2018年7月17日火曜日

続難読漢字シリーズ(32)…艫(とも)

今回は「艫(とも)」について万葉集をみていきます。船の後方,船尾の意味です。船の前方である船首は舳先(または単に舳)といいます。舳先(へさき)は,今でもよく使いますので,読める人は多いかもしれませんが,艫はさすがに難読でしょうね。
最初に紹介するのは,船の前後にどんな波が寄せてくることを序詞に詠んだ詠み人しらずの短歌です。

大船の艫にも舳にも寄する波寄すとも我れは君がまにまに(11-2740)
<おほぶねのともにもへにも よするなみよすともわれは きみがまにまに>
<<大船の船首や船尾にも波は打ち寄せる波のように嫌な噂が大きく立っていますが,私はあなたの想いのままに従います>>

万葉時代大きい船といっても,今の外洋船に比べたら,ごく小さな船だったでしょうね。
転覆しないように,船は波の線の垂直方向に向かって進まないと,横波を受けて簡単に沈没する恐れが高くなります。
波に垂直に向かって進むことが安全とはいえ,波が大きいと船の先端や後尾は大きく上下に揺れます。この短歌の作者は,そんな荒れた海で船旅をしたことがあるのでしょうか。
さて,次に紹介するのは,最初に紹介した短歌とよく似ているように見えますが,東歌です。

大船を舳ゆも艫ゆも堅めてし許曽の里人あらはさめかも(14-3559)
<おほぶねを へゆもともゆもかためてし こそのさとびとあらはさめかも>
<<大船を船首や船尾も綱で固く結んであるように,地元の里人も見ない振りをしてくれるだろうよ>>

恋の歌を示すものはどこにも出てこないのですが,この短歌は一つ前の女性作と思われる短歌への返歌と考えられます。二人の仲がしっかり結ばれていることを相手に伝えたい思いからの作でしょうね。

逢はずして行かば惜しけむ麻久良我の許我漕ぐ船に君も逢はぬかも(14-3558)
<あはずしてゆかばをしけむ まくらがのこがこぐふねに きみもあはぬかも>
<<遭わないで都に行ってしまわれるのは残念です。まだ,枕香が残る古河を行く船でお逢いできないものでしょうか>>

最後に紹介するのは,天平5年に遣唐使が航路の安全を難波の住吉の神に祈願したと伝承された長歌の一部です。

~ 住吉の我が大御神 船の舳に領きいまし 船艫にみ立たしまして さし寄らむ礒の崎々 漕ぎ泊てむ泊り泊りに 荒き風波にあはせず 平けく率て帰りませ もとの朝廷に(19-4245)
<~ すみのえのわがおほみかみ ふなのへにうしはきいまし ふなともにみたたしまして さしよらむいそのさきざき こぎはてむとまりとまりに あらきかぜなみにあはせず たひらけくゐてかへりませ もとのみかどに>
<<~ 住吉の我らの大御神様,船の舳先をなすがままにされるべく艫に立たれ,立ち寄る磯の崎々へすべて無事に着き,停泊ができますように。停泊する崎々で暴風や荒波に遇うことなく,どうか平穏に帰れますように,もとの朝廷に>>

遣唐使は大阪の南にある住吉津(すみのえのつ)にあった港から出港し,出港の前には奈良の京から大勢の人が大和川を下って見送りに来て,航海の安全を祈願するために建てられたであろう住吉神社(現:住吉大社)に,皆で海路の安全を祈願に詣で,旅立つ人を盛大に見送ったのだろうと想像できます。
住吉津は,古墳時代から国内外の多くの人や荷物を扱う港として大いに繁栄したと考えられます。その豊かさで,百舌鳥(もづ)古墳群や黒姫山古墳のような古墳群を作る財力と,人力が集まったのだと私は思います。
後の堺(さかい)という都市の大きな発展は,こういった地の利の良さも大きな要因だと私は考えてしまいます。
(続難読漢字シリーズ(33)につづく)

2018年7月3日火曜日

続難読漢字シリーズ(31)…常滑(とこなめ)

今回は「常滑(とこなめ)」について万葉集をみていきます。常滑焼という陶器を知っている人や愛知県常滑市をご存知の方にはすぐ読める漢字でしょうね。
早速,最初に紹介するのは,柿本人麻呂が,何度か行われた持統天皇の吉野行幸のうちで詠んだといわれる有名な短歌(長歌の反歌)です。

見れど飽かぬ吉野の川の常滑の絶ゆることなくまたかへり見む(1-37)
<みれどあかぬよしののかはの とこなめのたゆることなく またかへりみむ>
<<見飽きることのない吉野の川底が常に滑らかであるように、絶えることなくまた見ましょう>>

奈良盆地の川は,吉野の川に比べて,川床に泥が堆積し,草木も生えて「常滑」とはいえなかったのでしょう。
その点,天武天皇ゆかりの地で,避暑地で別荘地の吉野の川は,激しい水流に洗われた川床や岩は「常滑」にふさわしいものだったとこの短歌からは読み取れます。
さて,次に紹介するのは,柿本人麻呂歌集から転載されたという短歌です。

妹が門入り泉川の常滑にみ雪残れりいまだ冬かも(9-1695)
<いもがかど いりいづみがはのとこなめに みゆきのこれりいまだふゆかも>
<<妻の家の門を入って出る(いず)という泉川の常滑の石の上には,雪が解けずに残っているので,このあたりの季節はまだ私の心のように寒い冬なんだなあ>>

作者は,奈良の京から旅に出て,木津川あたりでこの短歌を詠んだとされています。
木津川あたりにまで来ると,これから人家の少ない心細い道を行くことになるため,少しのことで寒さを感じたのでしょうか。
最後も,二番目に紹介した短歌とは別の巻に出てきますが,柿本人麻呂歌集から転載されたという短歌です。

こもりくの豊泊瀬道は常滑のかしこき道ぞ恋ふらくはゆめ(11-2511)
<こもりくのとよはつせぢは とこなめのかしこきみちぞ こふらくはゆめ>
<<山に囲まれたが立派な泊瀬街道は,初瀬川を渡る箇所が多くあり,水の上に出た岩の上は滑りやすいので,渡るときは注意が必要な道です。恋の道も渡る時も(滑りやすいので)油断しないことが肝要>>

なかなか教訓的な短歌ですね。「万葉集教訓歌」という本を出すと選ばれそうな気がします。
私が初瀬街道を歩いた経験と写真を2015年7月28日投稿しています。この短歌も載せていますが,その時感じた新鮮さで訳しています。今回はその奥にある教訓めいた部分を強調するために,背景的な訳も入れて訳してみました。
以上3首のように,万葉時代「常滑」の状態というのは,いつも清水に洗われているツルツルした岩をイメージしていたのでしょう。
また,そんないつもきれいに磨き上げられた表面に万葉人は憧れていたと私は想像します。常滑の岩以外にも,磨き上げられた手鏡や仏像,大黒柱や床柱,琴の板や太鼓の胴,磁器やガラス器,漆塗りの箱や厨子,宝石でできた玉や瓶など,表面が「常滑」に感じられるものの価値は高かったのかも知れません。
(続難読漢字シリーズ(32)につづく)