2013年4月6日土曜日

今もあるシリーズ「釣舟(つりふね)」

<釣りはほとんどやらずに来ました>
私には釣りの趣味はありませんが,知人には釣りを趣味としている人が何人もいます。
その知人達から「竿を譲るから釣りを始めないか?」と誘われることも何度かありました。
じっとしているが苦手な私は,釣りのイメージ(じっと釣れるまでひたすら待つ)から始めることを躊躇しているうちに,今になってしまいました。
ところが,山の中奥深くまで,登山さながらに入り込む渓流釣り,釣りのポイントを求めて海岸の岩場を移動する磯釣りなど結構ハードな釣りの種類もあります。また,釣舟に乗って,波に揺れながら釣り糸を垂れる沖釣りは船酔いになりやすい人にはつらいかもしれません。
<万葉時代のプロの釣り師>
趣味の釣りではなく,海や湖などで漁業(プロ)として釣りをする人がいます。
万葉集から,魚介類や海藻を捕って生計を立てている人を海人(あま)と呼んでいたことが分かります。
その中でも釣舟を使って漁業をする海人の集団がいたことは,次の柿本人麻呂の短歌から想像できます。

笥飯の海の庭よくあらし刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船(3-256)
けひのうみのにはよくあらし かりこものみだれていづみゆ あまのつりぶね
<<飼飯の海の漁場には良いらしい。入り乱れて海人の釣舟が出航するのが見える>>

笥飯の海は,淡路島近海らしく,瀬戸内海の美味しい魚がたくさん捕れたのでしょう。捕った魚は干物くさやのような醤漬け(ひしおづけ)などに加工して,奈良の京の市場に出回ったのかもしれません。
今度は出航する風景ではなく,帰港する風景を詠んだ1首を紹介します。

風をいたみ沖つ白波高からし海人の釣舟浜に帰りぬ (3-294)
かぜをいたみ おきつしらなみたかからし あまのつりぶねはまにかへりぬ
<<風が荒れ,沖の波が高いようだ。海人の釣舟が浜に帰ってきた>>

この短歌は,角麻呂(つのまろ)という人物が,難波の海岸で詠んだ羈旅歌4首中の1首です。
万葉時代の釣舟の大きさは精々1人か2人が乗るものだったのでしょう。動力は風を帆に受けて進むのと人力の櫂のみだったと思います。そのため,海が荒れると漁はできなくなります。
当時の釣舟には係留用のロープなどないですから,使わない時は,複数の丸木の上を転がし,浜に上げておきます。そんな多くの釣舟が浜に上げられた状態を見て,この短歌を詠んだのだろうと私は思います。そんな風景も,みやこ人とっては珍しいと感じたのかもしれません。
さて,最後は釣舟がいっぱい浜に上がっていて,自分たちの船を止めるところがないのでは?と大伴旅人大宰府から京の帰任する船旅の途中で従者が心配して詠んだ1首です。

礒ごとに海人の釣舟泊てにけり我が船泊てむ礒の知らなく(17-3892)
いそごとに あまのつりぶねはてにけり わがふねはてむいそのしらなく
<<どこの磯にも漁師の船が泊まってる。吾らの船の泊る磯はどこの磯なのか>>

この短歌を旅の不安を詠ったものとして残すのか,それとも瀬戸内海漁業が大変盛んであることを伝えたいがために万葉集の選者が選んだのか興味が尽きません。
さて,次回は今でもありますが,特別な時しか演奏を聴くことがなくなった「琴(こと)」について,万葉集を見ていくことにします。
今もあるシリーズ「琴(こと)」に続く。

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