2009年9月21日月曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(た~)

引き続き,「た」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることば(多いです)で拾ってみました(地名は除きます)。

違ふ(たがふ)…一致しなくなる。相違する。背き外れる。
沈鳧(たかべ)…コガモの古名。
手柄(たかみ)…剣のつか。
激つ(たぎつ)…たぎる。
綰く(たく)…髪をかき上げる。手綱を操る。舟を漕ぐ。
栲綱の(たくづのの)…しら、しろ、新羅にかかる枕詞。
栲領巾(たくひれ)…楮(こうぞ)の繊維で作ったひれ(女性用マフラのような服飾具)。
栲衾(たくぶすま)…白にかかる枕詞。
襷(たすき)…衣服の袖をたくし上げるために肩から脇にかけて結ぶ紐。
佇む(たたずむ)…しばらくその場に立っている。立ち止まる。
畳薦(たたみこも)…隔て,へにかかる枕詞。
忽ちに(たちまちに)…すぐに、急に。
手束(たつか)…手に握り持つこと。
方便(たづき,たどき)…手かがり。手段。
携ふ(たづさふ)…互いに手を取る。連れ立つ。同伴する。
尋ぬ(たづぬ)…探し求める。探り求める。問い聞く。訪問する。
楯(たて)…戦陣で手に持ちまたは前方に立て,敵の矢,槍,剣などを防ぐための武器。
経緯(たてぬき)…機の経糸(たていと)と経糸(ぬきいと)。
織女(たなばた,たなばたつめ)…はたを織る女。秋さり姫。織女星。機織姫。
谷蟆(たにくぐ)…ヒキガエルの古名。
檀越(だにおち)…布施をする人。だんな。
戯れ(たはむれ)…遊び興ずること。
賜る(たばる)…たまわる。いただく。
度多し、度遍し(たびまねし)…多い。絶え間ない。
褌(たふさき)…ふんどし。
狂る(たぶる)…常軌を逸する。
妙(たへ)…不思議なまでに優れていること。
栲(たへ)…布。
手巻、環,手纏(たまき)…ひじに纏った輪形の装飾品。
廻む(たむ)…めぐる、まわる。
拱く(たむだく)…両手を組む。こまねく。
徘徊る(たもとほる)…同じ場所をぐるぐる廻る。行ったり来たりする。
揺蕩(たゆたひ)…彼方こなたへゆらゆらと動いて定まらないこと。
撓む(たわむ)…つかれていやになる。気力がなくなる。
手弱女(たわやめ)…たわやかな女性。なよなよした女。
手童(たわらは)…幼い子供。
撓(たをり)…山の尾根の低くくぼんだ所。鞍部。

中には比較的易しいと感じる難読文字も含まれているかもしれません。たくさん出現した理由は,もともと「た」で始まる言葉が多いためです。
この中の襷(たすき),戯れ(たはむれ),妙(たえ),方便(たどき)の四つが登場し,亡くした男の子のことを嘆き悲しむ山上憶良の長歌(5-904)があります。
長いので全部の紹介はやめて,ストーリと出現部分の紹介にとどめます。

<この長歌ストーリ>
七宝などに変えられないほど大切で可愛いわが子「古日」は,朝は私の床を離れず,いつも私と一緒に遊び,夕方になると私と妻の間で寝たいと可愛く言う。良くも悪くもこれから愛情を掛けて育てていこうとしたが,急に容態が悪くなった。白い布で作った襷を掛け鏡を持って,あらゆる神に祈りを捧げたが,容態が少しも良くならず,日に日に悪くなり,遂に死んでしまった。どんなに泣き叫び,悲嘆に暮れても,わが子は旅立ってしまう。これが世の中というものなのか。

(注)この後の短歌二首で「天に旅立つわが子にはお金をいっぱい持たせるから,天までの道にそのお金を布施として置き,天までの道をちゃんと教えてもらうんだよ」と憶良は詠んでいる。

<言葉の引用>
戯れ(たはむれ
立てれども 居れども ともに戯れ
<~たてれども をれども ともにたはむれ~>
<<立っていても座っていても一緒に遊んで>>

方便(たどき)
為すすべも 方便も知らに
<~なすすべも だどきもしらに~>
<<行う方法も手かがりも分からず>>

妙(たえ),襷(たすき
白妙の 襷を掛け
<~しろたえの たすきをかけ~>
<<白い布で作った襷を掛けて>>

この和歌から可愛くて仕方がなかった我が子を亡くした憶良の悲しみが今の私にも重く伝わってきます。
奈良時代は,病気の予防ワクチン,有効な抗生物質,効果的な医療技術などほとんどなく,一家に生れた子の内,何人かは成人になるまでに死ぬような時代でした。
しかし,子供が死ぬことが珍しいことではない時代にも関わらず,亡くした子に対する悲しみの感じ方は今と変わらないか,もっと深い部分もあるように私は感じます。
<当たり前に成人になれる現代は幸せか?>
今の日本,医療技術の発達や豊かな社会生活で病気により成人を迎えられずに死ぬ子どもの比率は恐らく奈良時代に比べて極端に少ないはずです。病死してしまう子どもを身近に見ることが少なくなった今,逆に生命の大切さを感じにくくなっている人が増えているのではないか。そのことが私には気になります。
少し誇張した表現ですが,今大多数の人は当たり前のように育ち,当たり前のように健康で,当たり前のように成人となることができる時代だと思います。(当たり前だから)生きていること自体に有難味を感じなくなってしまう人が,生きるか死ぬかの問題に比べたらはるかに些細と思われる理由で,自殺したり,他人を殺めりする傾向が強くなっていないでしょうか。
<亡くなった人を目の当たりにすると?>
水道,電気,ガス,電話などが使えなくなったとき,その有難味を身にしみて感じます。ただ,普段はいつでも使えるのが当たり前だと思い,使えなくなることを想定して有難味や感謝の気持ちで利用している人は少ないかもしれません。
大切な家族や近所の友達が亡くなってしまったり,重い不自由な身なってしまうのを目の当たりにする。そのことで,生命は儚いもので,大切にしなければならないものである。また,儚い自分の生命を大切にして生きていくには,長く生きた人(父母やお年寄り)の知恵に耳を傾けることが重要だと思い,尊敬の念を自然と持つようになっていくのだと私は思います。
<生命の大切さをどう教えるか?>
でも,子どもの死亡率に限らず,死亡率というものは低い方が当然良いはずです。医療技術や安全な社会システムによって当たり前に感じてしまう「無事に生きられている有難味」をどうやって教え,共有して行けばよいのでしょうか。
やはり,生命を大切にすることの重要性を感じている人たちが,障がい者や老人を大切にする,親を大切にする,家族や家族の絆を大切にする,住む処,職場や学校などの近隣の人やその人との繋がりを大切にするなど,一世紀も二世紀も前の人たちが言っていたことを愚直に教える,議論するという社会的な行動を起こす必要があるのかも知れません(例えば,戦前教育で同じことやっていたからという理由だけでステレオタイプにこのような教育の否定をやめて)。
<敬老の日に寄せて>
今日は敬老の日です。最近あるうれしいできごとで知った福山雅治の最新アルバムの中にある「道標」を聞き,さらに検索サイトにアップされた「道標」作成ストーリの映像も見ました。彼の故郷長崎の今は亡くなった祖母をモデルに,生命の大切さ,祖母への敬愛を唄った,心打たれるすばらしい曲だと私は思います。

まだ結構先ですが,私もいずれはお年寄りの仲間に入ります。

さて,どうせお年寄りになるなら,人生の後輩から少しは敬愛されるお年寄りになりたいものだね,天の川君?

天の川「こちらは歳を取りまへん。たびとはんと一緒にせんといてんか!」

みなさん,こういう憎まれ口は絶対にたたかないように注意しょう。(「ち」「つ」で始まる難読漢字に続く)

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