうとも貴殿は取り立てて言うことも無く討ち取って帰って来るような勇猛な男と思う>>

これは藤原宇合(ふぢはらのうまかひ)が参議式部卿として西海節度使の命を受け,筑紫へ旅立つとき,見送る虫麻呂が詠んだものです。参謀総長の出征を見送るようなものですから,きわめて儀礼的であるのは否めないですが,男に求められるものの一旦は見えるのではないかと思います。
最後は,大伴旅人にユーモアのセンスが当時からあったのでは?と思わせる,訪問した地の男性を詠んだ短歌を紹介します。

我が衣人にな着せそ網引する難波壮士の手には触るとも(4-577)
あがころもひとになきせそ あびきするなにはをとこの てにはふるとも
<<私の贈るこの新しい衣を他人には着せないでほしいな。網を引くようなごつい手の難波男に触れてもね>>

旅人が大宰府長官の任を解かれ,京に戻る途中,摂津大夫高安王(たかやすのわほきみ)の邸宅で世話になったお礼に,新しい儀礼用の衣を贈るとき詠んだ短歌とされています。高安王はたまたま摂津大夫の職を任ぜられていたのであって摂津出身ではないようですが,旅人は難波の漁師顔負けのごつい手をしていた高安王を「難波壮士」と戯れて言ったのでしょうか。大納言旅人から贈られた新品の着物ですから,着ないで飾っておいたり,別の偉い人の贈答品にしないよう,旅人は「自分用に使って欲しい」とユーモアを込めて念を押したのだと私は想像します。
これに対して,高安王の返歌は万葉集に残っていませんが,高安王の万葉集にある他の歌はユーモアを感じさせるものですから,どんなお礼の返歌したのか興味があります。
まさか,天の川君が本当にめずらしく義理チョコをもらった時のような「おおきに,あんがとさん。ほな,遠慮の~も~ときまっさ」という軽い返事ではなかったと思いますが..。
対語シリーズ「男と女」(2)に続く。

2012年2月6日月曜日

対語シリーズ「内と外」‥内外を仕切るもの,いろいろありますね。

節分も終り,みなさんの家(内)に福さんが来て,鬼さんは外に逃げましたでしょうか。
今回は「内」と「外」について,万葉集を見て行くことにします。
万葉集で「内」の漢字を単独で使う場合「うち」の読みのみですが,「外」は「と」「ほか」「よそ」の3種類の読みに当てはめられています。ただし,「内」は次のような熟語で使われ,その読みも変わります。

内舎人(うどねり)‥律令制で中務に属する官僚。名家の子弟を選び,天皇の雑役や警備を担当。
垣内(かきつ)‥垣根の中。屋敷の中。
河内(かふち)‥川の中流に沿う小平地。
屋内(やぬち)‥家の中。

まずは「内」を詠んだ大伴書持(ふみもち)の短歌を紹介します。

遊ぶ内の楽しき庭に梅柳折りかざしてば思ひなみかも(17-3905)
あそぶうちのたのしきにはに うめやなぎをりかざしてば おもひなみかも
<<気を許して遊ぶ仲間内の楽しい宴の庭で、梅や柳を折かざして遊んだなら,何の心残りもないのだろうか>>

父である大伴旅人が九州大宰府で梅見の大きな宴席(天平2年)で,旅人の盟友沙弥満誓(さみのまんぜい)が詠んだ次の短歌を書持が見て,天平12(740)年に追和して詠んだものです。

青柳梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし(5-821)
あをやなぎうめとのはなををりかざし のみてののちはちりぬともよし
<<青柳と梅の花を手折って髪飾りにして、飲んだあとは散ってもかまわない>>

今は公共意識が高くなっていてそんなことをする人はいないと思いますが,私の少年時代にはお花見で桜の枝を折ったり,桜の木を蹴って花吹雪を演出したりする人がときどきいました。
花見会がそれで盛り上がれば,その会の参加者は楽しい訳ですが,周囲でお花見をしている人達や,翌日または翌年その場所でお花見をする人達にとって楽しいことは何もありません。
満誓の短歌が余りにも人間のエゴ的な発想と感じた書持が,草木を痛めつけることに関して気にならないのかという考えを詠んでいるのではないかと私は思います。
役職などの記録がないことから,書持は若い頃からずっと病弱で外に出る機会は少なく,自宅内で庭の草木を愛でる生活が続いていたのでしょう。
そんな書持は,酒を浴びるほど飲んで梅や柳の枝を手で折って,どんちゃん騒ぎをする宴席がどんなに楽しいものだとよその人は言っても,受け入れることはできなかったのかもしれません。
さて,今度は「外」を詠んだ詠み人知らずの短歌を紹介します。

里人の言寄せ妻を荒垣の外にや我が見む憎くあらなくに(11-2562)
さとびとのことよせづまを あらかきのよそにやわがみむ にくくあらなくに
<<里人が噂する彼女を他人のようにして私は見てしまう。大好きなのに>>

この短歌の詠み人の彼女は可愛いと噂が立っている。彼女との仲はできているが,噂が立って恋路の邪魔をされたくないから,気付かれないように他(ほか)の人のような態度で見てしまう。しかし,彼女に対する大好きな気持ちは押さえれないという苦しい想いを詠んでいると私は感じます。
恋人同士の「内」と「外」の使い分けは,お互いの恋しい気持ちが強いほど難しい。いっそのことオープンにしてしまいたいが外野がうるさそうだ。そんな「内」と「外」の葛藤がまた恋の歌を作らせるのでしょう。
最後に,「内」と「外」の両方を詠んだ大伴家持の短歌を紹介します。

大宮の内にも外にもめづらしく降れる大雪な踏みそね惜し(19-4285)
おほみやのうちにもとにも めづらしくふれるおほゆき なふみそねをし
<<宮中の内にも外にもめずらしく大雪が降った。この白雪をどうか踏み荒らさないで頂きたいものだ>>

この短歌は家持が越中から戻った後の天平勝宝5(753)年1月,奈良で詠んだものとされています。越中に比べ奈良は雪がそれほど降りません。ようやく降った雪に家持は「めずらしく」という言葉を使ったのだと私は思います。そして,家持は雪が宮中の内と外を区別することなく積もった。
雪が降る前は,宮中の中は整備されて綺麗でも,一歩外に出ると整備されていない道や不潔な場所,スラムのような街がある。雪が覆うことによって,内も外も同じような綺麗に見える。そんな状況がいつまでも続くことを家持は望んで詠んだのではないかと私は思いたいのです。
「内」と「外」の使い分けは難しい?
「内」と「外」があるということは,両者を区別する何かの存在があります。たとえば,戸,扉,塀,生け垣,柵,溝,堀,進入禁止など看板といったものです。また,現代の社会関係では,仲間内,サークル,氏族,血縁,日本人と外国人,関税障壁,参入障壁,正社員と非正規社員など,「内」と「外」を区別するものがあります。
急激な国際化,いっぽうでプライバシー意識の高まり,地域連帯の希薄化,情報伝達方法や価値観の多様化,世代間格差,貧富格差などが社会問題化している今,さまざまな内外の区分が存在することによるメリットとデメリットを改めて見直す必要が今あるのではないかと私は考えています。
対語シリーズ「男と女」に続く。