2016年1月2日土曜日

400回記念スペシャル(2)…万葉時代,猿はどうみられていたか?

新年あけましておめでとうございます。
今回で当ブログ投稿400回目になりました。各回平均3個の和歌を紹介してきたとすると1200首となりますが,重複もありますので約1,000首を紹介してきたことになりそうです。これでも,万葉集全4,516首の20%余りでしかありません。まだまだ続けられそうです。
また,昨年5月から始めた姉妹ブログの「万葉集に関するクイズです」(http://quiz-mannyou.blogspot.jp/)も初級問題29回(145問),中級問題5回(25問),上級問題1回(5問)をアップしてきました。問題を作成していく上で,4,516首に対して,語句の意味や読み,作者当て,虫食い,その他万葉集全般や作者に関するものを合せると少なくとも何万問という数の問題ができそうです。
さて,これまで多く閲覧頂いている投稿は,やはり正月や七夕といった季節ものになります。
ただ,季節とは関係がないのですが,なぜか多くの人に閲覧して頂いている投稿があります。それは,2010年3月1日に投稿した「待つ(4)」(http://reverse-mannyou.blogspot.com/2010/03/4.html)です。
この中で特別なことを書いたとすれば「日本人の特徴は,いつも待つほうばかりで,積極性が劣り,受け身なのか?」という問いに対する私の考えを書いたことでしょうか。日本人が受け身のように見えるのは,変化に対して絶妙なタイミングを見計らって対応することが得意だからだと分析しています。まだご覧になっていない方は見ていただければと思います。
今年は申年ですが,万葉集には猿を取りあげた和歌は1首しかありません。申年の人には申し訳ありませんが,良いイメージ詠んだものでは無いのです。
大伴旅人が13首詠んだ賛酒歌(酒を賛むる歌)のうちの1首です。

あな醜賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む(3-344)
あなみにくさかしらをすと さけのまぬひとをよくみば さるにかもにむ
<<ああ何と醜い。賢そうにして酒を飲まない人をよく見ると,猿に似てくる>>

当時,猿は「猿神」として崇められていたという説があるとのことです。なので,何十年か前に「エテ公」とさげすまれていたのとは,全然違います。信仰の対象だった可能性もあります。各地に「猿神」の小さな石像(石猿)が祀られてあったのかもしれません。その像が,いかにも賢そうで表情が無かったことを,旅人は皮肉ったのではないかと私は想像します。
今年が,みなさまにとって孫悟空觔斗雲(きんとうん)に乗って空を跳ぶように,飛躍の年となりますように。
400回記念スペシャル(3:jまとめ)に続く。

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