2018年1月6日土曜日

続難読漢字シリーズ(2)… 労(いたは)し

今回は,「労(いたは)し」について,万葉集の用例を見ていきます。
この言葉は,「残された子がいたわしい」という言葉が普通に使われているため,難読のレベルは低いと思う方もいらっしゃるかもしれませんね。
しかし,万葉時代で使われている意味は今と少し違っていたようです。
まず最初は山上憶良が詠んだとされる長歌の紹介です。

うちひさす宮へ上ると  たらちしや母が手離れ  常知らぬ国の奥処を  百重山越えて過ぎ行き  いつしかも都を見むと  思ひつつ語らひ居れど  おのが身し労しければ  玉桙の道の隈廻に  草手折り柴取り敷きて  床じものうち臥い伏して  思ひつつ嘆き伏せらく  国にあらば父とり見まし  家にあらば母とり見まし  世間はかくのみならし  犬じもの道に伏してや命過ぎなむ(5-886)
<うちひさすみやへのぼると たらちしやははがてはなれ つねしらぬくにのおくかを ももへやまこえてすぎゆき いつしかもみやこをみむと おもひつつかたらひをれど おのがみしいたはしければ たまほこのみちのくまみに くさたをりしばとりしきて とこじものうちこいふして おもひつつなげきふせらく くににあらばちちとりみまし いへにあらばははとりみまし よのなかはかくのみならし いぬじものみちにふしてやいのちすぎなむ>
<<京へ行くため母のもとを離れ,知らなかった国の奥の方へと行って,幾重にも重った山を越えて,早く京を見ようと同行の人々と話し合っていたが,自分の体力が耐えられず,道の曲り角の土手の草を手折り,小枝を下に敷いて、それを床のようにして倒れ伏して,ため息をつき,いろいろ寢ながら考えたことは,生まれ故郷にいたら父が,家にいたら母が看病してくれる。しかし,世の中は思うようには行かないものだ。犬のように道端に伏して,最後は命が終わってしまうのだろう>>

この長歌は,京(みやこ)に向かったが,志半ばで路上に倒れてしまった人を見て,またはそれをイメージして,倒れた人の思いを想像して憶良が詠んだと考えられます。
この中に出てくる「おのが身し労しければ」は,倒れた旅人は最初集団で京を目指して移動したのだが,病気になったか,ケガをしたか,からだがひ弱だったのか,みんなに付いてくことができず,動けなくなってしまったのでしょう。
この場合の「労し」は「思うようにならない」という意味が近いのではないかと私は思います。
次も行き倒れ(ただし,溺死者)を詠んだ詠み人しらずの長歌です。

玉桙の道行く人は  あしひきの山行き野行き  にはたづみ川行き渡り  鯨魚取り海道に出でて  畏きや神の渡りは  吹く風ものどには吹かず 立つ波もおほには立たず  とゐ波の塞ふる道を  誰が心労しとかも直渡りけむ直渡りけむ(13-3335)
<たまほこのみちゆくひとは あしひきのやまゆきのゆき にはたづみかはゆきわたり いさなとりうみぢにいでて かしこきやかみのわたりは ふくかぜものどにはふかず たつなみもおほにはたたず とゐなみのささふるみちを たがこころいたはしとかも ただわたりけむただわたりけむ>
<<旅する人は山を行き,野を行き,川を渡渡り,海路に出で,荒神がいる渡り場は,吹く風も激しく,立つ波も高く,しきりなくおし寄せる波が邪魔をする道を,誰のことがひどく気になったのか分からいが,無理に渡ってしまった>>

この長歌に出てくる「誰が心 労しとかも」は,誰かのことが非常に気になって冷静さを欠いた状況になったと私は解釈します。渡し場にいる人たちは,「無理だ」「渡れないから止めとけ」といったのを溺死した人は聞かなかったのでしょう。
最後は,大伴家持が天平勝宝2年5月6日に兎原娘子(うなひをとめ)の物語を題材に詠んだ長歌の一部です。

~ たまきはる命も捨てて  争ひに妻問ひしける  処女らが聞けば悲しさ  春花のにほえ栄えて  秋の葉のにほひに照れる  惜しき身の盛りすら  大夫の言労しみ ~(19-4211)
<~ たまきはるいのちもすてて あらそひにつまどひしける をとめらがきけばかなしさ はるはなのにほえさかえて あきのはのにほひにてれる あたらしきみのさかりすら ますらをのこといたはしみ ~>
<<~命さへも捨てて,(二人の男が)競って求婚した娘のことは聞くも哀れなことである。春の花のように美しく,秋の黄葉のような見事さをもった娘子は,(その二人の)男たちからの命を顧みない求愛の言葉をつらく感じて~>>

この長歌の後の部分では,兎原娘子は自らの惜しき命を絶ってしまったとあります。「丈夫の言労しみ」は,二人の男から言い寄られ,どうすればよいか分からない兎原娘子の気持ちの戸惑いを「労し」は表現していると感じます。
「労し」のようなの心理的な辛さを表す言葉は,時代やその背景となる状況の違い,感じる人の立場(今回はすべて当事者の気持ちを代弁する作者の立場)の違いなどで現代語に訳すと微妙にニュアンスが変化するようです。
(続難読漢字シリーズ(3)につづく)

0 件のコメント:

コメントを投稿