2013年1月1日火曜日

年末年始スペシャル「万葉集:新春の和歌(1)」

みなさん,新春のお慶びを申し上げます。本年もこのブログを継続してアップしていきます。よろしくお願いいたします。
万葉集には新春の短歌が何首かありますが,今までほとんど取り上げてきませんでした。お正月のスペシャルとして万葉集新春の歌完全踏破と行きましょうか。
まずは,万葉集で新年の歌と言えば,万葉集最後の和歌である,天平宝字(759)3年元旦大伴家持(当時41歳)が詠んだ次の短歌でしょう。

新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(20-4516)
あらたしき としのはじめのはつはるの けふふるゆきのいやしけよごと
<<新年の始めである初春の今日,降っている雪のようにたくさん積み重なってほしい,よいことが>>

この短歌に対しては,新しい年になり,真っ白な新雪が降り積もっている様子から「今年は本当に良い年にしよう」という前向きな意図を私は感じたいです。私も吉事がいっぱいあるように,体調管理を徹底し,やるべきことをしっかりこなしていきたいと考えています。
時代はさかのぼりますが,次は天平勝宝3(751)年正月に同じ家持(当時33歳)が越中で詠んだ新年の短歌です。

新しき年の初めはいや年に雪踏み平し常かくにもが(19-4229)
あらたしきとしのはじめは いやとしにゆきふみならし つねかくにもが
<<新しい年の初めは毎年雪を踏みならして(人が集まるよう)、いつもそうしたいものだ>>

越中赴任4年半となり(この年平城京に帰任),土地の人たちとも仲良くなり,正月には多くの人が越中の家持邸を訪れたに違いがありません。精神的にも越中の風土が彼にあったのか,多くの和歌を詠んでいます。そんな家持の気持ちの上の安定感を感じさせる1首です。
さらに時代はさかのぼりますが,天平18(746)年に葛井諸会(ふぢゐのもろあひ)もう1首新年の歌を紹介します。

新しき年の初めに豊の年しるすとならし雪の降れるは(17-3925)
あらたしきとしのはじめに  とよのとししるすとならし ゆきのふれるは
<<新しい年の初めに豊かな実りの予兆なのでしょう。こんなに雪が降ったのは>>

この短歌は元正太上天皇橘諸兄藤原仲麻呂とそれぞれの配下の人たちを集めて正月に宴を開いたとき,太上天皇が前日降った大雪について参加者の若手に詠むよう促したことに対し,参加者の一人諸会が詠んだものです。
実は,この席に家持(当時28歳)もいて,同様に次の短歌を詠んでいます。

大宮の内にも外にも光るまで降れる白雪見れど飽かぬかも(17-3926)
おほみやのうちにもとにも ひかるまでふれるしらゆき みれどあかぬかも
<<大宮の内も外も白く光るまで降った白雪はいつまでも見飽きないものです>>

この短歌,少し突っ込みどころがあります。「大宮の内・外は光っていない(政治は腐敗し,民衆は清潔な暮らしができていない)。白雪はそれを隠してくれているだけ」と藤原仲麻呂あたりから体制を批判している歌だと指摘をされたらどうでしょう。この半年後,家持は越中に飛ばされることになります(この短歌が原因かどうかはわかりませんが,雪深い越中に)。

天の川 「そうやな。口は災いの素やさかい。たびとはんこそ,ちゃんと気を付けなはれや。うぃ~っ。お屠蘇もう一杯!」

もう10杯以上呑んでいるくせに,突っ込みどころだけは分かっている天の川君には今年も悩まされそうです。まったく。
年末年始スペシャル「万葉集:新春の和歌(2)」に続く。

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