2018年1月8日月曜日

続難読漢字シリーズ(3)… 末(うら,うれ)

今回は「末」の漢字を「うら」「うれ」と発音するケースについて万葉集を見ていきます。何かの末端(先のほう)や終端(終わりのほう)という意味です。
なお,万葉集でも「末」を今でも使う「すゑ」と発音する歌はたくさんあります。そのほか,「末」を「ぬれ」と発音する歌もあります。
その「末」の部分ですが,元の万葉仮名に「末」という漢字がすでに使われている歌も多くあります。
「すゑ」と読む発音する万葉集の歌は,万葉集の中でも比較的後ろの時代のもののようです。そのため,もしかしたら「すゑ」という発音は奈良時代に入ってから流行り出した言い方かも知れませんね。
「ぬれ」「すゑ」と発音する歌については,後の機会に触れることにして,今回は「う」で始まる「うら」「うれ」について紹介していきます。
最初の短歌は,今の季節を詠んだものです。

池の辺の松の末葉に降る雪は五百重降りしけ明日さへも見む(8-1650)
<いけのへの まつのうらばにふるゆきは いほへふりしけあすさへもみむ>
<<庭園の池の脇に生えている松の葉先に降る雪は,幾重にも積もるといい,明日も見たい気持ちです>>

この短歌は,作者が未詳だが,阿部虫麻呂が宴席で披露したと左注に書かれています。
松は尖った葉が隙間をもって放射状に生えています。そのため,葉先に積もった雪は,外気のみにさらされ,ある部分が融けても,融けた水は下の落ち,他の雪をさらに融かしてしまうことがありません。雪がなかなか解けないので,その上に新たな雪が重なって積もってくことになります。
その雪が,明日まで残るだけでなく,さらにこれから幾重にもたくさん積もったものを見たいという気持ちを詠んだものだと私は考えます。
宴席のとき,外は雪が降ってきて,雪が積もることは良いことが重なるというイメージがあり,宴席参加者の幸(さち)多きを願って,披露したのだろうと想像ができます。
さらに想像を膨らませると阿部虫麻呂は宴席の司会のような役目だったとイメージしてしまいます。
さて,次も同じ季節で,やはり松が出てきます。家の外に出て詠んだものだと考えられます。

巻向の桧原もいまだ雲居ねば小松が末ゆ沫雪流る(10-2314)
<まきむくの ひはらもいまだくもゐねば こまつがうれゆあわゆきながる>
<<巻向山の裾野のヒノキ原にはまだ雪を降らすような雲も見えないのに,近くの松の葉先に泡雪がどこからか漂っている>>

巻向山(567m)は三輪山(467m)の東に位置し,奈良盆地から見た場合,三輪山の奥に立つ山となります。作者は,奈良盆地ではなく初瀬街道の長谷寺がある付近にいて,この短歌を詠んだのかも知れません。
山は晴れてはっきり見えるけれど,雪がちらつくのは山に囲まれた地方では珍しくないと私は思うのですが,作者は京から来た都会人で,これを珍しいこととして詠んだと私は想像します。
特に松の葉は濃い緑なので,葉先の前を風に流されていく雪がはっきり見えたことに驚きを感じたと考えます。
最後は,少し早いですが,春の気配を感じさせる柳が出てくる女性が詠んだとされる東歌です。

恋しけば来ませ我が背子垣つ柳末摘み枯らし我れ立ち待たむ(14-3455)
<こひしけばきませわがせこ かきつやぎうれつみからし われたちまたむ>
<<そんなに恋しいなら,早く来て。垣根の柳の葉先を摘みとってしまうくらい私はじっと立ってお待ちしているのよ>>

柳は春になると枝の先を中心に新芽がたくさん芽吹きます。それを全部摘み取ってしまうくらい,長い時間待っている気持ちを知ってほしいと詠んだものでしょうか。
春になって,少しずつ温かくなり,移動も楽になってくると,待ちに待った彼との恋の季節が始まる期待があふれる乙女心を感じますね。
東歌の女性作の相聞歌は気持ちをストレートに表現する積極さがいいですね。
(続難読漢字シリーズ(4)につづく)

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