2012年2月6日月曜日

対語シリーズ「内と外」‥内外を仕切るもの,いろいろありますね。

節分も終り,みなさんの家(内)に福さんが来て,鬼さんは外に逃げましたでしょうか。
今回は「内」と「外」について,万葉集を見て行くことにします。
万葉集で「内」の漢字を単独で使う場合「うち」の読みのみですが,「外」は「と」「ほか」「よそ」の3種類の読みに当てはめられています。ただし,「内」は次のような熟語で使われ,その読みも変わります。

内舎人(うどねり)‥律令制で中務に属する官僚。名家の子弟を選び,天皇の雑役や警備を担当。
垣内(かきつ)‥垣根の中。屋敷の中。
河内(かふち)‥川の中流に沿う小平地。
屋内(やぬち)‥家の中。

まずは「内」を詠んだ大伴書持(ふみもち)の短歌を紹介します。

遊ぶ内の楽しき庭に梅柳折りかざしてば思ひなみかも(17-3905)
あそぶうちのたのしきにはに うめやなぎをりかざしてば おもひなみかも
<<気を許して遊ぶ仲間内の楽しい宴の庭で、梅や柳を折かざして遊んだなら,何の心残りもないのだろうか>>

父である大伴旅人が九州大宰府で梅見の大きな宴席(天平2年)で,旅人の盟友沙弥満誓(さみのまんぜい)が詠んだ次の短歌を書持が見て,天平12(740)年に追和して詠んだものです。

青柳梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし(5-821)
あをやなぎうめとのはなををりかざし のみてののちはちりぬともよし
<<青柳と梅の花を手折って髪飾りにして、飲んだあとは散ってもかまわない>>

今は公共意識が高くなっていてそんなことをする人はいないと思いますが,私の少年時代にはお花見で桜の枝を折ったり,桜の木を蹴って花吹雪を演出したりする人がときどきいました。
花見会がそれで盛り上がれば,その会の参加者は楽しい訳ですが,周囲でお花見をしている人達や,翌日または翌年その場所でお花見をする人達にとって楽しいことは何もありません。
満誓の短歌が余りにも人間のエゴ的な発想と感じた書持が,草木を痛めつけることに関して気にならないのかという考えを詠んでいるのではないかと私は思います。
役職などの記録がないことから,書持は若い頃からずっと病弱で外に出る機会は少なく,自宅内で庭の草木を愛でる生活が続いていたのでしょう。
そんな書持は,酒を浴びるほど飲んで梅や柳の枝を手で折って,どんちゃん騒ぎをする宴席がどんなに楽しいものだとよその人は言っても,受け入れることはできなかったのかもしれません。
さて,今度は「外」を詠んだ詠み人知らずの短歌を紹介します。

里人の言寄せ妻を荒垣の外にや我が見む憎くあらなくに(11-2562)
さとびとのことよせづまを あらかきのよそにやわがみむ にくくあらなくに
<<里人が噂する彼女を他人のようにして私は見てしまう。大好きなのに>>

この短歌の詠み人の彼女は可愛いと噂が立っている。彼女との仲はできているが,噂が立って恋路の邪魔をされたくないから,気付かれないように他(ほか)の人のような態度で見てしまう。しかし,彼女に対する大好きな気持ちは押さえれないという苦しい想いを詠んでいると私は感じます。
恋人同士の「内」と「外」の使い分けは,お互いの恋しい気持ちが強いほど難しい。いっそのことオープンにしてしまいたいが外野がうるさそうだ。そんな「内」と「外」の葛藤がまた恋の歌を作らせるのでしょう。
最後に,「内」と「外」の両方を詠んだ大伴家持の短歌を紹介します。

大宮の内にも外にもめづらしく降れる大雪な踏みそね惜し(19-4285)
おほみやのうちにもとにも めづらしくふれるおほゆき なふみそねをし
<<宮中の内にも外にもめずらしく大雪が降った。この白雪をどうか踏み荒らさないで頂きたいものだ>>

この短歌は家持が越中から戻った後の天平勝宝5(753)年1月,奈良で詠んだものとされています。越中に比べ奈良は雪がそれほど降りません。ようやく降った雪に家持は「めずらしく」という言葉を使ったのだと私は思います。そして,家持は雪が宮中の内と外を区別することなく積もった。
雪が降る前は,宮中の中は整備されて綺麗でも,一歩外に出ると整備されていない道や不潔な場所,スラムのような街がある。雪が覆うことによって,内も外も同じような綺麗に見える。そんな状況がいつまでも続くことを家持は望んで詠んだのではないかと私は思いたいのです。
「内」と「外」の使い分けは難しい?
「内」と「外」があるということは,両者を区別する何かの存在があります。たとえば,戸,扉,塀,生け垣,柵,溝,堀,進入禁止など看板といったものです。また,現代の社会関係では,仲間内,サークル,氏族,血縁,日本人と外国人,関税障壁,参入障壁,正社員と非正規社員など,「内」と「外」を区別するものがあります。
急激な国際化,いっぽうでプライバシー意識の高まり,地域連帯の希薄化,情報伝達方法や価値観の多様化,世代間格差,貧富格差などが社会問題化している今,さまざまな内外の区分が存在することによるメリットとデメリットを改めて見直す必要が今あるのではないかと私は考えています。
対語シリーズ「男と女」に続く。

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