2010年11月14日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…立つ(2)

現在では,「立つ」のイメージは「ビルがそびえ立つ」「人が直立する」「木が林立する」「岸壁が切り立つ」といった限定されたイメージの傾向が少し強いのではないでしょうか。
でも,私たちはそういった上方向に立つはずのないものに「立つ」を付けた言葉を普段何気なく使っています。
たとえば,「目立つ」ですが,眼は上方向に立ちませんね。
「思い立つ」は決心することで,何かが立つわけではありません。
「立つ」の他動詞「立てる」だともっと分かりやすい例があります。
「計画を立てる」は,計画書を横に寝かせないで縦に立てておくという意味ではありません。
「検察はビデオ流出事件を暴き立てる」は,検察官が椅子に座らずに立った状態で関係者の取り調べることを示している訳ではありません。
「茶を立てる」は,縁起が良いように茶の葉を立てて淹れることでもありません。
このように「立つ」「立てる」の広い意味を区別するため別の漢字をあてることもよく行われます。
「茶を立てる」を「茶を点てる」と書くようにです。

さて,万葉集では,「立つ」「立てる」という動詞を使った和歌が何と400首ほどあります。
用例も多様で,見飽きることがありません。
その中で,面白い表現が東歌の中にありましたので紹介します。

赤駒が門出をしつつ出でかてにせしを見立てし家の子らはも (14-3534)
あかごまが かどでをしつつ いでかてに せしをみたてし いへのこらはも
<<あなたが乗った赤い馬が旅立ち兼ねていらっしゃるを見送っている我が家の子供たちよ>>

旅立つ夫は防人として出兵するのでしょうか。それとも,農作物か育てた鶏などを遠くに売りに行くのでしょうか。
ここで「見立てる」は「見送る」という意味です。
我が子たちが「父ちゃん。早く帰ってきてね」「お土産いっぱいお願いね」などと言って見送っているのかもしれません。
ただ,妻の私は,もしかしたらもう帰ってこれないかもしれない夫を涙なしに見送ることができず,なかな家の門まで出られない。
でも,夫は私の見送りに出るのを待って,旅立つのをいつまでもためらっている。
「見立てる」という言葉から家族が必要とするものが何んなのかを私に考えさせてくれるこの短歌です。

最近,私の妻が珍しく玄関まで私の出勤を明るい笑顔で見送ってくれました。
そのときニコッとした妻曰く「今朝はゴミ袋がいつもよりたくさんあるけど,いつものように行くとき全部ゴミ置き場に出しといてね」。
立つ(3)に続く。

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