2010年11月27日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…立つ(4)

本シリーズでは,テーマとするひとつの動詞に対し,通常3回で完結としています。ただ,今回の「立つ」は万葉集でもさまざまな意味で使われるため,4回目になってもまだ終わりません。
今回は今の表現でいうと「ジェット機が轟音を立てて離陸する」や「寝息を立てる」という表現となる,なんらかの音を「立てる」について考えてみましょう。
大伴家持が天平勝宝8年2月24日37歳の頃,難波の運河の傍(そば)で詠んだ次の短歌を紹介します。

堀江漕ぐ伊豆手の舟の楫つくめ音しば立ちぬ水脈早みかも(20-4460)
ほりえこぐ いづてのふねの かぢつくめ おとしばたちぬ みをはやみかも
<<運河を漕いで行く伊豆製の船の強く握った櫂(かい)が何度も音を立てているのは,水の流れが速いのかもしれないぞ>>

この頃家持は,難波で防人の検校(けんぎょう)の任に就いていたようです。家持の難波での宿舎または詰所は運河のそばにあったのかも知れません。
運河を通る船の上部しか見えないけれど,櫂をこぐときに櫂を通す穴とすれる音はいつも聞こえていたのかも知れません。
伊豆の国で造営された優秀なブランド船なのに,櫂をこぐ音がいつもと違い,力が入っていて,続けて音を立てて聞こえるのは,よほど運河を流れる水の流れが速いに違いないと家持には感じられたのでしょうか。
海の近くに掘られた運河は,潮の満ち引きや接続する川の水量の影響で,時として船を進めるのが難渋するほどの流れになることもあったのだと私は想像します。
その船の櫂や艪(櫓)を漕ぐときに,それらを支える部分との摩擦音として「立つ音」で想像する観察力や表現力は家持ならのものでしょう。
ただ,家持が「立つ音」の変化から「水脈早みかも」とした意味をもう少し深読みすると,船は防人を運ぶ船で,急に防人への徴兵数が増えてきたこと示そうとしている可能性もあるのではと私は推理します。
この後に続く2首は,家持が同時に詠んだ奈良の都を偲ぶ望郷の短歌です。

堀江より水脈さかのぼる楫の音の間なくぞ奈良は恋しかりける(20-4461)
ほりえより みをさかのぼる かぢのおとの まなくぞならは こひしかりける
<<運河の水流を溯る櫂の音が休む間もないように私はいつも奈良の都を恋しいと思っている>>

舟競ふ堀江の川の水際に来居つつ鳴くは都鳥かも(20-4462)
ふなぎほふ ほりえのかはの みなきはに きゐつつなくは みやこどりかも
<<舟が並んでいる運河の水際に来て居ついているのは都鳥だろうか(そうなら都が偲ばれる)>>

単身赴任だったと思われる家持は,防人の検校の処理が増え,なかなか都には帰れず,妻ともしばらく逢えずにいる寂しさを表している可能性もあります。
私は,この短歌から,在原業平隅田川の今の言問橋付近(ちなみに近くでは東京スカイツリーが建設中です)で詠んだという次の伊勢物語にでてくる短歌を思い出しました。
ただ,家持が難波の運河で詠んだ都鳥と業平が隅田川で詠んだ都鳥が同じ鳥だったかどうかは定かではありません。

名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと(伊勢9段)
なにしおはば いざこととはむ みやこどり わがおもふひとは ありやなしやと
<<都という名を持っているなら、さあ尋ねよう、都鳥。私の恋しく思っているあの人は無事なのかと>>

立つ(5:まとめ)に続く。

2010年11月22日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…立つ(3)

今回は,万葉集に出てくるについて書いてみます。

天の川「あれ?『立つ』の話とちゃうのかいな? たびとはん,本当はもうネタ切れやろ。」

久しぶりに出てきたね,天の川君。ネタ切れなんかしてないよ。橘は「立ち花」と読めないかね。

天の川「そんなん無理なコジツケとちゃう?」

天の川の突っ込みは,放っておいて先に進めましょう。
昨年10月5日にこのブログで紹介した大伴家持越中で詠んだ橘の長歌の一部を紹介します。
この長歌全体の意味は昨年10月5日のブログを参照ください。

田道間守 常世に渡り 八桙持ち 参ゐ出来し時 時じくの かくの木の実を 畏くも 残したまへれ 国も狭に 生ひ立ち栄え 春されば 孫枝萌いつつ (中略) 冬に至れば 霜置けども その葉も枯れず 常磐なす いやさかはえに ~(18-4111)
<~たぢまもり とこよにわたり やほこもち まゐでこしとき ときじくの かくのこのみを かしこくも のこしたまへれ くにもせに おひたちさかえ はるされば ひこえもいつつ (中略) ふゆにいたれば しもおけども そのはもかれず ときはなす いやさかはえに ~>
<<~田道間守(たぢまもり)という人が,常世の国に渡り,いつも芳しい香りがする木の実(橘)を持ち帰られ,日本の国狭しと生え栄えている。春には新芽が萌え(中略)冬になっても,葉は枯れず緑のままで盛んに繁っている~>>

田道間守が,橘の実を日本に持ち帰って植えたところ,国狭しと茂り栄えて,その美しさといつも新鮮な姿や香りで,四季折々に私たちを楽しませ,勇気づけてくれている家持は礼賛しています。
「生立ち栄える」とはまさに「繁栄する」という言葉の原義に同じだと私は感じます。
<大学同窓会参加記>
さて,昨日私は母校の大学で開催されたある同窓会に参加しました。参加者は企業や団体において,一線で活躍している人達が集まる同窓会でした。
私のようにかなり前に卒業したOBだけでなく,最近卒業したOB・OGもたくさん来ていて,大学の講堂満杯の総勢4~5千人が集まりました。
同窓会では卒業生のさまざまな活躍事例が紹介され,社会への貢献と今後卒業していく学生へもみんなで力を合わせて支援していこうということになりました。
1975年に僅か数百名の卒業生を最初に出して以来,35年後の今,多くの企業,団体でトップや幹部職になっている人達が次々と増えている実感が湧きました。
まさに,家持の長歌の如く,次々と「生立ち栄える」という言葉が当てはまる勢いの同窓会でした。
さらに,講堂での同窓会前後に各方面で活躍している同窓生とも再会もでき,楽しい時間を過ごせました。同窓生の昨今の経済状況の悪さに負けず真面目な職場への取り組みに励まされ,私も頑張っていこうという気持を新たにしたのです。
写真は,小春日和の中,紅葉が美しいキャンパスを久しぶりにゆっくり散策でき,撮ったものの一枚です。

立つ(4)に続く。

2010年11月14日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…立つ(2)

現在では,「立つ」のイメージは「ビルがそびえ立つ」「人が直立する」「木が林立する」「岸壁が切り立つ」といった限定されたイメージの傾向が少し強いのではないでしょうか。
でも,私たちはそういった上方向に立つはずのないものに「立つ」を付けた言葉を普段何気なく使っています。
たとえば,「目立つ」ですが,眼は上方向に立ちませんね。
「思い立つ」は決心することで,何かが立つわけではありません。
「立つ」の他動詞「立てる」だともっと分かりやすい例があります。
「計画を立てる」は,計画書を横に寝かせないで縦に立てておくという意味ではありません。
「検察はビデオ流出事件を暴き立てる」は,検察官が椅子に座らずに立った状態で関係者の取り調べることを示している訳ではありません。
「茶を立てる」は,縁起が良いように茶の葉を立てて淹れることでもありません。
このように「立つ」「立てる」の広い意味を区別するため別の漢字をあてることもよく行われます。
「茶を立てる」を「茶を点てる」と書くようにです。

さて,万葉集では,「立つ」「立てる」という動詞を使った和歌が何と400首ほどあります。
用例も多様で,見飽きることがありません。
その中で,面白い表現が東歌の中にありましたので紹介します。

赤駒が門出をしつつ出でかてにせしを見立てし家の子らはも (14-3534)
あかごまが かどでをしつつ いでかてに せしをみたてし いへのこらはも
<<あなたが乗った赤い馬が旅立ち兼ねていらっしゃるを見送っている我が家の子供たちよ>>

旅立つ夫は防人として出兵するのでしょうか。それとも,農作物か育てた鶏などを遠くに売りに行くのでしょうか。
ここで「見立てる」は「見送る」という意味です。
我が子たちが「父ちゃん。早く帰ってきてね」「お土産いっぱいお願いね」などと言って見送っているのかもしれません。
ただ,妻の私は,もしかしたらもう帰ってこれないかもしれない夫を涙なしに見送ることができず,なかな家の門まで出られない。
でも,夫は私の見送りに出るのを待って,旅立つのをいつまでもためらっている。
「見立てる」という言葉から家族が必要とするものが何んなのかを私に考えさせてくれるこの短歌です。

最近,私の妻が珍しく玄関まで私の出勤を明るい笑顔で見送ってくれました。
そのときニコッとした妻曰く「今朝はゴミ袋がいつもよりたくさんあるけど,いつものように行くとき全部ゴミ置き場に出しといてね」。
立つ(3)に続く。

2010年11月8日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…立つ(1)

今回は,現在でも私たちが普通に使っているた「立つ」について,万葉集ではどのような意味で使われているかを何回かに分けて書きます。
「立つ」について広辞苑や岩波古語辞典を開いてみると,意味の説明に非常に多くの行が使われています。
その長い意味の説明中に万葉集の引用が10以上も出てきます。
すでに万葉時代「立つ」には10以上の意味や用例が存在し,歴史が古く,奥深い意味の言葉であることが分かります。

「立つ」の意味を一言でいうとと「強く現れる」といっていいのかも知れません。
この場合は,「立つ」(現れる)対象が「立つ」の前や後に出てきます。
たとえば,万葉集の巻3に船出するから高い波よ立つなと九州熊本の地で読んだ長田王の短歌に対し,次のような大宰府次官の返歌があります。

沖つ波辺波立つとも我が背子が御船の泊り波立ためやも (3-247)
おきつなみへなみたつともわがせこがみふねのとまりなみたためやも
<<沖や岸辺の波が立っても(高く現れても)、あなた様(長田王)の御船が泊っている港は、波が立つ(高く現れる)ことなどきっとないですよ>>

この短歌では「立つ」の対象である「波」が二つ出てきます。この「波立つ」は現代でも使いますが,当時は本当に壁のように立っているような大きな波を表してしたようです。
その他,「立つ」の対象として,次のようなものが万葉集には出てきます。
動植物‥かまめ(カモメ),真木,鳥,麻,鹿,駒
自然現象‥霞,雲,霧,潮気,雨霧,春霧,日,虹,月
季節・時刻‥春,秋,年の端,朝
人・その他‥民,我,娘子,名,盾

これらは,「○○立つ」とか「立つ○○は」といった表現が万葉集に出てきます。これらの対象が高くハッキリと現れる(来る)意味を表す動詞として,「立つ」は当時として便利な言葉だったのだろうと私は推測します。
<中国瀋陽再出張記>
さて,11月2日~6日,私は今年の5月に続き中国東北地方瀋陽に再度出張してきました。
出張先の会社の技術者たちは,私が短い期間に再び来てくれたと大変歓んでくれ,IT業務の連携で以前にも増して中身の濃いコミュニケーションができました。
また,彼らは中国の物価上昇が進んでいることを少し気にしていましたが,みんな以前にも増して本当に明るく元気でした。
瀋陽の街も,たった半年足らずの内に,前回訪問時建設中だった高層マンションやビルが完成し,またあちこちでビルやマンションの建設が新たに始まっていました。
テレビCMや街角の広告看板などでは高級自動車や不動産の宣伝が溢れていました。
世界の多くの国が,今回の不況からの脱出に難渋している中,遼寧省の首都瀋陽の街を半年ぶりに見ただけですが,今の中国の高成長が際立っていることを改めて認識する結果となりました。

中国語で『ビル』は「大厦」,『マンション』は「公寓」と書きますが,まさに「大厦立つ」「公寓立つ」という表現がピッタリなのかも知れません(写真は瀋陽のホテルから撮ったもの。霞んでいるのは朝霧でスモッグではありません)。
立つ(2)に続く。