2011年6月13日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…住む(1)

万葉集で「住む」が詠まれている和歌は30首以上あります。
その中で,「住む」対象がヒトではなく,鳥が「住む(棲む)」ことを詠ったものが意外と多く出てきます。
今回は,「住む」対象が鳥である万葉集の和歌を見て行くことにしましょう。
どんな鳥が「住む」と詠っているのか見てみますと次のように多くの鳥が出てきます。
あぢ(偏が「有」で旁が「鳥」の漢字),鵜(う),鶯(うぐひす),鴨(かも),雁(かり),鴫(しぎ),貌鳥(にほどり),霍公鳥(ほととぎす),百鳥(ももとり),鷲(わし),小鴨(をかも),鴛鴦(をし,をしどり)
「あぢ」はアジガモのことだろうと言われています。「貌鳥」はカイツブリの古名と言われています。「百鳥」は特定の鳥のことではなく,多くの鳥という意味のようです。
では,万葉集の実例を見て行きましょう。

外に居て恋ひつつあらずは君が家の池に住むといふ鴨にあらましを (4-726)
よそにゐてこひつつあらずは きみがいへのいけにすむといふかもにあらましを
<<よそに住んでいてあなたを恋しているのでしたら,あなたの家の池に住んでいるという鴨になれればいいのにと存じます>>

これは,坂上郎女(さかのうえのいらつめ)が聖武天皇に献上したとされている短歌です。
天皇邸の庭には大きな池があったのでしょうね。鴨たちもいっぱい飛んで来ていたに違いありません。
天皇を恋しく思うのでいっそお宅の池に住んでいる鴨になりたいという意味ですが,この短歌には儀礼的な雰囲気が色濃く出ていると私は感じます。
次は霍公鳥が「住む」を詠んだ短歌です。

橘は常花にもが霍公鳥住むと来鳴かば聞かぬ日なけむ(17-3909)
たちばなはとこはなにもが ほととぎすすむときなかばきかぬひなけむ
<<橘がいつも咲いている花なら,霍公鳥が棲みに来て,その鳴き声をいつも聞くことができるのになあ>>

この短歌は大伴家持の弟の書持(ふみもち)が奈良の自宅から,恭仁京にいた家持へ贈った短歌です。
書持はこのとき既に病弱だったのだろうと私は思います(この短歌を作った5年後歿)。
自宅で療養しているとき霍公鳥が橘の花が咲くころ自宅にやってくることを楽しみにしているが,橘の花が散る頃霍公鳥が帰って行ってしまうのを惜しがっていたのでしょう。
この短歌から,書持にとって「天辺駆けたか」と明るく鳴く霍公鳥の鳴き声を大好きに感じていたのだろうと私は思います。
最後にもう一首,オシドリが「住む」を詠った短歌です。

鴛鴦の住む君がこの山斎今日見れば馬酔木の花も咲きにけるかも(20-4511)
をしのすむ きみがこのしまけふみれば あしびのはなもさきにけるかも
<<オシドリが住んでいるあなたの庭園を今日見てみれるとアセビの花も咲いていますね>>

これは三形王(みかたのおほきみ)が 中臣清麻呂(なかとみのきよまろ)の庭園(嶋のあるような池を持つ庭園)を見て,ちょうど馬酔木の花が見事に咲いているを讃えた短歌3首の1首です。
この庭園は,オシドリが住むような大きな池を持つ立派な庭園なのでしょう。それを作者は褒めたたえ,その池の脇に咲いている馬酔木の花を咲いているのを今気付いたように詠い始めます。
紹介はしませんが,続く2首で馬酔木が池にはっきり映るほど見事に咲いていることを詠っているのです。

さて,鳥が「住む」を題材にした万葉集の和歌を見ていくと,鳥が「住む」ことを肯定的(一種の憧れや安定感のイメージ)にとらえている和歌が多くみられると私は感じます。
鳥が身近に住んでいる状況は,万葉人にとっても自然が豊かで,いろいろな植物が咲き,木の実が多いことの象徴だったのかもしれませんね。
住む(2)に続く。

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