2011年8月28日日曜日

対語シリーズ「開と閉」 ‥心の扉はいつも開いていますか?

我が家のネコ達は部屋のドアや網戸を開けて出ていくことができますが,「閉める」ことはしてくれません。開けた後,丁寧に閉めてから行くことができたら,「礼儀正しいネコ」としてテレビに出られるかもしれませんね。

さて,今回は万葉集に出てくる「開」と「閉」について見て行きましょう。まず,「開」の漢字を当てる言葉として万葉集では「開(ひら)く」「開(あ)ける」の両方が出てきます。

言繁み君は来まさず霍公鳥汝れだに来鳴け朝戸開かむ(8-1499)
ことしげみきみはきまさず ほととぎすなれだにきなけ あさとひらかむ
<<噂が立ったので,愛する人は来てくれません。ホトトギスよ,おまえだけでも来て鳴いておくれ。朝の扉を開いておきましょう>>

「開(ひら)く」を使ったこの短歌は,大伴旅人と筑紫歌壇を形成した一人大伴四綱(よつな)が女性の立場で詠んだものです。本当は霍公鳥ではなく,「愛する君が来てくれるかも知れないから戸を開いておきたい」という本心を歌の中で見え隠れさせる高等な表現力の歌だと私は思います。

朝戸開けて物思ふ時に白露の置ける秋萩見えつつもとな(8-1579)
あさとあけてものもふときに しらつゆのおけるあきはぎ みえつつもとな
<<朝戸を開けて物思いにふけっている時に、白露の乗った秋萩が訳も無く目に入ってきます>>

「開(あ)く」を使ったこの短歌は,天平10年(738年)に橘諸兄宅で開かれた宴席で出席者のひとりである文忌寸馬養(ふみのいみきうまかひ)が詠ったとされているものです。秋の朝,家の戸を開けると少し冷っとした朝だったのでしょうか。作者は朝から何かを考えていたのですが,きらきらと光る朝露に彩られた秋萩がどうしても目に入り,その様子が作者の考え事に強く影響したという意味だと私は思います。宴席でこの歌を聞いた参加者は一往に「貴殿はどんな考え事をされていたのか?」という質問が出たのでしょう。
その答えは,この短歌の次に出てくる歌(8-1580)で分かります。歌の紹介はしませんが,当然,恋人のことです。
こう見てくると戸を「開(ひら)く」と「開(あ)く」のニュアンスの違いがわかるような気がします。「ひらく」は来てもらうのを待って広く戸を開けることを示し,「あく」は必要最小限のみ開けるという違いを感じます。

さて,「開」の対語「閉」の漢字を当てる言葉で万葉集に出てくるのは「閉(さ)す」だけです。

門立てて戸も閉したるをいづくゆか妹が入り来て夢に見えつる(12-3117)
かどたてて ともさしてあるをいづくゆか いもがいりき いめにみえつる
<<門を作り,その戸も鍵を掛け閉めておいたのにいったいどこからあなたは入ってきて私の夢に姿を見せたのですか>>

恋しい女性と逢いたい,逢いたい。その気持ち抑えようとする(戸をしっかり閉めるように)が,でもその女性が夢に出てくるのを防ぎようがない。そんな気持ちがこの短歌から私に強く伝わってきます。
万葉集に現れるこの「戸を閉(さ)す」から「戸閉(さ)す」,そして「閉(と)ざす」となったのでしょう。でも,心の扉は閉ざすことなく,常に開けておきたいものです。

対語シリーズ「直と曲(隈)」に続く。

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