2011年8月13日土曜日

対語シリーズ「苦と楽」 ‥ 苦:楽=5:2

世の中,苦しいときもあれば楽しいときもあります。でも,楽しいときより苦しいときの方が多いと感ずるのは世の常でしょうか。
万葉集では「苦し」を詠んだ和歌が40首余り,「楽し」を詠んだ和歌が16首ほどで,5:2の割合で「苦し」の方が多いのです。
万葉人がどんなことで苦しいと感じたり,楽しいと感じたかを見てみることにしましょう。

まず,何と言っても戦地へ向かう旅路の苦しさは,当時と比べ物にならないくらい平和な現代人にとっても共感できる部分が多いと私は思います。

我が家ろに行かも人もが草枕旅は苦しと告げ遣らまくも(20-4406)
わがいはろにゆかもひともが くさまくらたびはくるしとつげやらまくも
<<私の家に行く人がいてくれたら,この旅は苦しいと告げに行ってもらうのに>>

これは大伴部櫛麻呂(おほともべのくしまろ)という上野(かみつけの:今の群馬県)出身の防人(さきもり)が詠んだ短歌です。
万葉集に選ばれた防人歌は,詠み手の素直な気持ちがしっかりと伝わってくるものを選んでいることが分かります。選者は防人たちの苦しさを何とかさまざまな人に伝え,防人政策にブレーキを掛けたいという意図を私は感じます。

また,昔も今も切ない恋も苦しく感じるもののようです。次は恋慕う苦しさと闘う自分を詠んだ短歌です。

常かくし恋ふれば苦ししましくも心休めむ事計りせよ(12-2908)
つねかくしこふればくるし しましくもこころやすめむ ことはかりせよ
<<いつもこのように恋は募るほど切なく苦しいの。しばらくの間でもその苦しさを忘れられる計らいをたてたいわ>>

この詠み人しらずのこの短歌は,家で悶々として,苦しそうにしている女性の姿が私には伝わってきます。

それから「孤独感」の苦しさを詠んだ和歌も私たちには理解ができそうです。

都なる荒れたる家にひとり寝ば旅にまさりて苦しかるべし(3-440)
みやこなるあれたるいへにひとりねば たびにまさりてくるしかるべし
<<都にある荒れ果てた我が家で一人寝をするなら、今の旅寝よりもっと苦しいだろう>>

これは大伴旅人が神龜5年(天平元年:724)64歳のときに大宰府で詠んだとされる短歌です。
ようやく,近々大宰府の長官の任を解かれ,京に戻ることが決まったのだが,2年前に大宰府で妻を亡くし,誰も待つ人の居ない,荒れ果てた家に一人で住む苦しさは老体には堪える筑紫から奈良に帰る旅路の苦しさの方がまだマシだと詠んでいるのです。

旅人の妻がまだ生きていたときと思われますが,逆に旅人は「楽し」を詠んだ歌をいくつも残しています。

生ける者遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな(3-349)
いけるものつひにもしぬるものにあれば このよなるまはたのしくをあらな
<<生きているものは最後は死ぬのだから,生きている間は楽しまないとね>>

この短歌は旅人が詠んだ酒を誉むる歌13首のひとつです。解釈は酒を愛する人と飲まない人では異なるかもしれません。
私は天の川君ほどたくさん酒は飲みませんが,適量飲んだときのリラックス感からくる楽しさは肯定的に評価しています。

天の川 「たびとはん。ウワバミみたいに言わんといてんか。精々焼酎1本強空けるだけやんか。」

どう見てもウワバミだね。さて,この他,万葉集では春になったこと,梅の花が咲いた,舟遊びをしたことなどで「楽し」を詠った和歌が出てきます。

「楽し」と「苦し」の両方を詠った旅人は,妻の存在で「楽し」を詠えたのかも知れません。天平2年に京に一人で戻った旅人は大納言に昇進したのですが,翌天平3年66歳でこの世を去りました。
私も日頃「風呂,飯,寝る」くらいしか言っていない妻を少しは大切にしなければ。

天の川 「ほんまやな。それからな,僕ももうちょっと大切にしなアカンで!」

...。

対語シリーズ「東と西」に続く。

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