2011年12月29日木曜日

対語シリーズ「静と騒」‥活気のある喧騒,心を癒す静寂。私は好きです。

未曾有の出来事があった今年1年もあと数日で終わろうしています。多少騒がしくても,明るく活気あふれる辰年になればと願っています。
今回は「静」と「騒」の対語を万葉集で見て行きます。万葉集では「静」という漢字を当てる言葉は「静けし」という形容詞の使い方がほとんどです。そして,「静けし」が詠まれている万葉集の和歌は7首で,それほど多くはありません。
いっぽう「騒」の漢字を当てる言葉は「騒く」(動詞),「騒き」(名詞),「潮騒(しほさゐ)」(名詞・連語)などの多様な使い方が万葉集に出てきます。それに合わせ,「騒」の漢字を当てた万葉集の和歌は50首近くになります。
まず,「静」と「騒」の両方が出てくる短歌を紹介します。

沖つ波辺波静けみ漁りすと藤江の浦に舟ぞ騒ける(6-939)
おきつなみへなみしづけみ いざりすとふぢえのうらにふねぞさわける
<<沖の波も岸辺の波も静かなので,漁に出るため藤江の浦は漁をする舟が騒いでいた>>

この短歌は,山部赤人が旅先から(みやこ)に戻る途中,播磨(はりま:今の兵庫県)の海岸沿いの街道を進んでいる時を思い出して詠んだ長歌と短歌3首の内の最初に出てくる短歌です。
「今日は凪(なぎ)なので漁にはもってこいだぞ,さあ急いで漁に出よう」と漁師が大きな声をあげて湊(みなと)を出ようとしている様子が鮮やかに見て取れるようです。波は静かだけれど,人間(漁師)の方が騒がしい(活気がある)湊の姿。さすが赤人の表現力は素晴らしいと私は思います。
次は「静」を詠んだ詠み人知らずの短歌です。

静けくも岸には波は寄せけるかこれの屋通し聞きつつ居れば(7-1237)
しづけくも きしにはなみはよせけるか これのやとほしききつつをれば
<<静かに岸辺に波は寄せるものだ。この家の中から聞いていると>>

この作者は旅先で漁師の家に泊まったのかも知れませんね。漁師の家は大体入江の奥に作られます。その住まいは入江の奥の湊の近くですから波は静かなのでしょう。海の波は荒々しいと思っていた作者は,意外と心地よい静かな波音が聞ける海辺の家を好きになったようです。
<伊根の舟屋>
私が大学生の時,ゼミの先輩の実家が京都府伊根町の典型的な舟屋ということで,夏休みに丹後半島を一人旅したとき寄らせて頂いたのです。写真は今Wikipediaの「舟屋」に掲載されている伊根の舟屋の全景です。


お昼を頂戴し,午後はその実家に戻っている先輩と舟屋の2階の海に面した(というより突き出た)畳の間で過ごしました。朴訥(ぼくとつ)とした先輩から舟屋の暮らしをゆっくりお聞きしながら,階下の波音を何時間も聞いていたのを思い出します。
伊根湾の海面は,その日夏の午後の太陽が鏡のようにキラキラと私の顔に反射し,舟屋の2階の下(舟を入れる場所)に寄せる波は「チャポン,チャポン」といった程度の音の繰り返しで,本当に海の上なのかと思わせる静かさでした。残念ながら,いっせいに各舟屋から出漁する光景は見られませんでしたが,そのときは最初に示した赤人の短歌のような騒がしさがきっとあるのでしょうね。
<今静かだからといって万葉時代も静かとは限らない>
続いて滋賀県高島市から琵琶湖に注ぐ安曇(あど)川の川波が「騒く」を詠んだ詠み人知らず(旅人)の短歌を紹介します。

高島の阿渡川波は騒けども我れは家思ふ宿り悲しみ(9-1690)
たかしまのあどかはなみはさわけども われはいへおもふやどりかなしみ
<<高島の安曇川の川波は騒がしいが,私の心は家を想うのみで旅先での寂しい泊まりが悲しい>>

当時,恐らく安曇川は今の高島市朽木(くつき)地区(旧朽木村)周辺で伐採された木材や若狭湾でとれた海の幸を若狭街道から琵琶湖へ運ぶ,舟の交通の要所だったと私は思います。この短歌を詠んだ旅人は今でいう仕事での出張ようなものだったのだのでしょう。写真は今年2月に私が撮った安曇川河口です。


当時はもっと活気があり,旅人を泊める宿も多くあったと考えます。そのため,川波が騒がしいのは春の雪解け水で水流が多い時期だったのかも知れませんが,行き交う舟が立てる波が騒がしかった可能性も否定できません。
今の風景を見て,当時も寂しい場所だっと決めつけるのは良くないことだというのが私の基本的な考えです。
藤原京から奈良時代に掛けて,全国交通網と(うまや)が整備され,海や川を舟が物資を運べるよう湊がたくさん作られたのです。高島の安曇川河口や北国街道西近江路が渡る場所は,この短歌が詠まれた当時はかなり活気のある湊町だったと私は想像します。
ただ,後の時代になり,若狭街道の近江今津市保坂から琵琶湖畔の今津へ抜ける街道が整備され,今津港から大型船が発着できるようになると,やがて安曇川を上り下りする舟も減り,活気も薄れて行ったのでしょう。
万葉集は当時のさまざまな状況を後世の私たちにロマン豊かに教えてくれる素晴らしいエビデンス(物証)だと,私はつねづね思うのです。
次回からは年末年始スペシャル「私の接した歌枕」のシリーズ3回目(箱根)をお送りします。

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