2018年1月1日月曜日

2018年正月スペシャル‥万葉集から日本人と犬について考える

戌(いぬ)年の2018年が始まりました。みなさん,どんな気持ちで新年を迎えていらっしゃいますか?
昨年はこのブログ(万葉集をリバースエンジニアリングする),思うように投稿できませんでした。しかし,今年はあと少ししたら,このブログを立ち上げて10年目に入ります。来年の満10年で500投稿を達成するためには,週1回の投稿をキープする必要がありますので,気を引き締めていきたいと考えていますので,今年もよろしくお願いします。。
さて,後で紹介しますが,万葉集でについて詠んだ歌は多くありません。犬についてWikipediaなどでは,縄文遺跡に犬(縄文犬)の骨が発見されているとあることから,犬は古来狩猟犬などの目的で日本に人間と暮らしていたと考えられそうです。
飛鳥時代には渡来人系ともいわれる豪族犬上氏が琵琶湖に面した北東部の地域で大きな勢力を持ちました。日本書紀に出てくる犬上御田鍬(いぬかみのたすき)は,遣隋使遣唐使にもなっていて,朝鮮半島経由で中国にも渡ったとの記録があるとのことです。
犬のことを(こま)と呼びます。高麗も「こま」と発音する場合があり,神社の社殿の前に置かれる狛犬像は朝鮮半島系の犬をモチーフにしていたのかもしれません。飛鳥時代では,犬は狛犬のイメージから番犬の役目で飼育されていたケースが少なくなかったと想像できそうです。
さて,朝鮮半島では,古くから(現在もそうですが)犬食文化があります。明治維新の文明開化で肉食文化が日本で急速に普及したように,飛鳥時代にはイノシシ,ブタ,クマ,ウマ,ウシ,シカ,サル,ニワトリそしてイヌなどの肉食習慣が大陸,朝鮮半島から入り,繁殖,屠殺(さばき),販売,料理の専業化など商業的に広まった可能性があります(それまでも家畜の犬を食べることはあったかもしれませんが)。
それがあまりに盛んになりすぎ,何らかの弊害が出たり,殺生に否定的な仏教との兼ね合いのためか,日本書紀には天武天皇5(675)年には,農産物が豊富にとれる夏から秋の期間だけですが肉食の禁止令が出たとの記載があります。その禁止動物の中に犬が含まれています。そのため,当時の日本では犬食は,相当広まっていたとみてよいかと思います。
その後,殺生を嫌う仏教をさらに重視した日本では犬を含む肉食文化が衰退していったのに対し,儒教に重きを置いた朝鮮半島では犬食も含む肉食文化がずっと残ったとみることができるかもしれません。
さて,万葉集では,犬はどう詠われているでしょうか。
まず,巻13に出てくる長歌(前半男,後半女)で,犬を含むさまざまな動物が出てくる歌を紹介します。

赤駒を馬屋に立て  黒駒を馬屋に立てて  そを飼ひ我が行くがごと  思ひ妻心に乗りて  高山の嶺のたをりに  射目立てて鹿猪待つがごと 床敷きて我が待つ君を  犬な吠えそね(13-3278)
<あかごまをうまやにたて くろこまをうまやにたてて そをかひわがゆくがごと おもひづまこころにのりて たかやまのみねのたをりに いめたててししまつがごと とこしきてわがまつきみを いぬなほえそね
<<(男)赤い馬を馬屋を建てて飼い,黒い馬をおなじく馬屋を建てて飼い,その馬に乗って俺は行く愛するお前のことばかり考えてな。(女)高い山の嶺のくぼみに待ち伏せ小屋を建てて,シカやイノシシを待つように,床を敷いて待つあなたのことを番犬ちゃんは吠えないでね>>

この長歌には,主語として犬(番犬)自体は出てきませんが,その犬に向けて詠んだ反歌があります。

葦垣の末かき分けて 君越ゆと人にな告げそ 事はたな知れ(13-3279) 
あしかきのすゑかきわけて きみこゆとひとになつげそ ことはたなしれ
<<(女)葦垣の上をかきわけ,あの人が越えてやってきたと人に聞こえるように吠えないでおくれ。彼との関係が人に知られてしまうから>>

この和歌から,当時は番犬を飼っていた家があっただろうということが想像できます。
もう一首犬を詠んだ旋頭歌を紹介します。

垣越しに犬呼び越して鳥猟する君青山の茂き山辺に馬休め君(7-1289)
かきごしにいぬよびこしてとがりする きみあをやまのしげきやまへにうまやすめきみ>
<<垣越しに犬を呼び寄せて鷹狩りをなさっているあなた。青々と葉が茂っている山辺で馬を休ませてあげてね,あなた>>

この和歌から,鷹狩で捕らえたけものを獲りに行って,銜えて帰ってくる猟犬がいただろうことがわかります。
いずれにしても,万葉時代から,日本人とって犬は良き伴侶だったことがわかります。
(続難読漢字シリーズ(1)につづく)

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