2011年12月10日土曜日

対語シリーズ「新と古」‥お願い,古着のように捨てないで!

今回は前置き無しに万葉集で「新」と「古」の両方を含んだ,非常に分かりやすい詠み人知らずの短歌から紹介しましょう。

冬過ぎて春し来れば年月は新たなれども人は古りゆく(10-1884)
ふゆすぎてはるしきたれば としつきはあらたなれども ひとはふりゆく
<<冬が過ぎて春が来れば,年月は新しくなるけれど人はその分年をとって行く>>

この短歌,特に解説はいらないと思いますが,一休(室町時代の臨済宗大徳寺派の僧:いわゆる「一休さん」のモデル)が詠んだと伝えられている次の短歌を思い出しますよね。

門松(かどまつ)は冥土(めいど)の旅の一里塚(いちりづか)めでたくもありめでたくもなし

次にこれも結構分かりやすい,同じく「新」と「古」の両方を含んだ詠み人知らず(東歌)を紹介します。

おもしろき野をばな焼きそ古草に新草交り生ひは生ふるがに(14-3452)
おもしろきのをばなやきそ ふるくさににひくさまじり おひはおふるがに
<<趣き深いこの野を野焼きしないで欲しい,古草の中から新草が入り交じって生えていて,これからさらに生えようとしているでしょうに>>

最後の「がに」は今でも金沢弁などで「いいがに」⇒「いいように」といった言い方で使われているようです。
奈良の若草山では,毎年1月下旬頃に山焼きが行われています。それによって堅く古い草を焼き,若草山に住んでいる鹿に春の若草を食べやすくしているのではないかと私は思います。
奈良時代には鹿を食用肉としてたべていたようで,野焼きは一種鹿の放牧の一環の作業だったのかも知れませんね。

さて,「新」を使った和歌をみていくと,「新草」の他に「新木(あらき):切り出した直後の木」「新夜(あらたよ):毎夜」「新代・新世(あらたよ):新しい御代」「新桑(にひくは):新しい桑の葉」「新防人(にひさきもり):新たに派遣された防人」「新手枕(にひたまくら):男女の初夜」「新肌(にひはだ):jまだ誰も触れていない肌」「新治(にひはり):開墾したての田など」「新室(にひむろ):新しい家や室」「新喪(にひも):新しい喪の期間」「新嘗(にふなみ):新穀を食すこと」が出てきます。
この中で,気になる「新手枕」を詠んだ詠み人知らずの短歌を紹介します。

若草の新手枕をまきそめて夜をや隔てむ憎くあらなくに(11-2542)
わかくさのにひたまくらをまきそめて よをやへだてむにくくあらなくに
<<妻と初めて床を伴にしてから一夜だって別々に寝るものか愛しくてしょうがないのに>>

この短歌から,妻問い婚ではなく,夫婦ともに暮らしている状態が想像されます。妻問いは,万葉時代の慣習だったと思われますが,庶民を中心に夫婦共同生活者もかなりいたのかと私は想像します。
今度は「古」を使った和歌を見て行くことにしましょう。
13-3452の短歌で使われている「古草」の他に「古へ(いにしへ):むかし」「古江(ふるえ):古びた入江」「古枝(ふるえ):年を経た木の枝」「古幹(ふるから):古く枯れた茎」「ふるころも(古衣):古着」「古人(ふるひと):昔の人」「古家(ふるへ):古い家,元の家」「古屋(ふるや):古い家」が出てきます。
この中で,「古衣」を題材に,自分を棄てた元恋人への恨みごとを詠んだ詠み人知らずの短歌を紹介します。

古衣打棄つる人は秋風の立ちくる時に物思ふものぞ(11-2626)
ふるころもうつつるひとは あきかぜのたちくるときに ものもふものぞ
<<古着を捨てるように私を棄てたあなたも,冷たい秋風吹きつける頃には物思いに沈むでしょう(わたしの温もりが無くなったことを知って)>>

この作者の本心は「小林よしのり」作マンガ「おぼっちゃまくん」のテレビ版エンディングテーマソングの一つ,Mi-Ke の「む~な気持ちおセンチ」の歌詞に出てくる「♪お願い,ティッシュのように捨てないで♪」ということに近いかもしれませんね。
ヒトは大切なものを失って見て,初めてそれが非常に大切だったことを気がつくことが多いのかもしれません。その気づきが人生を生きて行く過程で得るヒトの「学習」というものでしょう。
あるヒトの人生で今までいかに多くのことを失ってきて,そして失ったものの中で人生にとって何が大切なのかをよく知っている(気づいている),そんなヒトが話す言葉に重みを私は感じます。
反対に私が一番聞いて寂しいと感じるのは,多くのモノを失っていながら,その大切さに気がついていないヒトの話を聞くときです。そういうヒトの多くは,失った原因は自分にあるのではなく,原因は他人にあると決めつけてしまっていることが多いのです。
対語シリーズ「上と下」に続く。

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