2013年2月6日水曜日

今もあるシリーズ「宿(やど)」

現在では「宿」というと旅館,民宿,ホテルなどの宿泊施設を意味することが多いと思いますが,万葉時代では家の戸(屋戸),家の戸の前の庭先(屋外)または家そのものを指すことも多いといえそうです。
ただ,今回は旅の「宿」に関する万葉集の和歌を見ていきます。

君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ(15-3580)
きみがゆくうみへのやどに きりたたばあがたちなげく いきとしりませ
<<あなたが異国に行かれる途中の海辺の宿で霧が立って見通しが悪くなったら,私があまりに寂しくて号泣する息と思ってください>>

遣新羅使の夫に対して妻が贈ったとされる短歌です。遣新羅使ともなれば,宿は野宿ではなく,順調な旅であれば港の近くに宿泊施設を用意したと考えられます。
また,さまざまな事情(天候待ち,修理資材の調達待ち,次の到着地の準備待ち,海賊情報など)で港からの出航が待たされることもたびたびあったかもしれません。その間,遣新羅使たちはあり余る時間を港の宿が手配する遊女と一緒に過ごすことも考えられます。京に残った妻も気が気ではありませんから,こんな短歌も贈りたくなるのかも。
次は,もう少し厳しい旅の状況です。詠み人知らずの1首です。

十月雨間も置かず降りにせばいづれの里の宿か借らまし(12-3214)
かむなづき あままもおかずふりにせば いづれのさとのやどかからまし
<< 十月の雨がひっきりなしに降ったとしたらどこの里の宿を借りればよいかな~(今まで考えていなかったよ)>>

旧暦の10月は新暦では11月の頃でしょうから氷雨のような冷たい雨でしょうか。それがひっきりなしに降った場合,旅人が野宿するのは危険です。でも,この作者は宿を借りていません。
この短歌は次の妻から贈られた短歌の返歌です。

十月しぐれの雨に濡れつつか君が行くらむ宿か借るらむ(12-3213)
かむなづき しぐれのあめにぬれつつか きみがゆくらむやどかかるらむ
<<十月のしぐれの雨に濡れながらあなたは旅路を急いでいるでしょうね。宿を借られているでしょうか>>

妻からの心配に対して,宿を借りるほど大した雨ではないので,心配しないでほしいと夫は返したのです。
最後は高市黒人(たけちのくろひと)が富山に旅をしたときに詠んだとされる1首です。

婦負の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日しかなしく思ほゆ(17-4016)
めひのののすすきおしなべ ふるゆきにやどかるけふし かなしくおもほゆ
<<婦負の野のすすきを押し倒すほど降る雪で,宿を借りることになり(先に進めない),今日という日は本当に悲しく思える>>

この短歌は,越中守であった大伴家持三国真人五百国(みくにのまひといほくに)という人物が黒人が越中を訪れた時に詠んだ短歌として紹介したようです。家持は「羈旅の歌人黒人も越中に冬の季節に訪れたときは苦労したのかな」と想像したのかしれませんね。
いずれにしても,万葉時代は旅人が止まる宿は今のような畳敷きやベッドルームではなく,せいぜい板で囲われた板の間だったと私は想像します。
次回はその「板」について万葉集を見ていきます。
今もあるシリーズ「板(いた)」に続く。

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