2011年12月18日日曜日

対語シリーズ「上と下」‥敬語は難解?

慶応大学の創立者で1万円札の肖像にもなっている福沢諭吉が「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らず」と書いたのは,それだけ日本人には人と人の上下関係の意識が強いが,新しい文明開化の世の中ではその意識を打ち破り,平等意識を持つ必要があると考えたからなのでしょう。
<日本語の敬語類は難しい>
日本語には敬語(尊敬語,謙譲語,丁寧語)という同じ意味ではあるが伝える相手によって表現を変える用法があります。
敬語がなぜできたか?それは相手と自分との上下関係を常に意識することが是とする国民性から来たものだと考えます。諭吉がいくら近代日本を大きく変えた人だといっても,敬語のほうは今もしっかり使われています。
ところが,上下関係を意識することが少ないリベラルな思想や個人主義が定着している国で育った人達が日本語を学ぶ場合,敬語を覚えるのに苦労するとよく聞きます。
覚える価値を感じにくい訳ですから,覚える気持ち(モチベーション)が削がれるのは致し方ないことですね。
今の日本人でも敬語が正しく使えない人は結構いるようで,それだけ敬語は難しく,上下関係の意識の変化も影響しているのかも知れませんね。
<敬語は地方によっても使い方が異なる?>
実は,敬語は地方(方言)によっても使い方が微妙に違います。
たとえば,関東地方の私鉄の車掌が乗客に「降りましたら,白線の内側をお歩きください」とアナウンスします。
関西出身の私には,やはり違和感を感じます。「お降りになりましたら,白線の~」でしょう?と感じるのです。
もっとひどい事例は,駅構内アナウンスで「遅延証明書が必要な方が居(お)りましたら駅事務室までお越しください」です。お客様に「居りましたら」はないでしょう?「いらっしゃいましたら」に決まっているでしょう?と思う訳です。
ただ,関西の方言での敬語の使い方にもちょっと違和感を感じる部分もあります。
<京都の人は殺人容疑者にも敬語を使う?>
京都で育った私は,京都に暮らしていた頃に放送されたテレビの地元ニュースで,ある地区の住人が殺人犯の容疑者として逮捕されたというニュースがありました。
そのニュースでは,テレビ記者のインタビューに応じた容疑者の近くに住む主婦が「あの人が人を殺しはるやてほんまにケッタイ(不思議)やわ」と答えていました。
当時の私は,殺人容疑者に対して「殺しはる」という尊敬語を使うのは同じ京都人としても変だな?と感じたのです。
京都がさまざまな為政者によって頻繁に政権がとって変わることを経験してきた庶民が,今まで悪者とされてきた人達が突然政権を執って偉い人になる可能性が否定できない以上,一応他人には「何々しやはる」という便利で中半端な敬語を使うようになったようだと納得したのは,もっと後になってからでした。
<大阪弁はせっかち?>
ところで,天の川君に「早くして欲しい」を大阪弁で上下関係をいろいろ意識した場合の表現でやってもらいましょう。

天の川 「よっしゃ。それくらい任せといてんか。
     早よせんかい(上⇒下)。
     頼むわ,早よ~して~な(同等)。
     早よ~にお願いますわ(下⇒上中)。
     早よお願いできまへんやろか(下⇒上上)。」

「上方(かみがた)」と長い間自分立ちの方が江戸より上だと自称してきた関西の言葉も人の上下関係にはかなり敏感なようですね。
<万葉集の上と下>
さて,話を本来の万葉集に移しましょう。
出てくるのは「上(かみ)つ瀬」と「下(しも)つ瀬」,「上辺(かみへ)」と「下辺(しもべ)」,「下着(したき)」と「上着(うはき」,「雲の上」と「葉の下」,「上り(のぼり)」と「下り(くだり)」,「上紐(うはひも)」と「下紐(したひも)」,「山下」と「山上」という地理的,物理的な「上」と「下」を詠んだものがほとんどに見えます。
いくつか紹介しましょう。

あしひきの山下日陰鬘着る上にや更に梅を偲はむ(19-4278)
あしひきの やましたひかげ かづらける うへにやさらに うめをしのはむ
<<山下に生える日影のかづらを髪の飾りに着けている今,なぜ山の上に咲く梅を殊更賞賛しようとしているのですか>>

この短歌は,昨年3月28日に当ブログにアップした記事でも紹介していますが,天平勝寶4年の新嘗祭の酒宴で藤原永手(ふじはらのながて)が空気を読まない歌を詠ったのに対して大伴家持が皮肉を混めて詠ったものです。
かづらの木は地味で,山の下の日陰で育ちます。梅は派手で,山の上のような日当たりのよいところで育ちます。
「あなたは出世が約束されている。でも今日は現場で苦労してつつお勤めをしている我々の日なのです」と家持は諭しているように私は感じます。

雲の上に鳴きつる雁の寒きなへ萩の下葉はもみちぬるかも(8-1575)
<くものうへに なきつるかりのさむきなへ はぎのしたばはもみちぬるかも
<<雲の上で鳴いている雁が寒そうであるとともに萩の下の方の葉は色づいてきたのかな>>

この短歌は,天平10(738)年8月20日,その年の初めに官職ナンバー2の右大臣になったばかりの橘諸兄(たちばなのもろえ)宅で行われた宴(うたげ)の歌7首の中で,諸兄自身が詠んだ1首です。
そのままの解釈は秋が深まってきたという意味ですが,宴に参加した人達に対し「これからもっと大変になるけれど,俺の時代が来たのかもな」と伝えたかったのではと私は思います。
万葉集では,身分の上下関係を「上」「下」という言葉を使って直接詠んでいる和歌はないようですが,深読みするとこの短歌のように身分の上下を意識させているようにも解釈できそうだからです。
諸兄は天平15(743)年には官職ナンバー1の左大臣になり,さらに6年後の天平感宝元(749)年には、官位が正一位となり,これより上はない地位まで上り詰めるのです。
最後は,少し艶めかしい感じの女性(詠み人知らず)の短歌を紹介します。

人の見る上は結びて人の見ぬ下紐開けて恋ふる日ぞ多き(12-2851)
ひとのみる うへはむすびて ひとのみぬ したひもあけて こふるひぞおほき
<<人の目につく上着の紐は結んでおき、人から見えない下紐を結ばないようにして,お出でになるのを恋しく思う日が多いこの頃です>>

早く来てほしいと思っている私なのに貴方はなかなか来てくれない。何とか恋しい気持ちを分かってほしいけれど人目につくところでサインを出すのは恥ずかしい。
そんな外(上)には出せない内面(下)の女性心理が見え隠れするような気がします。
対語シリーズ「着ると脱ぐ」に続く。

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