2013年1月11日金曜日

今もあるシリーズ「市(いち)」

正月も終わり,各地で特色のある初市が行われています。
これから実施される初市をインターネットで探してみると次のようなもの(旧正月後の初市も含む)が見つかりました。
いせさき初市(11日),宇都宮初市(11日),喜多方初市(12日,17日),小山初市(14日),東根初市(17日),館林初市(18日),島原初市(3月3日~10日),宇土初市(3月7日,8日),甲佐初市(3月9日,10日)等々です。
このように,年明けの初めての市は1年の商売繁盛や無病息災を願う意味も含め,今も各地で結構盛大に行われているようです。
さて,万葉集にも市を詠んだ和歌が何首か出てきます。以前,このブログでも紹介したように,平城京には西の市東の市があったことが,万葉集の和歌にも出てきます(3-284,7-1264)。
万葉集に出てくるそのほかの有名な市として海石榴市(つばいち)があります。今回は海石榴市を詠んだ短歌から,当時の市をイメージしていきたいと思います。
まず,柿本人麻呂歌集から転載したという詠み人知らずの1首です。

海石榴市の八十の街に立ち平し結びし紐を解かまく惜しも(12-2951)
つばいちのやそのちまたにたちならし むすびしひもをとかまくをしも
<<海石榴市のいくつもの分かれ道で地をならし,結び合った紐を解いてしまうのは惜しいな>>

海石榴市は,今の奈良県桜井市にあったとされています。平城京より南方で明日香に近い場所です。その場所は平城京からくる街道,伊勢へ行く街道,吉野へ行く街道,難波(なには)に行く街道などが集まる場所だったようです。そのため,さまざまな街道や脇道の分かれ道と分かれ道に街ができ,当時八十の街(やそのちまた)と呼ばれていたようです。
海石榴市は出会いの場でもあった?
各地の物産を売るさまざまな店が現れ,買い手,売り子,品物の運送担当者など多くの人(特に若い人)が集まる最新のファッションタウンだったと思われます。人が集まれば,お腹も空くでしょうから,各地の珍しい食べ物やお酒を提供する飲食店も多数あったに違いありません。
それがまた多くの人を呼び,特に平城京の家族や恋人たちが1日がかりで買い物になどにお出かけする絶好の観光スポットになっていたのでしょう。当然,若い人たちの出会いや待ち合わせの場所になり,いろんな分かれ道にある○○という店で会ってデートしようということが頻繁に行われたとすると,この短歌の雰囲気が非常に伝わってきます。
そして,人でごった返していたとすると,離れ離れにならないよう,お互いを紐で結んでいたのかもしれませんね。
次の2首も海石榴市を詠んだ詠み人知らずの短歌です。

紫は灰さすものぞ海石榴市の八十の街に逢へる子や誰れ(12-3101)
むらさきははひさすものぞ つばいちのやそのちまたに あへるこやたれ
<<紫草の煮汁に灰を入れた時のようにきれいだね。この海石榴市の多くの街かどでよく見かける君の名をしりたいな?>>

たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰れと知りてか(12-3102)
たらちねのははがよぶなをまをさめど みちゆくひとをたれとしりてか
<<母が呼ぶ名はあるけれど,通りすがりの誰かは分からない人にはちょっとね~>>

まさに,繁華街でナンパしたけど断られたという情景ですね。ただ,実際にこういうことがあったというより,プロの短歌作者が作り,男と女がデュエットで詠う流行歌だったかもしれませんね(当時カラオケはないですが)。
海石榴市などの大きな市では,今も各地で行われているような歩行者天国や地域産物やのど自慢のコンテストのようなイベントが行われていたのかもしれません。そういった若い男女が集まって,のど自慢をするイベントの一つに歌垣(うたがき)があったのでしょう。
今もあるシリーズ「車(くるま)」に続く。

0 件のコメント:

コメントを投稿