2011年2月27日日曜日

「葉」が「言葉」である可能性は否定できない(本ブログ3年目開始に寄せて)

「動きの詞シリーズ」の途中ですが,このブログも開始して丸2年となり来月からは3年目に入ります。ここで3年目突入スペシャル投稿を行うことにします。
このブログ開始当初,私は「万葉集という名前の意味は『よろずの言葉を集めたもの』と考えている」と書いています。私がそう判断した理由を今まであまり詳しく書いてきませんでした。3年目開始という節目でもあり,その理由を書いてみます。

最近の万葉集の解説では「よろずの和歌」または「よろずの世」という意味という説が大勢だそうで,「よろずの言の葉」という考え方は無理があり,支持者は少ない書かれているようです。
「よろずの言の葉」では何故ダメなのか?
しかし,私があえて「よろずの言の葉」という意味ではないかと考える理由は次の通りです。
「よろずの和歌」説,または「よろずの世」説が有力視されるのは理解できるが,「よろずの言葉」説を有力な上の2説(「和歌」,「世」)と同列かそれ以上に有力なものとはせず,除外してしまうのは納得できないということです。
一般に「よろずの言の葉」説が否定される理由は,「ことば」に対して「言葉」という漢字を当てたのは平安時代以降であり,万葉時代では「葉」が「ことば」という意味は無く,万葉集の「葉」を「ことば」として考えるは無理があるというのが除外の主な理由のようです。
万葉時代「葉」に言葉の意味は本当になかった?
一見,非常に説得力があるように見える除外理論なのですが,私はこの除外論理は論理的に飛躍がありすぎると考えています。

「ことば」は万葉集の和歌には4首ほどですが使われ出てきます。また,今の「言葉」とほぼ同じ意味で「言(こと)」という名詞ではもっと多く使われています。この「言」は「繁く」と対になり,次の但馬皇女が詠んだような慣用的な使い方が万葉集ではあちこち出てきます。

人言を繁み言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る(2-116)
ひとごとを しげみこちたみ おのがよに いまだわたらぬ あさかはわたる
<<他人の噂が次から次から出て,辛い思いをしても,私はあなたに逢うため冷たい水の流れる朝川を始めて渡ります>>

このように「言」と対で使われる「繁く」は,植物が繁ることをイメージして使われているのではないかと私は考えています。その端的な例として次の詠み人しらずの短歌があります。

人言は夏野の草の繁くとも妹と我れとし携はり寝ば(10-1983)
ひとごとは なつののくさの しげくとも いもとあれとし たづさはりねば
<<人の噂が夏の野の草の繁るようにたくさん出ても,あなたと私が手をとって寝てしまえば(気にならないよ)>>

この短歌では草が繁るとなっていますが,草の代わりに「木の葉が繁るように」としても,植物が繁る例えとして妥当性は十分あります。「言繁く」の「繁く」のイメージとして植物の草は認め,木の葉は認めない理由はまったくありません。
さらに,次の東歌で使われている「八十言のへ」の「言のへ」は「言のは」の東国方言とみれば,「ことのは」や「ことば」の「は」や「ば」は,「葉」の意味がすでにあったかもしれないという考えに無理はありません。少なくとも「葉」の用例はなかったと断言はできないはずです。

うつせみの八十言のへは繁くとも争ひかねて我を言なすな(14-3456)
うつせみの やそことのへは しげくとも あらそひかねて あをことなすな
<<世間の人からいろんな噂を言われ煩わしいと思っても,その煩わしさに負けて,つい私との関係を口に出したりしないでね>>

このことから,万葉時代にすでに「ことば」と植物の例えは密接に関係しており,「ことば」の「ば」は「葉」もイメージがされていたと私は考えているのです。

ただ,その根拠がこれだけの事例では希薄という指摘はあるかもしれません。では,百歩譲って万葉時代には「葉」と「ことば」は結びつかなかったとします。
それでも,まだ「言葉」説を除外する理由にならないと私は考えます。
万葉集(まんえふしふ)という読みは漢字の音読みです。ところで,奈良時代大伴家持によって万葉集の編纂がほぼ完成した時点で,名前が万葉集という名前ではなかったとしたらどうでしょう。
たとえば,「よろづのこと(言)をあつめたるもの」という名前だったとします。
それを,平安時代に万葉(言葉の意味)集という漢字を当てて,音読みした名前にしたとすると,万葉集の「葉」が「言葉」の意味であっても何の不自然さもありません。
「言葉」除外論は,「万葉集」という漢字表記名が奈良時代に万葉集の中身が完成した時に既に命名されていたことを前提としているように見えます。
先日(2月16日)にNHKで放送された『歴史秘話ヒストリア「感動!「万葉集」ヒットパレード ~なぜ日本人は歌が好き?~』で「万葉集は平安時代の平城天皇が編纂し公開するまで封印されていた」という説には私は同感できません。しかし,「万葉集」というネーミングをしてプロモーションしたのは平城天皇であったというのはあり得ると考えています。
「万葉集」という名前が家持が編纂したときからあったという前提が許されるなら,他の2説(葉の和歌説,時代説)を除外するための前提はいくらでも考えることができます。
私は,万葉集の「葉」は「言葉」の意味ではないと断定する除外説は,逆に論理的,集合論的に無理がある説と考えており,万葉集の内容(大和言葉の宝庫)を見て,「葉」は「言葉」を意味するのが他の2説より妥当だと判断しているのです。
上述の歴史秘話ヒストリアでも「言の葉」とは言っていますが,それイコール「和歌」とは言っていませんでした。それは正しい判断だと私は思います。
<本スペシャル投稿完>

0 件のコメント:

コメントを投稿