2016年3月14日月曜日

改めて枕詞シリーズ…いさなとり(1) ♪海は広いな~,大きいな~

万葉集には枕詞と呼ばれる言葉が出てきます。
枕詞という分類は万葉時代にあった訳では無く,後世の人が名づけた分類用語です。その言葉自体の意味よりも,それに続く詞を導く言葉として修飾の一形態として分類されているようです。
しかし,枕詞を和歌が伝えたいことの修飾語あり,読み飛ばしても作者の意図と大きく違わないという考え方には私は同意しかねます。枕詞を文学的表現の技法として見ないからです。
万葉集の作者が表現をどう考えて,あくまで後世の人が分類した「枕詞」を使ったか。あまり先入観を持たずに見ていこうとするのが,情報を扱うIT技術者が書くこのシリーズの目的です。
なお,万葉集で枕詞と呼ばれる言葉がいくつも出てくるのは長歌であるため,長歌の一部のみを引用する場合もあることをご了承ください。
今回は「いさなとり」という「海」や海に関連する言葉に掛かる枕詞を2回で渡り取りあげます。
「いさな」とは今「鯨(くじら)」と呼んでいるものです。漢字では「鯨魚」と書きます。
まず,以前にも紹介した有名な旋頭歌からです。

鯨魚取り海や死にする山や死にする死ぬれこそ海は潮干て山は枯れすれ(16-3852)
いさなとりうみやしにするやまやしにする しぬれこそうみはしほひてやまはかれすれ
<<大海は死ぬのか? 山々も死ぬのか? 死ぬからこそ,海は潮が干いて,山は枯れる>>

「いさなとり」が枕詞として使われているのは,旋頭歌として最初の5字を整えるためだけでないと思います。やはり,その後に続く「海」は鯨が獲れるような大海をイメージしているのだろうと思いたいですね。
この旋頭歌の意味は,常にあるようなものでも死ぬのだという仏教でいう無常観を意識して詠まれたもとと私は解釈します。この考えを暗いと考えるのではなく,世の中は変化をしていること,その変化の先をしっかり読み取って,生きることが重要と諭している和歌だといえそうです。
次は天平2(730)年11月に大宰府から大納言となって帰任するため,瀬戸内海を船で移動する道中の大伴旅人に随行した付き人が詠んだ短歌です。

昨日こそ船出はせしか鯨魚取り比治奇の灘を今日見つるかも(17-3893)
きのふこそふなではせしか いさなとりひぢきのなだを けふみつるかも
<<昨日に船出して,今日には比治奇の灘が見えるところまできましたね>>

比治奇の灘は瀬戸内海のどこかは定かではありませんが,位置的には周防灘が一番合っているように思います。周防灘は瀬戸内海でも最も広く,大海に出たような雰囲気から「いさなとり」の枕詞が使われたのかもしれません。冬の季節風に乗って進めば,博多あたりから出向して,翌日には周防灘を航行ということも十分可能でしょう。
この短歌の作者は,帰京の旅が順調であることを示して,旅人を始め,同行者を元気づけようとしたと考えることができそうですね。
今回の最後は,車持千年(くるまもちのちとせ)が天皇と難波の宮に行幸した際,住吉(すみのえ)の浜を讃嘆した長歌です。

鯨魚取り浜辺を清み うち靡き生ふる玉藻に 朝なぎに千重波寄せ 夕なぎに五百重波寄す 辺つ波のいやしくしくに 月に異に日に日に見とも 今のみに飽き足らめやも 白波のい咲き廻れる住吉の浜(6-931)
いさなとりはまへをきよみ うちなびきおふるたまもに あさなぎにちへなみよせ ゆふなぎにいほへなみよす へつなみのいやしくしくに つきにけにひにひにみとも いまのみにあきだらめやも しらなみのいさきめぐれるすみのえのはま
<<浜辺は清く,なびき揺れて生えている玉藻に,朝なぎにや夕なぎにも幾重も波が寄せている。この岸辺の波のように,何度も何度も月を重ねて日に日に見てもずっと飽き足りることはないだろう。白波の花が咲き続ける住吉の浜は>>

浜辺への枕詞に「いさなとり」を使っているのは,やはり浜辺がずっと続いているほどの規模をイメージしているからだと私は思います。
浜辺には,綺麗な海藻がたくさん生えていて,それが朝なぎ,夕なぎに寄せるさざ波にきらきらと輝きながら揺れる姿は,海が無い平城京から来た人たちにとって,心安らぐ光景だったのでしょう。
住吉の浜は,万葉時代では「リゾート地」だったのでしょうか。鯨が獲れるような海だけれど,本当にきれいな風景の浜辺もあるよということを作者は表現したかったのではないか私は想像します。
改めて枕詞シリーズ…いさなとり(2:まとめ)に続く。

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