2012年2月13日月曜日

対語シリーズ「男と女」(1)‥万葉時代は月光仮面が理想の男性?

いよいよ万葉集で恋の歌の前提となる「男」と「女」について見て行くことにしましょう。
重いテーマで1回の記事では長くなりすぎますので,2回またはそれ以上に分けてブログアップします。
さて,もし万葉時代に人がタイムマシンに乗って現代にきたら,男女の差が分かりにくいと感じるかもしれませんね。オネエマン,草食系男子,肉食系女子,ユニセックスウェアなど昔の男女の違いを否定するような言葉が市民権を得ようとしているように見えるからです。
万葉時代では,男性の人のことを「をのこ」とまたは「を」と発音していたようです。「をとこ」と発音する場合もありましたが,「壮士」と万葉仮名では書き,「をのこ」とは用例で区別していたように感じられます。
また「女」は当時「をんな」とは発音せず,「をみな」または「め」と発音していたようで,平安時代になってから「をんな」という発音が使われるようになったようです。
では,万葉集で出てくる男性を示す言葉をいくつかあげてみます(父,兄などの自明のものは除きます)。

明日香壮士(あすかをとこ:明日香の男),荒し男(あらしを:荒々しい男),古男(いにしへをとこ:昔から親しい男性),菟原壮士(うなひをとこ:菟原という土地の男),臣の壮士(おみのをとこ:宮廷につかえる人),老よし男(およしを:老人),細愛壮士(ささらえをとこ:小さくてかわいい男,月),猟男(さつを:狩りをする人),賤男(しづを:身分の低い男),信太壮士(しのだをとこ:信太という土地の男),背子(せこ:男性を親しんで言う語),茅渟壮士(ちぬをとこ:茅渟という土地の男),月人壮士(つきひとをとこ:月),月読壮士(つくよみをとこ:月),舎人壮士(とねりをとこ:律令制の下級官吏),伴の男(とものを:仕官),難波壮士(なにはをとこ),風流士(みやびを:みやびやかな男),もころ男(もころを:自分に匹敵する相手),男餓鬼(をがき),男神(をかみ),乎久佐男(をくさを:乎久佐という土地の男),乎久佐受家男(をくさすけを:乎久佐という土地の若い男),男盛り(をざかり),男じもの(をとこじもの:男であるものとして)

次に女性を表す言葉をいくつかあげてみます(母,妹など自明のものは除きます)。

東女(あづまをみな:東国の女性),海女(あま),天の探女(あまのさぐめ:日本神話に出てくる女。告げ口で天の邪魔をした),漢女(あやめ:裁縫を得意とした大陸系の渡来女性),伊勢処女(いせをとめ:伊勢の地の女性),稲置娘子(いなきをとめ:稲置<官職名>の娘),女郎・郎女(いらつめ:女性の愛称),童女放髪・髫髪放り(うなゐはなり:成人前の女性の髪の形),采女(うねめ:後宮の女官),弟日娘女(おとひをとめ:姉妹の少女の内,妹の方),臣の女(おみのめ:宮廷につかえる女性),可刃利娘子(かとりをとめ:堅織絹を織る若い女性),河内女(かふちめ:河内という土地の女性),栄娘子(さかえをとめ:若い盛りで美しい少女),左夫流子(さぶるこ:遊女),織女(たなばたつめ:機織をする女性,織女星),手弱女(たわやめ:なよなよした女),常処女(とこをとめ:いつも変らぬ若々しい少女),匂へ娘子(にほへをとめ:色が美しく生えた若い女性),泊瀬女(はつせめ:泊瀬に住む女性),日女・姫(ひめ:女性の美称),身女児(みめこ:可愛い少女),女餓鬼(めがき),女神(めかみ),女奴(めやっこ:女性をさげすんで言う語),大和女(やまとめ:大和の女性),我妹子(わぎもこ:自分好きな女性を親しんで呼ぶときに使う語),娘子・娘女・処女・乙女(をとめ:少女)

このように見てくると,男女とも年齢,立場,職業,出身地などでさまざまな呼び方をしていたのが分かります。
また,「月」のことを擬人的呼ぶ言葉が万葉集ではいくつか出てきます。「細愛壮士」「月人壮士」「月読壮士」がそうです。「月」のように爽やかに輝く姿が当時の女性にとって理想の男性のイメージだったのかも知れません。妻問い婚も,通う路が明るく照らされる満月周辺の日に行うことが多かったと考えてもよいと私は思います。

み空行く月読壮士夕さらず目には見れども寄るよしもなし(7-1372)
みそらゆくつくよみをとこ ゆふさらずめにはみれども よるよしもなし
<<夜空を行く月は夕方いつも目にしているのに近寄る方法がない>>

この詠み人知らずの短歌の作者は女性で,好きな男性を月のようにいつも見かけるけれど,なかなか付き合ってもらえない気持ちを詠んでいるのではないかと私は解釈します。
このような女性から見る男性の理想と違い,次の高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)の短歌のように,男から見るとやはり「強くてたくましい」のが男性が理想のようです。

千万の軍なりとも言挙げせず取りて来ぬべき男とぞ思ふ(6-972)
ちよろづのいくさなりとも ことあげせずとりてきぬべき をのことぞおもふ
<<たとえ敵が千万の軍勢であろうとも貴殿は取り立てて言うことも無く討ち取って帰って来るような勇猛な男と思う>>

これは藤原宇合(ふぢはらのうまかひ)が参議式部卿として西海節度使の命を受け,筑紫へ旅立つとき,見送る虫麻呂が詠んだものです。参謀総長の出征を見送るようなものですから,きわめて儀礼的であるのは否めないですが,男に求められるものの一旦は見えるのではないかと思います。
最後は,大伴旅人にユーモアのセンスが当時からあったのでは?と思わせる,訪問した地の男性を詠んだ短歌を紹介します。

我が衣人にな着せそ網引する難波壮士の手には触るとも(4-577)
あがころもひとになきせそ あびきするなにはをとこの てにはふるとも
<<私の贈るこの新しい衣を他人には着せないでほしいな。網を引くようなごつい手の難波男に触れてもね>>

旅人が大宰府長官の任を解かれ,京に戻る途中,摂津大夫高安王(たかやすのわほきみ)の邸宅で世話になったお礼に,新しい儀礼用の衣を贈るとき詠んだ短歌とされています。高安王はたまたま摂津大夫の職を任ぜられていたのであって摂津出身ではないようですが,旅人は難波の漁師顔負けのごつい手をしていた高安王を「難波壮士」と戯れて言ったのでしょうか。大納言旅人から贈られた新品の着物ですから,着ないで飾っておいたり,別の偉い人の贈答品にしないよう,旅人は「自分用に使って欲しい」とユーモアを込めて念を押したのだと私は想像します。
これに対して,高安王の返歌は万葉集に残っていませんが,高安王の万葉集にある他の歌はユーモアを感じさせるものですから,どんなお礼の返歌したのか興味があります。
まさか,天の川君が本当にめずらしく義理チョコをもらった時のような「おおきに,あんがとさん。ほな,遠慮の~も~ときまっさ」という軽い返事ではなかったと思いますが..。
対語シリーズ「男と女」(2)に続く。

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