2013年5月6日月曜日

2013年GWスペシャル「武蔵野シリーズ(5;まとめ)」

<武蔵野に関連した幼い頃の思い出>
今年のGWも今日で終わりです。このブログにも5件アップでき,気持ちよく明日から仕事に戻れそうです。
万葉集東歌防人の歌で,武蔵野を直接,間接に詠ったものを取り上げ,当時の武蔵野を想像した内容でしたが,いかがでしたでしょうか。
私が京都に住んでいた時(大学に入る前)から,武蔵野というものに何かしらのあこがれを持っていたようです(小説の名前にも使われていました)。京都市内には化野(あだしの:右京区),宇多野(右京区),嵯峨野(右京区),平野(北区),紫野(北区),蓮台野(れんだいの:北区),上高野(左京区),高野(左京区),大原野(西京区),鳥辺野(とりべの:東山区),日野(伏見区),小野(山科区),栗栖野(くりすの:山科区),西野(山科区),東野(山科区)などの後に野の付く地区がありますが,武蔵野のように山が遠くにしか見えず,起伏が少ない平野ではありません。
生徒の頃,地図帳を見ると,武蔵野を東西に貫くJR(当時国鉄)中央線中野駅から立川駅まで,約20㎞ほぼまっすぐなのに私は胸をときめかせていました。なぜなら,京都付近の鉄道はみなくねくね曲がって進むのが普通でしたから。
私はあこがれの武蔵野に属する今の場所に暮らし始めて25年以上になりますが,その間都市開発が急速に進み,雑木林はどんどん減り続けています。でも,近くにある平林寺新座市)の境内(数百m四方)には,雑木林がしっかり保存されていて,その中に入ると武蔵野の雰囲気を今でも感じることができます。
今回,万葉集の武蔵野を詠んだ和歌や埼玉県立さきたま史跡の博物館を訪問して,1千数百年以上前から武蔵野は人の手が入って暮らしを支えてきたことを私は改めて強く感じしました。これからも行われるであろう都市開発も今まで行われてきた武蔵野に人が手を加える形のひとつかもしれませんが,自然との調和を忘れないでほしいと私は願いたいです。
<本題>
さて,武蔵野という言葉は言っていないのですが,武蔵野に属する地名を詠んだ短歌を2首紹介して,このシリーズのまとめとします。

三栗の中に向へる曝井の絶えず通はむそこに妻もが(9-1745)
みつぐりのなかにむかへる さらしゐのたえずかよはむ そこにつまもが
<<三つ実が入った栗の中に向かって絶えず流れる泉の水のように絶えることのなく通っていこう。そこに愛しい妻がいてほしい>>

この短歌は高橋虫麻呂歌集に出ていたと万葉集で紹介されています。「中」を「那珂」という地名と考え常陸国(茨城県)する説もあるようです。ただ,埼玉県美里町にある「さらし井」を詠んだものとすれば武蔵野の地を詠んだものになります。「曝井」は布をさらした井戸という意味もあるそうですが,井戸穴を掘らずに自然に湧き出す井戸(泉)を指すものと私はしました。「三栗の」を素直に枕詞としても構わないのですが,三栗の真ん中の実は細く,少し下がっているので,水を流すと必ず真ん中を絶えず通るというイメージを序詞と私はしています。
次は,地名から武蔵野の地を詠んだと判断される東歌です。

入間道の於保屋が原のいはゐつら引かばぬるぬる我にな絶えそね(14-3378)
いりまぢのおほやがはらの いはゐつらひかばぬるぬる わになたえそね
<<入間道の近くにある於保屋が原に生えている「いはゐつら」を引き抜くと次々と途切れることなく出てくるように,私への気持ちを絶えさせないでください>>

入間道は入間の地そのものではなく,入間に至る道でよいかと私は考えます。
さて,「はいゐつら」という植物が生えていた於保屋が原があった場所として,この短歌の歌碑が狭山市,坂戸市,日高市,越生町に立っているそうです。いろいろ説があるようですね。では私の思い付きで,(万葉仮名に引きずられただけですが)保谷(今の西東京市)というのはどうでしょう。
さて,次回から新しいシリーズを開始します。内容は,以前シリーズ化した動詞に続き,万葉集に出てくる形容詞,その中でも心情表現に使う形容詞を中心に取り上げます。万葉集の歌人が,どのような状況で,どのように心が動き,それをどう表現しているかを見ていきます。よかったら。続けてご覧ください。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「うるはし」に続く。

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