2013年4月27日土曜日

2013年GWスペシャル「武蔵野シリーズ(1)」

<私と武蔵野線>
冒頭ローカルな話で恐縮ですが,私が通勤で利用しているJR東日本武蔵野線が今年で旅客運行開始40周年になりました(当時は国鉄線)。
私がまだ八王子市にある大学の学生だった1973年4月,新聞で武蔵野線(新松戸府中本町)が旅客運行を開始したという記事を見て,武蔵野線が旅客向けに開通したことを初めて知りました。私は八王子市内のアパートから通学していたので,特にそのことで変化はありませんでした。ただ,埼玉の大宮浦和あたりに実家のある学生は,武蔵野線開通で実家から通うように変更した人も結構いたようです。
<就職の新人研修後すぐ出向>
それからの私は大学4年生の初夏,千代田区に本社がある小規模なソフトウェア会社に就職内定し,多少遠い場所ですが家賃の安い埼玉県川口市にアパートを見つけました。入社後の新人研修期間(4ヶ月)は千代田区の本社でした。しかし,研修が終わるやいなや東京都府中市にある顧客企業の大きな工場に出向を命じられました。「府中なら八王子にそのまま住んでいればよかったのに」と思ったのですが,後の祭りというわけです。
<出向後の武蔵野線利用>
工場は始業が8時10分,駅にいちばん近い正門から一番奥に位置する建屋が駐在先で,正門に入ってから10分以上は見ておかないと自席にたどり着けない状況でた。華やかな都心で仕事する夢ははかなく消え,朝6時30分には家を出てバスに乗り京浜東北線の川口駅へ,そして南浦和まで行き,武蔵野線で府中方面に向かう毎日が始まりました。
武蔵野線で走る電車(国電)は当時6両編成(今は8両)で私が利用できる通勤時間帯では1時間に3本しかありませんでした。当然かなりの混雑でした。昼間というと,貨物列車ばかりが通過して,2時間近く駅に来ない時間帯もありました(今は昼間10分に1本)。都心から30㎞圏でありながら,地方のローカル線も顔負けの不便さでした。午前中本社に帰社して午後から工場へ行こうものなら,乗る時間を間違えると駅で1時間以上待つことになります。
<伝統的に旧式の電車を使う武蔵野線>
国電は旧国鉄時代中央線の本当に古い(塗装が一部はがれたままのものもあるような)車両(101系)を使い,冷房はもちろん無し,暖房も冬凍えるかと思うくらい効いていませんでした。夜工場から帰る時間帯も少し遅くなると40分に1本というありさまで,会社の同僚と飲んだ後帰りの電車でトイレに行きたくても必死に我慢するしかないのです。
そんな武蔵野線ですが,帰りは座ることがほぼでき,電車の中では一生懸命ソフトウェア工学系の本を読む時間がしっかりとれました。また,出向先の顧客(親会社)技術者は素晴らしい情報技術のスキルと知識を持った人ばかりで,厳しくも丁寧に技術や勉強すべき書籍を教えていただけました。今仕事に必要なソフトウェアの基礎技術を余すところなくに身に着つけられたのも武蔵野線利用で府中まで通ったことがきっかけかもしれません。
<本題>
さて,武蔵野線の思い出話は尽きないですが,本題の万葉集に出てくる武蔵野を見ていきます。
武蔵野といえば,春から夏にかけて雑木林の緑がまぶしいくらい鮮やかなイメージがありますよね。万葉時代の武蔵野は,実は鬱蒼としたした雑木林ではなく,草原に近かったかのではないかと私は想像しています。当時は武蔵の国の平野部分の開墾が進み,畑作が盛んに行われるようになった頃だとします。そうすると,耕運機がない当時は,畑作用に土地を耕す,畝を作る,できた作物を運ぶなどのために牛や馬が多用されと考えられます。当然,牛や馬に食べさせる草が大量に必要となります。
そこには牧草を植えた広い土地があった光景を想像させる次の東歌1首です。

武蔵野の草葉もろ向きかもかくも君がまにまに我は寄りにしを(14-3377)
むざしののくさはもろむき かもかくもきみがまにまに わはよりにしを
<<武蔵野の草葉がいっせいにこちらを向くように,おまえが思うがままにできるよう俺はおまえに寄り添うのさ>>

そんな草地の中には可憐な花も咲いていたのでしょう。
次は,朮(うけら)という可憐な花に寄せて詠んだ恋の東歌2首です。

恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ(14-3376)
こひしけばそでもふらむを むざしののうけらがはなの いろにづなゆめ
<<恋しくなったら袖を振るでしょう。でもそのときはあなたは武蔵野に生えるうけらの花の色が変わらないように顔に出さないでくださいな>>

いかにして恋ひばか妹に武蔵野のうけらが花の色に出ずあらむ(14-3376)
いかにしてこひばかいもに むざしののうけらがはなの いろにでずあらむ
<<どうすれば恋しくてたまらないおまえに武蔵野のうけらの花の色が変わらないように表に出さないでいられようか>>

この2首は万葉集の番号が同じとなっています。というのも,万葉集の左注にこの2首は異伝(元は一つの歌が異なって伝わること)であると掛かれているからです。うけらは今ではオケラと呼ばれています。当時は,咲き始めから散るまで色が変わらない花の代表だったのかもしれません。
私は最近仕事で顧客に提供したソフトウェアへの問い合わせに対し,かなり重要なものについては,回答説明のため顧客を訪問する役目が多くなっています。時には上手く回答できるか自信のない場合もあります。その場合でもこの短歌に出てくる「うけら」のように表情が不安ものに変わらないようにできればいいのですが,なかなかうまくいきませんね。
2013年GWスペシャル「武蔵野シリーズ(2)」に続く。

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