2011年2月13日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…去ぬ(2)

「去ぬ」の2回目として,「去ぬ」が出てくる万葉集の相聞歌(女歌)を紹介します。

大船の思ひ頼みし君が去なば我れは恋ひむな直に逢ふまでに(4-550)
おほぶねのおもひたのみしきみがいなば あれはこひむなただにあふまでに
<<大船のように頼みに思っておりました貴方が去ってしまわれても,またお逢いするまでずっとお慕い続けるでしょう>>

この短歌は,神亀5年(729年)に石川足人(いしかわのたりひと)という人物が筑紫の蘆城驛家(あしきのはゆま)へ赴任するときの送別会で,恋人の女性(名前は不詳)が詠んだもののようです。
実際,本当の恋人だっかどうか分かりませんが,送別会ではこういう和歌を贈って別れを惜しんだのでしょう。

武蔵野の小岫が雉立ち別れ去にし宵より背ろに逢はなふよ(14-3375)
むざしののをぐきがきぎしたちわかれ いにしよひよりせろにあはなふよ
<<武蔵野のほら穴に住んでるキジが飛び立っていってしまうようにあなたが別れて行ってしまったあの晩より、いまだに恋しい貴方と逢えないでいます>>

こちらの短歌はもう少し厳しい現実を詠んだ相聞の東歌です。
おそらくこれを詠んだ女性は相手の男性の妻で,夫は戦地への徴兵,土木工事への駆出し,遠地への出稼など何らかの事情で家を出ていってしまったのでしようか。
けれど,私があなたを恋する気持ちは今も変わっていません。早く帰ってきて,あなたと逢いたい。そんな切ない残された妻の気持が伝わってきます。
<万葉時代の「去ぬ」は重い言葉?>
当時は,出先でさまざな事故や事件によって死を迎える人が多かったと思われます。
死去という言葉はあの世に逝(い)ってしまうという意味で「去」を当てているのは,万葉時代のような昔では「去(い)ぬ」という言葉は死までを予感させる言葉だったのではないか。それほど「去ぬ」は重い言葉だったと私は想像します。
それが,現在の関西弁では「去ぬ」は単に「帰る」に近い意味で,死を思い起こすようなニュアンスはありません。
このように,時代とともに言葉の意味は変化し,国語学の定説によると重い言葉も徐々に軽く扱われるように変化する言葉が多いとのことです。
たとえば「やがて」という言葉ですが,昔は「すぐ」という意味だったのです。ところが,今では「そのうち」という意味に近くなっています。
さて,天の川君も「やがて」また出てくるでしょう。

天の川 「たびとはん。『やがて』はいったいどっちの意味やねん?」

やっぱり「すぐ」出てきたか。「そのうち」でも良かったのに。今回はここまで。
去ぬ(3:まとめ)に続く。

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