2009年5月30日土曜日

枕詞は記憶のための道具か?-その1

特定の言葉の前に付く枕詞は何のために考え出された修飾語でしょうか?

私は,和歌を覚えやすく(忘れにくく)するためにあったのではないかと考えています。
私自身「枕詞が記憶を助けるための道具かも?」と考える理由を簡潔に述べる文章力を持ち合せていません。そのため,さまざまな状況説明を長々と続けて説明することになります。
それを数回の投稿に分けて順に説明していきます。

1.万葉時代の記憶の重要性
万葉時代,情報を文字として残す方法は,たとえば万葉仮名のように一部にはなされていますが,まだまだ一般的ではなかったと思います。
そうすると,和歌に限らず,いろいろな契約,約束事,規則,しきたり等はすべて口頭で伝えられ(伝承され)ます。その情報共有は,口頭により情報を受け取った関係者の記憶を唯一の手段とするしかなかったのです。
万葉時代の人たちが意識していたかどうかは別にして,文字を一般的に使う現代人に比べて記憶の重要性は非常に高かったのだろうと容易に想像できます。
万葉人の中には,超人的に正確かつ大容量の記憶力を持ち,その能力で飯を食っていた人もいたのだと思います。
そのような人の中には,官僚に登用され,得意分野ごとに,さまざな制度,事件・事故・災害の履歴,解決した人・仕方・結果などをすべて正確に記憶していて,必要な時に関係者に伝えていたのかもしれません。まさに人間データベースシステムです。
学術的な検証はまったくしていませんが,人麻呂,赤人,憶良,黒人等の歌人,そして家持も実はそういう人たちだったかもと感じています。その理由は「万葉集の謎」テーマでいずれ書きます。

2.コンピュータ技術の発展で人間の記憶力は退化の一途?
話が万葉集からちょっと別の世界の話により道します。
文字が発明され,それまですべて記憶に頼っていたものが,たとえ忘れても文字を見れば思い出せるようになり,重要なことや細かいことは文字に残すようになりました。
その結果,人間はすべてを記憶に頼る必要はなくなったのです。
その後長い間,文字の多くは紙に書かれ(または印刷され)てきました。その量が膨大になると,整理して保管しないと検索性が劣るため,文書に目次や索引を付けるなど検索性を向上させる工夫をしてきたのです。

ただ,紙に書いた文字の世界だけでは記憶力の重要性がまだ必要な分野があります。
例えば,緊急を要する交渉に一々ページをめくって確認しながらでは時間が掛かってしょうがない。相手からは矢継ぎ早に責め立てられます。
弁護士等の法律の専門家は,法律や裁判所の判例を正確かつより多く記憶しておくことで,相手と交渉する場合にやはり優位に立てるようです。

ところが,最近はコンピュータの発達によって様相はガラッと変わってきました。
今交渉の場や会議の場で,パソコンやスマホを持参して臨むことが少なくありません。
「当方の要求は当然であり受け入れないなら損害賠償だ」と相手が言っても,「○○月○○日○○時○○分のメールであなた自身がその要求は本委託の範囲外にする」と書いているじゃありませんか?というような証拠を即座に提示できる時代です。
記憶力がまったく不要とは言いませんが,詳細な情報や正確さを要求する情報はすべてコンピュータに覚えさせておけば,何時でも取り出せる時代なのです。
また,この情報すべてを自分のパソコン(または携帯端末)に入れておく必要はありません。
関係者で共有する強力なサーバコンピュータに記憶させておけば,ネットワーク経由で自分のパソコンとほぼ変わらず検索できます。
また,インターネット上のプロバイダのブログやSNSといった公開サイトに蓄積したり,他人が蓄積した情報を検索することも可能です。
相手も同様の環境を持つようになると交渉における記憶力の重要性がますます少なくなっていきます。

さて,そのようなことで,コンピュータを駆使して仕事をしている技術者の端くれ(私)は最近記憶力が劇的に退化し始めています。
え? 違うよ。それは歳のせいだよ!って? 否定できないのがつらい。(その2に続く)

2009年5月24日日曜日

少し枕詞に挑戦します

いよいよ,これから何回かに分け,枕詞(まくらことば)のリバース・エンジニアリングに挑戦することにします。
枕詞は,ある言葉を引き出すために,その言葉の前に置く,慣用的な修飾語です。
今,NHK教育放送で今毎平日朝放送されている「日めくり万葉集」の冒頭のタイトルCGに出てくると有名な枕詞をあげてみます。

あかねさす…日、昼、照る、君、紫にかかる枕詞
あしひきの…山にかかる枕詞
あまさかる…鄙(ひな)にかかる枕詞
あをによし…奈良にかかる枕詞
いさなとり…海、浜、灘にかかる枕詞
たらちねの…母にかかる枕詞
ちはやぶる…神、宇治、人にかかる枕詞
ひさかたの…天、空、月、雨、都,夜にかかる枕詞

枕詞は,中には4文字,6文字のものもありますが,ほとんどは5文字です。
また,万葉集に現れる枕詞の過半数が名詞+「の」で終わります。ただし,「の」の前の名詞は何かの修飾語が付いているものがほとんどです。
たとえば,

あかぼし(赤星)の,あきはぎ(秋萩)の,あさかみ(朝髪)の,あとたづ(葦田鶴)の,あらたへ(荒栲)の,いざりひ(漁り火)の,おきつも(沖つ藻)の,かぜのと(風の音)の,こもりぬ(隠り沼)の,ささなみ(楽浪)の,さすたけ(刺す竹)の,しらなみ(白波)の,たまのを(玉の緒)の,とぶとり(飛ぶ鳥)の,なよたけ(弱竹)の,まつがね(松が根)の,ゆくかは(行く川)の

などがあります。
このタイプでは,形容詞,動詞,名詞,名詞+「の」または「つ」が後の名詞の修飾語としてついている形が一般的です。

「の」で終わらない枕詞では,5文字の(修飾語付き)名詞だけの枕詞があります。
たとえば,

ありちがた(在千潟),いそのかみ(石上),いへつとり(家つ鳥),おきつとり(沖つ鳥),からころも(韓衣),くさまくら(草枕),こまにしき(高麗錦),とほつかみ(遠つ神),はますどり(浜洲鳥),まきはしら(真木柱),まそかがみ(真澄鏡),みなのわた(蜷の腸),やさかどり(八尺鳥),ゆふたすき(木綿襷),ゆふづくよ(夕月夜),ゐまちづき(居待月)

などてす。後に「の」を付けても不自然ではないけれど丁度5文字のために「の」を外しているようにも感じます。

さらに「の」で終わらない枕詞のタイプとして,動詞があります。
たとえば,

あからひく(赤ら引く),あさひさす(朝日差す),あまさかる(天離る),あられうつ(霰打つ),いはばしる(石走る),うちなびく(打ち靡く),うづらなく(鶉鳴く),かがみなす(鏡なす),きもむかふ(肝向ふ),たかてらす(高照らす),たまかぎる(玉限る),なつそびく(夏麻引く),ふせやたき(伏屋焚き),みこもかる(水菰刈る),ももつたふ(百伝ふ),やくもさす(八雲さす)

などです。
この他,名詞+「を」(例:衣手を,衾道を など)のタイプや,形容詞のタイプ(例:玉藻よし など),動詞+感嘆詞「や」のタイプ(例:天飛ぶや,高知るや など)がありますが,数は多くありません。

万葉集で数百は出てくる言われる枕詞,まだまだ手ごわい相手です。

2009年5月18日月曜日

行き先を示す助詞「~へ」と「~に」の違い

最近,大好きな友人の一人と東京の葛西臨海公園から定期船水上バスに乗りました。お台場までは海辺を見ながら,そしてお台場から両国までは隅田川の川辺を見ながら,船上からの風景を楽しみました。
乗船直後は,薄暮に霞む桟橋やコンテナクレーンが遠くにいくつも見え,そして夕暮れになるに従い,高層マンションや桟橋近辺のレストランの部屋の明り,ネオンサイン,ライトアップされた橋,提灯飾りを全体にした屋形船の姿がはっきりと見えだし,素晴らしい夜景を存分に味わいました。
また,船から見る海辺や川辺は,日頃見るアングルと全然違っていて新鮮と感じるだけでなく,船は海辺,川辺,橋げた下のすぐ近く通るため,風景の移動から船のスピードが実は意外と速いことを改めて認識しました。

さて,万葉時代,船が主要な交通手段であったことは以前に書きましたが,海辺,川辺以外に船(舟)が関係しそうな「辺」のつく言葉が,そのほかにもでてきます。
例えば,次のようなものです。

葦辺(あしへ:葦が生えている辺り),池の辺(いけのへ:池の周辺),江の辺(えのへ:入江の周辺),沖辺(おきへ:沖の辺り),磯辺(おしへ,おすひ:磯の辺り),上辺(かみへ:川の上流周辺),島辺(とまへ:島の周辺),下辺(しもへ:川の下流周辺),谷辺(たにへ:谷の辺り),波辺(なみへ:波のある辺り),浜辺(はまへ:浜の辺り)

これらは,陸からだけでなく船から見たと思われるものもあると思われます。当時,船からの風景や,逆に浜辺,海辺,川辺から見た船を和歌に託したくなった人も多かったのでしょう。

浜辺より我が打ち行かば海辺より迎へも来ぬか海人の釣舟 (18-4044)
はまへよりわがうちゆかば うみへよりむかへもこぬか あまのつりぶね
<<浜辺を我々が行っているのに海で釣りをしている漁師が一向に迎えに来てくれない>>
大伴家持が越中で視察に行ったとき詠んだ歌ですが,家持は舟に乗ってみたかったのでしょうね。

ところで,国語辞典によると「~辺」は助詞「~へ」に一般化され,「海へ行く」「東へ向かう」と使われるようになったようです。それが正しいとすると「集合場所に行く」「山に登る」の「に」(さまざまに指定の意)にくらべ,「へ」はピンポイントな場所を指すのではなく,行き先近辺というニュアンスで使うのが本来の使い方なのかね知れませんね。
ですから「下町辺りへ行く」は,「へ」と「辺り」が同じ意味あいですから,少しくどい表現のような感じがしてきました。
万葉集までさかのぼって「ことば」の用例を見てみると,行き先などを示すときに使う助詞「へ」と「に」が実はそんなに近い意味ではなかったと感じられます。
国語辞典を編纂した人や作家などには,微妙な日本語の表現の違いの説明や使い方で迷った時,万葉集に助けられたことが実は多かったのではないかと思いますね。

2009年5月10日日曜日

万葉時代の食用植物

万葉集に出てくる植物で,当時食べられていたと思うものを上げてみました。

小豆(あづき:種子),粟(あは:種子),青菜(あをな:葉),稲(いね:種子),薺蒿(うはぎ:芽),梅(うめ:実),芋(うも:根),瓜(うり:実),堅香子(かたかご:茎),黍(きみ:種子),葛(くづ:根),栗(くり:実),椎(しひ:実),茸(たけ:胞子),橘(たちばな:実),水葱(なぎ:種子),梨(なし:実),棗(なつめ:実),蓴(ぬなは:芽),蓮(はちす:根),蒜(ひる:根・葉),麦(むぎ:種子),桃(もも:実),百合(ゆり:根)

この中では稲をはじめ,自生したものを採るのではなく,栽培されていたものも多かったのだと想像します。外国からの農業技術や栽培に適した種子の導入で,農法もかなり進んでいたのでしょう。
こういった食物が豊富に手に入るようになり,農業(第一次産業)以外の産業(ものづくり業,サービス業)の発展,そして多数の官僚や兵士を維持することができるようになったようですね。
ところが,こういった経済発展も農業等に従事する人たちからのさまざまな搾取によるところ大なのは,有名な山上憶良の貧窮問答歌,そしてつぎの和歌からも分かります。

壇越やしかもな言ひそ 里長が課役徴らば 汝も泣かむ(16-3847)
だにをちやしかもないひそ さとをさがえだちはたらば いましもなかむ
<<檀家さん,そんなことを言わないくださいな。あなたの里の長が労役を出せと言ってきたら,あなたも泣きますよ>>

前の和歌で,檀家の一人が僧侶の不精ヒゲを揶揄したのに対し,その僧侶が返した戯れ歌です。里長の強大な権力が背景に見えますね。
ただ,もしかしたら,その僧侶は里長を動かすほどの力を持っていたのかも?

2009年5月6日水曜日

各地の人々

前回の投稿で「人」で終わる言葉から万葉時代職業の話を書きました。
同じく「人」で終わる言葉を見ていくと,その人がどの地方の人かを示す言葉が万葉集にいくつかでてきます。
例えば,つぎのようなものです。

阿太人(あだひと:奈良県),東人(あづまびと:東海,関東甲信越など),宇治人(うぢひと:京都府),紀人(きひと:和歌山県),伎倍人(きへひと:静岡県),肥人(こまひと:熊本県),須磨人(すまひと:兵庫県),難波人(なにはひと:大阪府),奈良人(ならひと:奈良県),隼人(はやひと:鹿児島県),飛騨人(ひだひと:岐阜県)

また,「人」では終わらないが,各地の人を表す言葉として次のものが万葉集で見つかりました。

明日香壮士(あすかをとこ:奈良県),東壮士(あづまをとこ:東海,関東甲信越など),伊勢の海人(いせのあま:三重県),伊勢処女(いせをとめ:三重県),菟原壮士(うなひをとこ:兵庫県),菟原処女(うなひをとめ:兵庫県),志賀の海人(しかのあま:福岡県),信太壮士(しのだをとこ:大阪府),四極の海人(しはつのあま:大阪府),志摩の海人(しまのあま:三重県),珠洲の海人(すすのあま:富山県),茅渟壮士(ちぬをとこ:大阪府),難波壮士(なにはをとこ:大阪府),野島の海人(のしまのあま:兵庫県),泊瀬娘子(はつせをとめ:奈良県),壱岐の海人(ゆきのあま:長崎県)

このように各地に住む人々や有名な人々がたくさん出てくることで,万葉集を詠んだ人は「その地へ行ってみたい」「その地の人と会ってみたい」「その地の特産物(お土産)を得たい」などと感じた可能性はあります。
また,地方に赴任することになった官僚が現地の人たちとコミュニケーションする手段として,万葉集の(ご当地の)和歌が利用されたのかも知れませんね。
万葉集が持つ情報量(総量だけでなく密度も)の多さに,改めて編者の意図を感じます。

2009年5月3日日曜日

万葉時代の職業

万葉集で出てくる用語で「人」で終わる用語は少なくとも40ほどありそうです。
その中で,職業を表すものをあげてみると,次のようになります。

網代人(あじろびと:漁業),海人(あま:漁業),海女(あま:漁業),歌人(うたひと:タレント),大宮人(おほみやひと:官僚),神の宮人(かみのみやびと:官僚),狩人(かりひと:狩猟),防人(さきもり:兵役),陶人(すゑひと:陶芸),杣人(そまびと:林業),舎人(とねり:下級官僚),飛騨人(ひだひと:大工),船人(ふなびと:水運),宮人(みやひと:官僚)

また,人では終わらないけれども職業を表すものとして,次のようなものが出てきます。

網子(あご:漁業),朝臣(あそ:官僚),漢女(あやめ:裁縫),大臣(おほまへつきみ:高級官僚),大山守(おほやまもり:管理された大きな山の番人),采女(うねめ:女官),水手(かこ:水運),里長(さとをさ:村の番人),左夫流子(さぶるこ:遊女),島守(しまもり:島の番人),織女(たなばたつめ:機織),津守(つもり:港の番人),時守(ときもり:時刻の番人),伴部(とものべ:兵役),野守(のもり:管理された野原の番人),船方(ふなかた:水運),道守(みちもり:街道の番人),畑子(はたこ:農業),公卿(まえつきみ:貴族官僚),山守(やまもり:管理された山の番人),宮女(みやをみな:女官),守部(もりへ:番人の統括部門),渡り守(わたりもり,渡しの番人)

漁業,農業,林業,水運,繊維業,陶芸,狩猟,大工,遊女,官僚,女官,兵役までいろいろ出てきました。
また,番人が多いことは,律令制度の法律やシステム(仕組み)を維持するために管理者が必要となったのだろうと想像します。
熱き恋路や日常生活のゆとりに対しそれら番人を邪魔と感じたり,番人が役目を果してくれない不満などの和歌が万葉集にはあちこちに出てきます。

山守の里へ通ひし 山道ぞ茂くなりける 忘れけらしも(7-1261)
やまもりのさとへかよひし やまみちぞしげくなりける わすれけらしも
<<山の番人が里へと通う山道の草が生い茂っている。お役目を忘れてしまったのだろうか>>

もちろん山守は彼氏の比喩で「最近来ないのは私のことを忘れてしまったから?」という恨み言の和歌のようです。
ちなみに,山守がちゃんと仕事をせず,山道が荒れてしまうことは当時よくあったのかも知れませんね。
社会全体の最適化(平均幸福感の最大化)を目指すことのひずみにより,個々の幸福感の最適化には必ずしも結び付かない。そんな思いも冗談ぽく和歌に託すことを万葉時代の日本人は覚えたのでしょうね。
さて,現代人にそういう和歌心までも希薄にさせてしまうのは,人間が社会の全体最適システムの最も効率的な一歯車(職業人)として,必要以外のコミュニケーションをせず,個々に閉じこもることを求められているためでしょうか。

2009年5月1日金曜日

万葉集で出てくる○○川(河)

例の如くエクセルのオートフィルタ機能を使って,私が作った万葉集用語集から,今度は「川」または「河」で終わる言葉を出してみました。
3月6日に投稿した「山」で終わる言葉の説明と同じで,ほとんどが地名です。
これで出てきた(万葉集で詠まれている)川の名前で,私がどのあたりにあるのか思い浮かぶのは次のものです。

明日香川(奈良県),●安曇川(滋賀県),宇治川(京都府),片貝川(富山県),●紀の川(和歌山県),●久慈川(福島県,茨城県),佐保川(奈良県),●鈴鹿河(三重県),●多摩川(東京都,神奈川県),玉島川・松浦川(佐賀県),●千曲の川(長野県),●利根川(千葉県,茨城県,埼玉県,栃木県,群馬県),泊瀬の川(奈良県),●富士川(静岡県),吉野川(奈良県),●武庫川(兵庫県),●野洲の川(滋賀県)

この中で●を付けた川は,万葉集で1首だけ出てくる川です。その他の川も奈良県の川を除き,数首和歌で読まれているだけです。選者ができるだけ多くの川が出てくるように和歌を選んだ意図が見えるような気がします。
また,川の名前ではないですが,河がついた地名がいくつか出ています。

古河(茨城県),駿河(静岡県),三河(愛知県)

では,関東地方の川を詠った和歌をいくつか紹介してみましょう。

☆利根川を詠った東歌
利根川の川瀬も知らず直渡り波にあふのす逢へる君かも(14-3413)
とねがはのかわせもしらず ただわたりなみにあふのす あへるきみかも
<<利根川の浅瀬も知らないでが何も考えずただ渡ったら,波に合うように貴方と逢うことができましたよ>>

利根川が浅瀬を探して渡らないといけないくらい大きな川だということが分かります。

☆多摩川を詠った東歌
多摩川にさらす手作りさらさらになにぞこの子のここだ愛しき(14-3373)
たまがはにさらすてづくり さらさらになにぞこのこの ここだかなしき
<<多摩川で晒して手織りの布がさらさらと流れている。それをしている女の子の可愛いことといったらありゃしない>>

多摩川は,流れが緩やかで,地元の人の暮らしや仕事と関わっている川であることが分かります。

☆久慈川を詠った防人歌
久慈川は幸くあり待て潮船にま楫しじ貫き我は帰り来む(20-4368)
<くじがははさけくありまて しほぶねにまかぢしじぬき わはかへりこむ
<<久慈川よ無事に待っていてくれよ。防人の任が終わったら九州の塩を載せた船に楫をいっぱい取り付けて急いで帰ってくるから>>

久慈川が海とつながっていて,船による物資の輸送が盛んであることが分かります。

☆千曲川を詠った東歌
信濃なる千曲の川のさざれ石も君し踏みてば玉と拾はむ(14-3400)
しなぬなる ちぐまのかはの さざれしも きみしふみてば たまとひろはむ
<<信濃の国あるという千曲の川の小石も,貴方が踏んだ石でしたら玉と思って拾いましょう>>

千曲川は,小さな石が採れる川であることが分かります。

万葉集の地方の和歌に出会うと,万葉集が地方赴任を経験するであろう新人官僚や官僚の姉弟の教材として使われたのではかいかという仮説を私は立てたくなってしまいます。