2011年5月5日木曜日

私の接した歌枕(9:砺波)

<トナミ運輸のトラック>
少年の頃,父の運転する自動車で家族一緒に海水浴へ出かけたときでした。京都から日本海に向かう未明の国道で,前面上部に「トナミ」とカタカナでライトアップした輸送トラックを何台もすれ違うのに気がつきました。
父に「ト,ナ,ミ,て何やろ?」と聞くと,父は「多分会社の名前か何かやろ。よう知らんわ。」と興味なしという感じでしたが,兄が「富山県の地名やと思うで。」と教えてくれました。
戻って早速地図帳(私は小さい頃から兄と地図を見るのが大好きでした)を見て,富山県に砺波という地名があることを知りました。
<砺波平野にあこがれた少年時代>
その後,中学校の地理の授業で使っていた地図帳に砺波平野散居村の航空写真が紹介されていて,一度行ってみたい思うようになったのです。
ただ,実際砺波に行けたのは大学2年のとき,大学の万葉集研究会で五箇山へ研修旅行に行った帰りに砺波平野を通りました。
当時国鉄の城端(じょうはな)線の城端駅から高岡に向かう列車に乗り,砺波平野の散居村の雰囲気を車窓から味わうことができました。
<万葉集での砺波の扱い>
さて,万葉集では砺波は砺波の関砺波山が詠われています。両方とも砺波平野の西側の石川県との県境にあります。
砺波の関は現在の小矢部市倶利伽羅(くりから)峠の富山側にあったのだろうと思われます。
そんな砺波の関を詠んだ大伴家持の次の短歌があります。

焼太刀を砺波の関に明日よりは守部遣り添へ君を留めむ(18-4085)
やきたちをとなみのせきに あすよりはもりへやりそへ きみをとどめむ
<<砺波の関所に明日にはもっと多くの番兵を差し向けて,あなたがお帰りになられるのを引き留めましょう>>

この短歌は,天平感宝元年の五月五日(まさに今日)に東大寺から来た僧たちが京に戻るときの宴の席で僧たちに贈った短歌です。
僧たちが越中に来たいきさつはあまり詳しく書かれていませんが,時期は東大寺の大仏開眼の3年前です。僧たちはさまざまな支援の依頼を家持にしに来たのかもしれませんね。
いっぽう,砺波山(国土地理院の2万5千分の1地図によると標高263m)は倶利伽羅峠の東約500mに山頂があります。
万葉集でこれを詠んでいるのは2首ありますが,両方とも長歌です。同じく家持が親友である大伴池主に贈った長歌の一部を紹介します。

君と我れと 隔てて恋ふる 砺波山 飛び越え行きて 明け立たば 松のさ枝に 夕さらば 月に向ひて あやめぐさ 玉貫くまでに 鳴き響め 安寐寝しめず 君を悩ませ(19-4177)
<~ きみとあれとへだててこふる となみやまとびこえゆきて あけたたばまつのさえだに ゆふさらばつきにむかひて あやめぐさたまぬくまでに なきとよめやすいねしめずきみをなやませ
<<~ 君と僕が離れた場所にいて会いたいと願っているから(霍公鳥よ)砺波山を飛び越えて行って,朝は松の小枝にとまり,夕方は月に向かって,菖蒲の花穂が延びるまで君が安眠できないで悩んでしまうくらい鳴き響びかせよ>>

家持がいた高岡から外に行くときは砺波山を越えていくことが一首の象徴であったようですね。

さて,私が4月16日高岡に泊まったことはこのブログでも紹介しましたが,翌日にどうしても行って見たかったのが鉢伏山山腹からの砺波平野の眺望でした。
ところが,冬季道路通行止めで車で上がることができず,徒歩で登ることも時間の関係で諦めざるを得ませんでした。
<自然の恩恵をたくさん受けられる富山地方>
砺波平野ではチューリップも咲き始め,桜,コブシ,モクレンの花があちこちの散居を構える家の庭で満開なのですが,砺波平野から車で10分も山に登っただけで,雪がいっぱい残っていて,道が閉鎖されている。
通行止めで散居村を展望できなかったのは残念ですが,私はこの大きなギャップに砺波平野と富山湾の豊かさの素があるのではと感じました。
4月中旬の砺波平野では田を耕すのにちょうどよい気候になってきますが,山にはまだ雪が大量に残っています。
田の耕しが済んだころ,大量の雪解け水が田を潤し,田植えがスムーズに行えます。また,雪解け水は五箇山近辺の山々や遠く立山の木々によってもたらされた豊富なミネラル分を含んでいます。
美味しいお米になるのは当然のことでしょう。「五百万石」という日本酒用のお米も作付されています。きっと,万葉時代でも上質な日本酒もでき,献上されたはずです。
ミネラル分を豊富に含んだ雪融け水は田を潤すだけでなく,庄川小矢部川(射水川)黒部川神通川などの河川のほか地下水脈からも富山湾に注ぎ,深層に流れ込み,富山湾の豊かな魚介類を育んでいるとのことです。
大伴家持は越中で多くの和歌を残せたのも美味しいご飯,美味しい酒,美味しい肴の存在があったればこそだと私は感じます。

天の川 「そやさかい,わてを連れていってくれへんかったんやろ。どや?」

その通り。私の接した歌枕(10:和歌の浦)に続く。

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