2016年3月21日月曜日

改めて枕詞シリーズ…いさなとり(2:まとめ) 海は別れの場,死の危険も潜む場?

枕詞「いさなとり」の1回目(前半)は短歌,旋頭歌,長歌のそれぞれで使われている例を万葉集から紹介しました。後半はすべて長歌で使われている例を紹介しますが,長い長歌ばかりですので,それぞれ一部の紹介に留めます。
まず最初は,柿本人麻呂石見(いはみ)の国で仲の良い妻の一人とされている依羅娘子(よさみのをとめ)との別れを詠んだ長歌です。

鯨魚取り海辺を指して 和多津の荒礒の上に か青なる玉藻沖つ藻 朝羽振る風こそ寄せめ 夕羽振る波こそ来寄れ~(2-131)
<~いさなとりうみへをさして にきたづのありそのうへに かあをなるたまもおきつも あさはふるかぜこそよせめ ゆふはふるなみこそきよれ~>
<<~海の沖から海辺に向け和多津の荒磯の上に青々と生える美しい藻,そこでは朝は強い風が寄せ、夕方には強い波が寄せて来る~>>

この長歌は,美しく藻が強い風で寄ってくるように,いつも寄り添っていた妻と別れなければならない感情を詠っています。「いさなとり」を前に置くことによって,海辺の長さと海の大きさを表していると私は感じます。妻と愛し合った時間の長さと寄り添って生きた幸せの大きさを示すのに「いさなとり」は相応しい枕詞でしょう。
次も人麻呂の長歌です。人麻呂が讃岐(さぬき)の国の沙弥島(さみねのしま)に行ったとき,海岸で横たわる死人を見て詠んだ1首です。

沖見ればとゐ波立ち 辺見れば白波騒く 鯨魚取り海を畏み 行く船の梶引き折りて をちこちの島は多けど 名ぐはし狭岑の島の~(2-220)
<~おきみればとゐなみたち へみればしらなみさわく いさなとりうみをかしこみ ゆくふねのかぢひきをりて をちこちのしまはおほけど なぐはしさみねのしまの~>
<<~沖を見るとうねりが立ち,岸辺を見ると白波がいっぱい立っている。大海を恐み,航行する船の梶を引込め,あちらこちらに島は多いが,名も麗しい狭岑の島の~>>

この島のごつごつした岩床に臥す死人の家を知っていれば家族に知らせることもできるが,何も答えてくれない。キミの奥さんはキミの帰りを心待ちにしているだろうにと悔やみの言葉を詠んでいるのです。
今も飛行機事故で犠牲になる人がいますが,万葉時代は海難で死ぬ人が多かったのでしょう。捜索もできず,流れ着いた死骸で事故の様子を想像するしかなかった時代です。でも,より豊かな暮らしをするために,ヒトやモノを輸送したり,漁業をする船(舟)と船乗り(海人)は,いつも危険と隣り合わせの職業として必要だったでしょう。そして,その人たちによる交易や生業によって,別に潤う人が多くいたに違いありません。
<経済学的に見て見れば>
経済が発展する過程で,事故などによる犠牲者をゼロにすることは不可能ではないですが,ゼロにすることイコール経済の成長を止めることにほかなりません。経済の成長が止まっても犠牲者をゼロにすべきと考える人がいるかもしれません。しかし,経済の成長を止めると,間違いなく経済学用語でいう縮小再生産(リセッション)に入ります。
その結果として,事業が破たんして多くの失業者を出し,その結果ローンが払えない,食べるものが買えない,医療費が払えないなどで自ら命を絶つ人が増える可能性が高くなります。リセッションも犠牲者を出すことになります。
亡くなられた方のご遺族の悲しみの深さを理解し,場合によっては寄り添って助けることも必要かもしれません。ただ,その犠牲が出たことだけをとりあげ,人類の未来をマクロに豊かにする研究や投資を否定したり,何でも反対するだけという行為に私は賛同できません。
<万葉集から見える万葉時代の社会>
万葉集に私が興味を持つことの一つとして,万葉時代には今の日本の礎となる大改革を当時の為政者が行い,その結果のメリット/デメリットがどんなものかを想像できる情報がちりばめられているからなのです。たいへんな痛みを伴ったけれども,結果として今の日本文化はその改革が無かったら,もっと違ったものになっていたかもしれないだけでなく,日本という国が今はないかもしれないと私は思うのです。
特に,律令制度や大陸の技術の導入,そして仏教の導入の影響は大きかったと私は思うのです。
今,起源がインド,中国,朝鮮半島という何らかのものでも,日本が導入し,独自の発展と高度化(改善)により,本家よりも魅力的になっているモノが多くあります。
さらに,戦後においてもアメリカの品質管理やコンビニのノウハウが日本に導入され,本家よりも優れた状態となり,逆にその成果が世界に広まっている状況です。
さて,最後は笠金村(かさのかねむら)が越前の敦賀湾の奥にある港から船に乗った時に詠んだ長歌です。

越の海の角鹿の浜ゆ 大船に真楫貫き下ろし 鯨魚取り海道に出でて 喘きつつ我が漕ぎ行けば~(3-366)
こしのうみのつのがのはまゆ おほぶねにまかぢぬきおろし いさなとりうみぢにいでて あへきつつわがこぎゆけば ~>
<<越前の敦賀の浜を通って,大船のメインオールを下して大きな海道に出て,オールを漕ぐ水夫の喘ぎ声を聞きながら進むと~>>

船旅は始まったばかりなのでしょう。行き先は越前の北の方か,能登半島を周って越中なのかは分かりませんが,この後に金村は南の方にある大和に連なる山を見て,望郷の思いを詠っています。
私は京都に住んでいた中学生・高校生の頃,何度も敦賀湾に海水浴に行きました。そのとき,苫小牧との間を結ぶ大型フェリーを見て,ここが海の交通の要所であることを感じていました。
そのため「いさなとり」が枕詞としてこの長歌で使われていても,特に違和感を感じることはありません。
改めて枕詞シリーズ…うつせみの(1)に続く。

0 件のコメント:

コメントを投稿