2013年3月2日土曜日

当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ(2):高橋虫麻呂」

<イタリア旅行報告2>
私は,今イタリアカプリ島からナポリ港へ向かう揺れの激しい船の中からこのブログをアップしています。
昨日は,ヴァチカン市国ヴァチカン美術館システィーナ礼拝堂サンピエトロ寺院・広場)で彫刻・絵画・建物のものすごさに圧倒され,ローマ市内(真実の口コロセッオスペイン階段トレビの泉,その他遺跡のバス車窓見学など)の観光を1日かけて行いました。特にヴァチカンは,コンクラーベ(法王選挙)がまだ始まっておらず,コンクラーベが行われるシスティーナ礼拝堂をこの特別な時期に見学できるチャンスに恵まれました。
昨日のツアーガイドさんはローマに住んでいる日本人の方で,いささか興奮気味(ご本人も初めて経験だった)にこの時期(コンクラーベ)の珍しさを解説してくれていました。
なお,「ローマは1日にしてならず」のパロディーとしてまさに「ローマは1日にして回れず」が結論そのものです。5日間くらいのローマ滞在型ツアーに参加すれば,ローマを少しは回れたということになるでしょうか?

今朝はカプリ島に行ってきましたが,波が荒く,残念ながら青の洞窟には行けませんでした。
<羇旅シリーズ(2)>
さて,万葉集の羈旅シリーズ(2)は高橋虫麻呂をとりあげます。
前回の山部赤人が有名な田子の浦付近から見た有名な富士山の歌がありますが,虫麻呂も富士を讃える長歌1首とそれに対する反歌2首を詠んでいます。
少し,長いですが長歌も紹介します。

なまよみの甲斐の国 うち寄する駿河の国と こちごちの国のみ中ゆ 出で立てる富士の高嶺は 天雲もい行きはばかり 飛ぶ鳥も飛びも上らず 燃ゆる火を雪もち消ち 降る雪を火もち消ちつつ 言ひも得ず名付けも知らず くすしくもいます神かも せの海と名付けてあるも その山のつつめる海ぞ 富士川と人の渡るも その山の水のたぎちぞ 日の本のやまとの国の 鎮めともいます神かも 宝ともなれる山かも 駿河なる富士の高嶺は見れど飽かぬかも(3-319)
なまよみのかひのくに うちよするするがのくにと こちごちのくにのみなかゆ いでたてるふじのたかねは あまくももいゆきはばかり とぶとりもとびものぼらず もゆるひをゆきもちけち ふるゆきをひもちけちつつ いひもえずなづけもしらず くすしくもいますかみかも せのうみとなづけてあるも そのやまのつつめるうみぞ ふじかはとひとのわたるも そのやまのみづのたぎちぞ ひのもとのやまとのくにの しづめともいますかみかも たからともなれるやまかも するがなるふじのたかねはみれどあかぬかも
<<甲斐と駿河の国,そしてたくさんの国の真ん中にそびえ立つ富士の高嶺は,天雲もその前を躊躇して通り過ぎ,飛ぶ鳥もその頂までは飛び上がれず,燃える火を雪が消し,逆に降り積もる雪を火が消し続けている。言い難く形容し難く,霊妙な神のようでもある。せの海と名付けは富士山が塞き止めた湖である。富士川と呼んで人が渡るのも富士山の地下水が溢れ出た川だからである。日本全体の重鎮となる神のようであり,まさに国の宝であるよ。駿河にある富士の高嶺はいくら見ても見飽きないことよ>>

これが,1300年近く前に詠まれたと思うと,この描写力を私は讃嘆するしかありません。長歌に出てくる「せの海」は,万葉時代今の本栖湖西湖精進湖あたりにあった大きな湖を指すといわれています。
高橋虫麻呂自身でこの長歌を作ったとしたら,虫麻呂は富士山博士号が取得できるくらい富士山を何度も訪れ,研究をしていたことが容易に想像できます。虫麻呂には,旅で訪れる場所について可能な限り勉強や事前の調査をして臨むことが,旅の価値を高めるという姿勢があったのではないかと私は感じます。
これの長歌で当時どれだけ多くの人が富士山を見てみたいと思ったことでしょう。
さて,その反歌を紹介します。

富士の嶺に降り置く雪は六月の十五日に消ぬればその夜降りけり(3-320)
ふじのねにふりおくゆきは みなづきのもちにけぬれば そのよふりけり
<<富士の高嶺に降る積もった雪は6月15日に一応消えるけども、その夜にまた雪がふった>>

富士の嶺を高み畏み天雲もい行きはばかりたなびくものを(3-321)
ふじのねをたかみかしこみ あまくももいゆきはばかり たなびくものを
<<富士の嶺が高く威厳があるため,天の雲も通り過ぎるのを憚って,たなびいてしまっているよ>>

長歌に対する反歌とは,長歌で述べた状況から,結論または導出された内容を短歌として詠います。特に,解説もいらないと思います。
高橋虫麻呂は高橋虫麻呂歌集として万葉集に載せている歌群があります。
この中で,私の住む埼玉を詠った旋頭歌がありますので,紹介させてください。

埼玉の小埼の沼に 鴨ぞ羽霧る おのが尾に降り置ける 霜を掃ふとならし(9-1744)
さきたまのをさきのぬまにかもぞはねきる おのがをにふりおけるしもをはらふとにあらし
<<埼玉の小埼の沼で鴨が羽ばたいてしぶきを飛ばしているわ。自分の尾に降り付いた霜を掃いのけようとしているのかもね>>

埼玉の比較的東部には,たくさんの沼があります。小崎の沼が埼玉県のどこにあったかは不明ですが,そこには冬になるとカモがたくさん飛来していたのでしょう。
それを見に行った二人(虫麻呂と彼女?)が,その光景を見て,詠んだのかもしれません。
この旋頭歌の前半で彼女が質問し,後半で虫麻呂がそれに答えているように私には感じとれます。
当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ(3):遣新羅使」に続く。

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