2013年1月20日日曜日

今もあるシリーズ「荷(に)」

<「初荷」は今は昔の話?>
私が少年の頃には「初荷」と書いた垂れ幕をバンパーや荷台の横に付けたトラックが1月の正月明けによく見かけました。
しかし,それから24時間365日営業のコンビニエンスストアの出現があり,デパート,スーパーマーケット,各種量販店の元旦営業が当たり前となり,宅配便の休日配送常態化で,正月も休みなくトラック輸送が行われています。そのため,「初荷」と称することが無意味となり,そういった幕を付けて走るトラックは見なくなったのでしょうか。
ところで,今の社会は私たち気まぐれな行動にも,また夜間や休日の仕事をしている人たちにも,急な体調変化にも対応してくれる24時間365日営業の店やサービスがあります。何かあったときに便利で安心して暮らせる世の中を提供してくれているという意味では,本当にありがたいことだと私は思います。
<24時間サービスは結局人間の犠牲で成立?>
でも,そのことによって,社会の人々の気持ちの中では,関係する仕事に従事する人に休みを取らせない環境に向かわせているように私は感じてしまいます。
言い換えれば,24時間サービスで働く人に対し,交代やシフトはあっても,機械やコンピュータと同じように休みなく(そして,低コストで)仕事をすることを求める社会になろうとしているということです。
いっぽう,その解消方法として,いつでもあらゆるものが買える自動販売機,いつでもコンピュータが注文を受け付けて自動的にすぐ配送手配してくれるネット販売,そして配送を担う24時間365日働けるロボットの出現が間近だろうという予測が考えられます。では,それが実現すればゆったり仕事ができ問題は解決するかというと,実はそうではないと私は思います。
<結局企業等のITシステムへの投資の回収は人件費削減で?>
そうなったとき,働くヒトが少しで構わない,失業者だらけのとてつもなく不幸せな社会になってしまいます。
少し歴史本を見ると,それでも人類は今までそういった危機を大きな痛みを伴いながらも乗り越えてきました。
ヒトは自分が痛み(今より苦しくなること)を今すぐ受け入れるのを極端に嫌います。ところが,その痛みから逃げ続けるともっと極端で大きな痛みが広い範囲で起こり,解消のための対処が後手となり,さらに強い痛みが継続して残ってしまうことが現実化します。
<良い政治とは?>
それが明らかな場合,誰かがみんなを説得して痛みが少なく,その痛みが公平な形に制御できるうちに対処することを実施するリーダシップを取る必要があります。それが政治の役目だといえそうです。ただ,国民側も待っているだけでなく,政治が正しい政策を実施できるよう支援と監視の努力を怠ってはならないのだろうと私は思います。
さて,何度もこのブログで書いていますが,万葉集の時代はまさに時代が大きく変わり出した時代だと私は理解しています。
それまでは決して豊かではなかったけれど,強烈な競争や外国から侵略を恐れることもなく,季節ごとに与えられる自然の恵みを受け,人々がのんびりと暮らしていた日本のような気がします(もちろん,比較論の話ですが)。
万葉集で初期の和歌が載せられている古墳時代の前の時代にあたる,いわゆる弥生時代の頃,大陸の航海技術が発展し,大陸の優れた物資,文化,技術,制度が島国日本にやってくるようになったようです。
<「天皇」の出現>
それまで,「井の中の蛙」のような日本人(とっいっても外をまったく知らないので,その自覚すらなかったはず)が外にはもっと大きなカエルがいたり,はたまた自分たちが一口で食べられてしまうような大蛇までいることを知った訳です。
それが,いつ襲ってくるか分からないとき,井の中の蛙の氏族リーダたちは,自分たちが井の中の蛙であることに初めて気づくのです。
そのリーダたちは大きなカエルや大蛇に負けない強い自分(リーダ)や自分たちになるため,痛みが伴うことを覚悟で「誰がこの大変な状況を引っ張るか」を決めるために戦いだします(士族間戦争)。
そして,最後まで勝ち残ったもっとも強いリーダが「天皇」という名称を自らが付け,今度は配下の人々に大陸に負けないよう構造改革(イノベーション)を強力に推し進めようとしたのです。
<古墳は天皇の権力の象徴>
万葉時代の幕開けである古墳時代始まりの幕はそうやって切って落とされたのではないかと私は考えています。
古墳時代~奈良時代前半まで行われた構造改革(律令制度,戸籍・租税制度による国民管理,軍事力強化,農地開発,人口増加策,道路・宿場・港・寺院等整備の公共事業など)はトップダウンで行われるわけですから,全体像や最終目的が見えない庶民や下級兵士は戸惑いを隠せません。目指すべき理想とその実施に伴う現実の痛みとのギャップのはけ口として,和歌や歌謡を詠うことがあらゆる階層で流行り,万葉集の基となる本音ベースのさまざまな人の和歌・歌謡群ができた考えるのは言いすぎでしょうか。
さて,本題の「荷」を詠んだ万葉集の最初は短歌は「荷」の付く地名を詠んだ山部赤人(やまべのあかひと)の1首です。

玉藻刈る唐荷の島に島廻する鵜にしもあれや家思はずあらむ(6-943)
たまもかるからにのしまに しまみするうにしもあれや いへおもはずあらむ
<<唐荷の島で島をめぐって魚を取る鵜であるなら自分の家のことを思うことはないのだろうに>>

唐荷の島と呼ばれるくらいですから,その島は大陸の荷物が集まり,仕分けされて各地に運ばれる配送センターがある島だったのかもしれませんね。場所は,今の兵庫県相生市の瀬戸内海に浮かぶ島を指すようです。
この歌は,唐荷の島で暮らしているなら自分の家や家族がどうしているか心配する必要がない。けれど,自分は遠く旅をしている身で残してきた家族や家がどうなっているか気になるという気持ちを詠んでいるのだろうと私は解釈します。
次は,船で荷物を運ぶ状態を比喩した詠み人知らずの短歌を見ていきましょう。

大船に葦荷刈り積みしみみにも妹は心に乗りにけるかも(11-2748)
おほぶねにあしにかりつみ しみみにもいもはこころに のりにけるかも
<<大きな船にアシを荷物にするため,刈って,山のように積んだ状態のように,私が貴女のことで心が満杯なのです>>

当時は,船に積めるだけ積んで川,運河,湖,海を航行する船がたくさん見受けられたのでしょうか。
最後は,久米禅師(くめのぜんじ)という僧侶(俗人であだ名かも)人が,熱い恋に生きた女性の代表格といえる石川郎女(いしかはのいらつめ)とやり取りした短歌の1首です。

東人の荷前の箱の荷の緒にも妹は心に乗りにけるかも(2-100)
あづまひとののさきのはこの にのをにもいもはこころに のりにけるかも
<<東国の人が贈り物を入れる箱の荷紐のように,貴女は私の心をきつく縛って離れないのです>>

当時から,大切な荷物は箱に入れられ,紐で縛って,中の荷物が飛び出さないようにしていたことが分かります。そして,紐がきつく結んであったり,結び方が特殊なものだと簡単に紐を解くことができなかったこともあったのかもしれませんね。
万葉時代は荷物の輸送に船を使うことが増えていったのだと思いますが,やはり陸路で運ぶことが主要であったと私は思います。長い距離を陸路で運ぶ場合,人や馬の休憩や宿泊場所が必要となります。それが,次回取り上げる駅(はゆま)です。
今もあるシリーズ駅(はゆま)」に続く。

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