2011年9月25日日曜日

対語シリーズ「朝と夕」(2)‥朝は悲しい別れ。夕方はまた逢えるか占う

万葉集で「朝」という漢字が単独であてはめられることがありますが,その仮名読みは「あした」です。

矢釣山木立も見えず降りまがふ雪に騒ける朝楽しも(3-262)
やつりやま こだちもみえずふりまがふ ゆきにさわけるあしたたのしも
<<矢釣山の木立も見えないほど降り乱れる雪の朝は皆でこうして集まり騒げて楽しいことですね>>

この短歌は柿本人麻呂新田部皇子(にひたべのみこ)に献上した長歌の反歌です。八釣山の八釣は,現在の明日香村にある同じ地名の場所(甘樫丘の東側)だろうとのことで,藤原京に仕える皇族の邸宅があったところのようです。
当時でも飛鳥地方でひと冬に大雪が降ることは,日本海側ではないため,数回ある程度だったと思われます。積もるような大雪となった朝は宮廷は休みとなり,雪が止んだ後,家族や近所の人々と庭の木々や家の屋根に積もった美しい光景を楽しもうと考えたのかもしれません。特に,子供にとっては雪の上を走りまわったり,雪の家(かまくら)を作ったりして,日頃とは違う遊びができたのでしょう。

「あさ」と読む場合は,次のような熟語で使われているときです。
「朝寝<あさい>」「朝影<<朝,鏡や水に映った姿や景色>>」「朝霞」「朝風」「朝川<<朝渡る川>>」「朝顔<<桔梗のことか?>>」「朝烏<<朝鳴くカラス>>」「朝狩<<朝行う狩>>」「朝霧」「朝曇り」「朝明<あさけ><<明け方>>」「朝漕ぎ<<朝,舟を漕ぐこと>>」「朝東風<<朝に吹く春風>>」「朝言<<朝一番に発せられる言葉>>」「朝越ゆ<<朝に山や峠を越えて行く>>」「朝去らず<<毎朝欠かさず>>」「朝月夜<あさつくよ><<有明の月>>」「朝露」「朝戸<あさと><<朝起きて開ける戸>>」「朝床<あさとこ><<朝まだ起きていないでいる寝床>>」「朝戸出<あさとで><<朝,戸を開けて出ること⇒一夜明けて女性のもとを去ること>>」「朝菜<<朝食のおかずの野菜,海藻など>>」「朝な朝な<<毎朝>>」「朝凪ぎ<あさなぎ><<朝,海風と陸風が変わるため無風になる時間>>」「朝な夕な<あさなゆふな><<いつも>>」「朝に日に<あさにけに><<いつも>>」「朝寝髪<あさねがみ><<寝起きで乱れたままの髪>>」「朝羽振る<あさはふる><<朝,鳥が羽を振るように風や波が立つ形容>>」「朝日」「朝日影<<朝日の光>>」「朝開き<<朝の船出>>」「朝守り<<朝の宮門の守護>>」「朝宮<<朝の宮仕え>>」「朝行く<<朝出発する>>」「朝宵<あさよひ><<いつも>>」
この中から「朝戸出」を詠んだ旋頭歌を紹介しましょう。

朝戸出の君が足結を濡らす露原早く起き出でつつ我れも裳裾濡らさな(11-2357)
あさとでのきみがあゆひをぬらすつゆはら はやくおきいでつつわれももすそぬらさな
<<朝戸を出てゆくあなたの足結を濡らす露が降りた原。私も早く起きてそこに出てあなたと同じように裳の裾を濡らしましょう>>

妻問いを終えて帰る男性との別れを惜しむ妻(女性)の作です。妻問いでは女性は外まで出て見送ることはしません。しかし,妻は夫を恋慕う気持ちがおさまらず「早起きして一緒に外に出てお互いの足元を朝露で濡らせましょう」と詠んだ。こんな歌を贈られた男性は,またすぐ妻問いに来る気持ちになったに違いなかったと私は想像します。

さて,反対の今度は「夕」の漢字をあてる場合ですが,「夕」単独では「ゆふへ」の仮名読みが多く出てきます。

我が背子が宿なる萩の花咲かむ秋の夕は我れを偲はせ(20-4444)
わがせこが やどなるはぎのはなさかむ あきのゆふへはわれをしのはせ
<<あなた様の家の庭の萩(はぎ)の花が咲いた秋の夕にも私を偲んでください>>

この短歌は,天平勝寶7(755)年の5月,奈良の大伴家持の自宅で開かれた宴席で,参加者の大原今城(おほはらのいまき)が詠んだとさせれているものです。この前の短歌で,主人の家持が今城に対して,撫子(なでしこ)の初花を見ると貴殿(今城)のことが思い出されるでしょうと詠んだのです。そのお返しとして,撫子は大伴家の花,私は秋の夕方に地味に咲く萩の花を見たときに偲んでくだされば結構ですと詠んだと私は解釈します。
ところで,「夕(ゆふ)」を使った熟語も「朝」ほどではないですが,出てきます。
「夕占<ゆふうら,ゆふけ><<夕方に行う占い>>」「夕影<<夕方,物の影になるところ>>」「夕影草<<夕方の光に照らされている草>>」「夕かたまけて<<夕方になって>>」「夕川<<夕方渡る川>>」「夕狩<<夕方に行う狩>>」「夕霧」「夕越え<<夕方山や峠を越えること>>」「夕懲り<ゆふこり><<夕方になって,霜や雪が固まること>>」「夕去らず<<毎夕>>」「夕さる<<夕方になる>>」「夕潮<<夕方満ちてくる潮>>」「夕月」「夕月夜<ゆふづくよ><<夕方の月>>」「夕星<ゆふづつ><<宵の明星>>」「夕露」「夕凪」「夕波」「夕の守り<<夕方宮門の守護をすること>>」「夕羽振る<ゆうはふる><<上記「朝羽振る」参照>>」「夕宮<<夕方の御殿>>」「夕闇」
この中で「夕占」を詠んだ短歌を紹介しましょう。

夕占問ふ我が袖に置く白露を君に見せむと取れば消につつ(11-2686)
ゆふけとふ わがそでにおくしらつゆを きみにみせむととればけにつつ
<<夕方であなた様が逢いにに来てくださるのか占ってみました。わたしの袖に置いた白玉の露をあなた様に見せようとそっと何かに取っておけば消えないでしょうか>>

この短歌は,妻問いを待つ女性が露を自分の袖に振りかけて,その露が袖に吸い込まれて消えてしまわなければ逢えるという占いだったかも知れません。逢いたい一心で,何かの器に露を取って置けば,露は消えず,相手が来てくれて逢えるに違いないという願望が私には伝わってきます。

このように「朝と夕」を題材にした万葉集の和歌を見てきましたが,皆さんには万葉人の「朝と夕」の感じ方について少しでも伝わりましたでしょうか。
対語シリーズ「老と若」に続く。

2011年9月19日月曜日

対語シリーズ「朝と夕」(1)‥朝家を出で夕戻る。それは「いつも」のこと?

<朝,早や起きが得意>
私は若い時から朝起きは強い方です。前夜ほとんど寝ていないときは目覚まし時計を掛けますが,そのときでもアラームが鳴る前に起きてしまうことの方がはるかに多く,またアラームが鳴っても起きられなかったことは一度もありません。
今は平日も休日もいつも朝5時起きが自分のペースですが,目ざまし時計のアラームは掛けなくても目が覚めます。

天の川 「それって,たびとはんがせんど(いっぱい)年取ってきただけやとちゃうんか? それにしても,お彼岸ももうすぐやちゅうのにいつまでも暑いな~。」

やれやれ,ここしばらく夏バテで静かにしてくれて助かったのについに出てきたな。私とは逆で寝るのが趣味な天の川君にはもう少し夏バテ状態で居てもらいましょう。
私は朝という時間が1日の中で大きな割合を持ちます。5時に起きるということは年の半分は暗い内に起きることを意味します。
朝だんだん明るくなっていく時間が好きです。季節によって,夜明け前後で鳥,蝉,虫,猫の鳴き声の聞こえ方に変化が感じられます。そういった落ち着いた時間を過ごした後,朝風呂かシャワーを浴び,朝食を取り,平日はいつも6時半には自宅を出て会社に向かいます(会社に7時半に着き,仕事開始)。
いっぽう夕方ですが,ITの仕事は恒常的に忙しく定時で会社を退出することはまれで,残念ながら仕事をしている内に夕方を過ぎ,夜になってしまいます。ただ,職場は周りの建物よりも高い階にあり,季節によって夕陽が沈むときの明るさの変化を感じたり,綺麗な夕焼けが見えることもあります。
朝方と夕方は私にとって,1日の変わり目を強く意識させる時間帯ですが,私の知人にはまったく朝方と夕方の時間帯に興味をまったく持たない人も多くいます。
皆さんはいかがでしょうか。
<万葉時代の朝と夕>
さて,万葉時代は今のように昼間を思わせる照明などなく,暗くなってできる作業が今よりもはるかに少なかったため,朝と夕の時間帯を今よりさらに強く感じていいたのではないかと私は思います。
その証拠に「朝」を含む万葉集の和歌の数は何と200首以上あります。また,「夕」を含んだものは160首以上もあります。その中で1首中に「朝」「夕」を両方を詠み込んだ和歌は70首近くもあります。そして,その70首近くの内で「朝夕」という言葉を含む和歌は15首にのぼります。ただし,「あさゆう」という読みはされていなかったようで「あさよひ」または「あしたゆふへ」と詠っていたようです。
あまりにも数が多いので「朝と夕」は2回に分けてお送りします。まず,「朝夕」を詠んだ15首の中で1首を見て行きましょう。

魂は朝夕にたまふれど我が胸痛し恋の繁きに(15-3767)
たましひは あしたゆふへにたまふれど あがむねいたしこひのしげきに
<<あなたの魂はいつも送って頂いていますが,貴方自身ではないので私の胸は切なくて苦しく,恋しさが募るばかりです>>

この短歌は狭野茅上娘子(さののちがみのをとめ)が越前の国に配流されることになった夫である中臣宅守(なかとみのやかもり)に贈った短歌の1首です。
「朝夕(あしたゆうへ)」は「いつも」という意味です。朝から夕方までが当時は1日のほぼすべてだったので,こういう意味に使われていたのでしょう。
中臣宅守は配流後数年で赦免され京に戻ってきた可能性があるようですが,その後の二人の和歌は残されていません。やはり恋の歌は悲恋モノが人の心を打つのでしょうか。
次に「朝」と「夕」を両方詠んだ歌を見て行きましょう。

伊勢の海人の朝な夕なに潜くといふ鰒の貝の片思にして(11-2798)
いせのあまのあさなゆふなに かづくといふ あはびのかひの かたもひにして
<<伊勢の漁師が朝から夕方まで潜って取るというアワビの貝殻のように片思いをしています>>

私が小学生のときの修学旅行が京都から1泊2日の伊勢旅行でした。そのとき,伊勢の海女が白装束で潜って海中のものを取ってくる実演を見学したのを覚えています。
当時,万葉時代から伊勢ではアワビを獲ることが行われていたとのガイドの説明があったかどうかは,若い(といっても私より年上)海女の海水に濡れた姿に見とれていたせいか残念ながら記憶にありません。

天の川 「しかし,たびとはん。結構マセた子やったんやな~。」

天の川君! うるさいぞ!
今はこの詠み人しらずの短歌によって万葉時代では伊勢産アワビ(身の干したアワビや美しい貝殻の加工品)というプランドを多くの人が知っていたことが私には想像できます。
さて,次は植物を対象として「朝」と「夕」を詠んだ短歌を紹介しましょう。

朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ(10-2104)
あさがほは あさつゆおひてさくといへど ゆふかげにこそさきまさりけれ
<<世間では朝顔は朝露を付けて美しく咲くっていうが,夕方の光の陰影にもっと映えて咲くと私は思うんだ>>

この詠み人しらずの短歌から万葉集で詠まれているアサガオは現代おなじみのアサガオではなく(アサガオは夕方に萎む),別の花だという説が有力のようです。
ただ,この花は朝に朝露を付けた状態で咲いているのが非常に美しいと評判だったのでしょう。でも,この短歌の作者は朝露は消えているが夕方日光が低い位置から差す時の陰影を感じながら見るのもずっと良いよと訴えたかったのかもしれません。
このような歌を詠える作者は,朝と夕の雰囲気の違いをこまやかに意識することができる人だったと言えそうです。
次回は,「朝」のみ,「夕」のみを詠んだ和歌を見て行くことにしましょう。
対語シリーズ「朝と夕」(2)に続く。

2011年9月14日水曜日

対語シリーズ「夢と現(うつつ)」‥直(じか)に逢えないなら夢で逢いましょう

万葉集で,寝ている時に見る夢について,約100首詠われています。
その多くが恋人が夢に出てきたり,恋人に夢で逢えたりすることを詠っています。
本当は直に逢いたい。でも,それが叶わないから夢で逢えたらいいなあ。また,夢で逢えたけれど心は苦しいままだなどと辛い恋の歌が多いようです。
起きている(覚めている)時を万葉時代は「現(うつつ)」と呼んでいました。そして,寝ている時の「夢」と起きている時の「現」の対語をいっしょに詠んだ和歌が万葉集には17首も出てきます。

現には逢ふよしもなしぬばたまの夜の夢にを継ぎて見えこそ(5-807)
うつつには あふよしもなし ぬばたまの よるのいめにを つぎてみえこそ
<<現実には逢うのは無理だってわかってるの。だったらせめて私の夢に出てきてよお願いだから毎晩夢に出てきて>>

万葉時代は新しい階級制度,さまざまな格差,新しい文化の流行,都会的風習などが広がっていこうとした時代だったのではないかと私は想像します。
さまざまな出会い,ふれあう機会が増えてきたのかもしれません。そんな時代に男女は恋をし,その恋がさまざまな障害(噂,告げ口,妨害,非難。家柄など)によって思うようにならない苦しさを味わうようになったのかもしれません。
結果として,万葉集に現れる恋の歌の多くが恋の苦しさを表現するものになったのは,そのような時代背景があったためかと私は思うのです。
そして,「現(うつつ)」でうまくいかない苦しさを「夢」で癒そうとしたのが,まさにこの短歌だと私は感じます。
次は「現」が使われた成句を詠んだ詠み人しらずの短歌を紹介します。

玉の緒の現し心や八十楫懸け漕ぎ出む船に後れて居らむ(12-3211)
たまのをの うつしこころや やそかかけ こぎでむふねに おくれてをらむ
<<確かな覚めた心で数多くの楫(かじ)を装着して漕ぎ出ようとするあなたの船を残って見送る私です>>

「現し心」とは「夢見心」の反対で,しっかりと覚めた心でという意味です。
去っていく恋人を心の乱れを必死にコントロールしつつ,眺めている女性の心理がこの短歌から強く私には伝わってきます。
いっぽう,「夢」に対して強い願いを訴えたこれも詠み人しらずの短歌を紹介します。

ぬばたまの夜を長みかも我が背子が夢に夢にし見えかへるらむ(12-2890)
ぬばたまの よをながみかも わがせこが いめにいめにし みえかへるらむ
<<長い夜はねえ,僕の恋人は繰り返し繰り返し夢の中で逢いにくるのさ>>

この男性,強がっているようにも思えますが,夜一人になると彼女のことが頭から離れない様子が手に取るように分かりますね。
<小学校の頃の話>
ところで,私が小学生の頃NHKのテレビ番組「夢であいましょう」を家族と一緒に見ていました。夜遅い番組で,当時としては少し成人向けのウィットもあり,小学生の私には刺激が強かった部分もありました。
でも,梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」,ジェリー藤尾の「遠くに行きたい」,日本航空ジャンボジェット機墜落事故でその後亡くなった若き日の坂本九の「上を向いて歩こう」など,後のスタンダードナンバーになった歌。そして,黒柳徹子,永六輔,中村八大,三木のり平,谷幹一などの軽妙なおしゃべりやコントが心に残っています。
この番組が放送されると眠さも宿題も忘れて「現(うつつ)」で見ていた小学生の私がいたのです。番組で演奏される歌の歌詞の良さ,コントの巧さなどは,大人になってから日本語に対する興味を私に強く持たせる原動力になったのかも知れませんね。
対語シリーズ「朝と夕」に続く。

2011年9月7日水曜日

対語シリーズ「直と隈(曲)」‥自然と調和すると曲線になる?

<明日香村と関わり>
私は今年奈良県明日香村の「みかんの1本木オーナー」(http://yume9200.jp/ippongi.htm)になっています。
7月下旬,摘果(生育の悪い実や傷の付いた実を取る作業)のため,1泊2日をかけて契約農園を訪れました。お金の節約と学生時代に長距離の列車旅行を追体験したいとの気持ちで,何と埼玉県の自宅から奈良までの往復は「青春18きっぷ」を使い普通列車で移動しました。
写真はJR西日本「万葉まほろば線」香久山駅駅近くの踏切から線路を撮ったものです。真直ぐ延びる鉄道は,ローカル線といえども,やはり近代産業で形成された人工物の象徴のように感じてしまいます。
いっぽう,もう一つの写真はその日に撮った飛鳥寺近くの整備されていない道です。真直ぐではなく曲がっています。昔のこのあたりの道も真直ぐな道は少なく,曲がっていたのだろうと想像します。

古来日本では道を自然の地形,起伏に合わせたり,川や湖沼を避けたり,形の良い目印になる木を残すために迂回したりして作られるから曲がるのではないかと思います。何かを作るとき効率さを最大限求めた場合は,一般に直線や真円をベースに設計するのがベストでしょう。しかし,それは往々にして自然の形と相反することがあります。
その時,自然の形に刃向って(自然を変形させても)作るのか,自然と調和させて作るのか,それを利用する人達の考え方や暮らし方に依存するのだろうと私は考えます。
<万葉集の話>
さて,万葉集では「直」の漢字をあてる言葉として「直(ただ)」があります。「直(ただ)」は「真直ぐ」という意味のほか「直接(ちょくせつ)」という意味も万葉集では使われています。
対語が「曲」または「隈」という「まがる」という意味ですので,今回は「真直ぐ」という意味の「直」を見て行きます。

直越のこの道にしておしてるや難波の海と名付けけらしも(6-977)
ただこえのこのみちにして おしてるやなにはのうみとなづけけらしも
<<難波へまっすぐに越えたこの路から見て「おしてるや難波の海」と名づけられたのか>>

この短歌は神社老麻呂(かみこそのおゆまろ)が草香山(生駒山の西側)の峠を越えたときに詠んだとされる2首の内の1首です。この峠越えは大和盆地(奈良)から難波(大阪)に通じる一番短い(真直ぐな)道で,そのためこの峠を越えて双方の国に行くこと「直越(ただごえ)」と呼んでいたのでしょう。「おしてるや」は難波に掛かる枕詞(まくらことば)です。当時「おしてるや難波」は決まり文句だった私は想像しますが,作者は決まり文句になった理由がわからなかったのです。
しかし,実際に峠から難波の方面を見たところ,太陽に光って反射する海,潟,沼,田などがまさに「押し照る」(一面に照りつける)様子を見て,納得したとのでしょう。
なお,枕詞については,2009年5月24日から4回にわたって,私の考えを述べていますので,よかったら見てください。

さて,「真直ぐ」の対語は「曲がっている」です。万葉集では「曲(まがる・くま)」「隈(くま)」という漢字があてられています。
真直ぐなところは見通しが良いのですが,曲がっているところは見通しが悪く,物陰ができます。また,複雑に入り組んでいると方向が分からなくなるため,目印をつけることが必要になります。
次の成句からもその状況が読み取れます。
 川隈(かはくま)‥川の折れ曲がっている所
 隈処(くまと)‥物陰
 隈廻(くまみ)‥曲がり角
 隈も置かず‥曲がり角ごとに
 隈も落ちず‥曲がり角ごとに
 水隈(みぐま)‥水流が入りくんだところ
 道の隈‥道の曲がった角
 百隈(ももくま)‥多くの曲がり角
 八十隈(やそくま)‥多くの曲がり角
その中で,次の短歌を紹介します。

後れ居て恋ひつつあらずは追ひ及かむ道の隈廻に標結へ我が背(2-115)
おくれゐてこひつつあらずは おひしかむ みちのくまみにしめゆへわがせ
<<一人残されて遠く恋しく想っているよりは追いかけて参りますから,道の角ごとに標(しるし)をつけてください,私のあなたさま>>

この短歌の作者とされる但馬皇女(たぢまのひめみこ)は,父親が同じ天武天皇の異母きょうだいである穂積皇子(ほづみのみこ)との間で激しい恋に陥ります。母親が異なるとはいえ許される恋ではなかったのでしょう,二人は引き離される運命にあり,穂積皇子が近江の志賀の山寺に遣られたときに詠んだ短歌です。
許されない恋いだからこそ燃え,引き離されようとするほど恋しい想いは募る,その気持ちの揺れがまさに「隈」という表現にぴったりなのかも知れませんね。
さて,「直」と「隈」の対比を的確に伝えるにはもっと用例(万葉集の歌)をたくさん紹介した方が良いとは思いますが,長くなるので,まずはこのくらいにしましょう。
対語シリーズ「夢と現(うつつ)」に続く。